パリの美術館でアメリカの大物アーティストの二人展が開催され、話題を呼んでいる。その大物とは、ジャン=ミシェル・バスキア、そしてアンディ・ウォーホル。どちらも世界的に誰もが知る芸術家であり、それぞれ単独でも人気の展覧会になりそうなところを、今回はダブルの相乗効果。注目を集めないはずがない。



世界的建築家フランク・ゲーリーが手がけたルイ・ヴィトン財団美術館


会場は約845ha(東京ドーム180個分)もの潤いを誇るブーローニュの森にある「ルイ・ヴィトン財団美術館」。その名の通りモードとリュクスの世界的企業LVMH(ルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシー)グループが運営する美術館で、財団が所有する豊富なアートコレクションをベースに展覧会を企画している。メセナ(芸術文化支援者)として企業が積極的に芸術振興に力を注ぎ、税優遇を受けるフランスならではの仕組みだ。


パリ市内といっても、中心部から地下鉄で郊外に向かって約10分、そこからさらに10分ほど森に向かって歩いた先の美術館。それでも外国からパリへの旅行者が本格的に戻ってきたこともあって入場には長い列ができ、展示室は国際色豊かな観客たちであふれる。



ルイ・ヴィトン財団美術館内部


バスキアとウォーホル、20世紀を代表するこの芸術家は、実は作品を一緒に創作していた時期があった。時は1980年代。二人の作品を扱っていたギャラリスト、ブルーノ・ビショフバーガーが「コラボしたい」というバスキアの願いを聞き入れる形で1982年10月4日に両者は出会う。このときバスキアが21歳、ウォーホルが54歳。それまでもグループ展で同時に展示されたり顔を合わせてはいたようだが、これを機会に二人は30歳以上の年齢の差がないかのようにすぐに打ち解け、お互いへのリスペクトを深め、やがて共同制作を始めるようになる。


出会った当日の逸話が印象深い。昼食を共にしたあとバスキアはギャラリストに二人のポラロイド写真を撮るように依頼し、その写真を手にバスキアがスタジオに帰る。すると2時間もしないうちにウォーホルのもとへまだ生乾きのキャンバスが届いた。バスキアがそのポラロイド写真をもとに描いた即興の絵画だった。



Jean-Michel Basquiat, Dos Cabezas, 1982(展示風景)© Estate of Jean-Michel Basquiat Licensed by Artestar, New York, 2023、© The Andy Warhol Foundation for the Visual Arts, Inc. / Licensed by ADAGP, Paris, 2023、© Fondation Louis Vuitton / Marc Domage


バスキアがウォーホルとの出会いに感動し、刺激とインスピレーションを受けたことが絵を見てもわかる。絵を受け取ったウォーホルは喜びつつも「嫉妬するね、僕より描くのが速い」とアシスタントに言ったという。


展覧会の冒頭で描かれるのは、火花が散りそうな二つの感性のぶつかりあい。とりわけバスキアがウォーホルを描いた作品が秀逸かつ笑いを誘う。彼の絵のなかでウォーホルはバナナになり、貧相な身体でバーベルを持って立つ。それに対してウォーホルもバスキアの写真をコラージュして応戦する。



Jean-Michel Basquiat et Andy Warhol, Arm and Hammer II, 1984-1985, Jean-Michel Basquiat
Brown Spots (Portrait of Andy Warhol as a banana), 1984 © Estate of Jean-Michel Basquiat Licensed by Artestar, New York, 2023、© The Andy Warhol Foundation for the Visual Arts, Inc. / Licensed by ADAGP, Paris, 2023、© Fondation Louis Vuitton / Marc Domage



Jean-Michel Basquiat, Untitled (Andy Warhol with Barbells)(筆者撮影)


その後1984年から85年にかけて、二人はそれぞれの生涯でも最高傑作といえるような約160点の作品を共作。《à quatre mains (4つの手)》とサブタイトルのついた今回の展覧会は、まさにその4つの手が創りあげた作品のうち80点の共同サイン入りキャンバスを含む300点以上の作品と資料で構成される。それぞれの個人作品や、1980年代のニューヨーク・ダウンタウンのアートシーンを再現するためにキース・ヘリング、ケニー・シャーフ、マイケル・ハルスバンドなどの作品群も紹介。ポップアートやストリートアートが渾然となって新しい潮流を生みだしていた当時の様子も感じられて楽しい。



展示風景 © Estate of Jean-Michel Basquiat Licensed by Artestar, New York, 2023、© The Andy Warhol Foundation for the Visual Arts, Inc. / Licensed by ADAGP, Paris, 2023、© Fondation Louis Vuitton / Marc Domage


ここで少しだけバスキアの経歴にふれておきたい。彼は1960年12月22日、ハイチ出身の黒人の父、プエルトリコのいわゆるヒスパニック系移民だった母のあいだに生まれた。幼少の頃から絵を描いていたが、高校の頃から学校新聞などで挿絵を担当するようになってその才能を開花させ、友人とともに「SAMO」というニックネームでストリートグラフィティをはじめる。20歳からバスキアの名でソロ活動に入るとすぐに注目が集まり、数々の展覧会に参加。すぐにギャラリストもつき、82年にはドイツのカッセルで開催される有名な国際美術展「ドクメンタ」に史上最年少で参加するという快挙を成し遂げた。


作品には独特の色づかい、黒人への人種差別をはじめ社会への批判や皮肉を込めた文字やイメージの記号が散りばめられる。また継ぎはぎしたような頭蓋骨や皮膚の縫い目のような表現には、7歳のときに交通事故で入院した際に母親がなぜか彼に与えたという医学書『グレイの解剖学』の影響も指摘される。



Jean-Michel Basquiat, Andy Warhol, 6.99, 1985、Nicola Erni Collection Photo : © Reto Pedrini Photography © The Estate of Jean-Michel Basquiat. Licensed by Artestar, New York. © The Andy Warhol Foundation for the Visual Arts, Inc. / Licensed by ADAGP, Paris 2023


ウォーホルに出会ったのは、このようにバスキアの人気が絶頂期にあった頃。共同で創る作品は主にウォーホルが先に手がけ、バスキアがそれに呼応して手を入れ、さらにそれを戻してウォーホルが絵具を足していくというスタイルで進められたという。時には一緒にキャンバスに向かって創作することも。その現場に立ち会ったキース・ヘリングは「言葉の代わりに絵の具を通じた会話」を二人が交わし「2つの心が融合して第3のまったく別のユニークなものを生みだしている」とその様子を語った。


両者を引き合わせたブルーノ・ビショフベルガーが企画したこのコラボレーションには、イタリアの画家フランチェスコ・クレメンテも参加。3人による15点ほどの作品のあと、バスキアとウォーホルはほぼ毎日のように共作を続けたというから驚く。



3人による共作《Handball》展示風景 © Estate of Jean-Michel Basquiat Licensed by Artestar, New York, 2023 © The Andy Warhol Foundation for the Visual Arts, Inc. / Licensed by ADAGP, Paris, 2023 © Fondation Louis Vuitton / Marc Domage


それもそのはず、バスキアはウォーホルを、アートの世界に新しい言語と大衆文化との独自の関係を生みだした先駆けの芸術家として尊敬していた。ウォーホルのほうも、バスキアの中に絵画への新たな可能性と興味を発見。彼との出会いをきっかけに、ふたたび自分の手で描く大画面の絵画作品を手がけるようになったという。リスペクトを寄せる互いの感性が呼応しあう、まさに「4つの手」による美術史上の奇跡がそこにはあった。



展示風景:写真家Michael Halsbandによるボクシング姿のジャン=ミシェル・バスキアとアンディウォーホルのポートレート(筆者撮影)


ほとばしるエネルギーのぶつかり合いのような作品群は、記念碑的な作品《10個のサンドバッグ(最後の晩餐)」》や幅10メートルにもおよぶ絵画作品《アフリカの仮面》など数多くの名作を生みだす。



《アフリカの仮面》 展示風景(筆者撮影)


しかしこうした濃密な共作関係は、残念ながら長く続かなかった。バスキアは1985年2月にニューヨークタイムズマガジンで表紙を飾るなどスターダムに登りつめる。だが有名になればなるほど彼の心は乱れ、薬物の使用が増えていったという。批評家などから「バスキアはウォーホルのマスコット」と呼ばれるなど周囲のノイズも重なり、二人の間に距離ができはじめる。そして1987年2月にはウォーホルが58歳で急逝。憧れの存在を失ったバスキアはますます孤独感を深め、まるで彼の後を追うかのように翌年8月にヘロインの過剰摂取が原因で命を落とす。



Ten Punching Bags (Last Supper), 1985-1986, Acrylique et bâton d’huile sur sacs de frappe, © Estate of Jean-Michel Basquiat Licensed by Artestar, New York, 2023 © The Andy Warhol Foundation for the Visual Arts, Inc. / Licensed by ADAGP, Paris, 2023 © Fondation Louis Vuitton / Marc Domage


1985〜86年頃に制作され、おそらく二人のコラボレーション最後の作品と考えられているのがこの《10本のサンドバッグ(最後の晩餐)》だ。ボクシングのファンだった二人だが、サンドバッグに描かれているのはレオナルド・ダ・ヴィンチの《最後の晩餐》で中心にいるイエス・キリストの姿。そのまわりに執拗なまでに「JUDGE(審判)」の文字が記される。そこには、批評家たちの「ジャッジ」に対する反抗心、あるいは繰り返される黒人や同性愛者に対する差別への思いがあったとも言われるが真相はどこにあったのだろうか。この作品は結局、二人の生前に展示されることはなかった。


アート界のふたつの巨星が放った時代の輝き。すでにバスキア単独の充実した展覧会を2018年に開催しているルイ・ヴィトン財団美術館だけあって、さらに力の入った見ごたえのある作品群だった。今回の展覧会は夏のバカンスが終わる頃までつづく。



展示風景:写真家Michael Halsbandによるボクシング姿のジャン=ミシェル・バスキアとアンディウォーホルのポートレート(筆者撮影)




Fondation Louis Vuitton 

BASQUIAT X WARHOL, À QUATRE MAINS

ルイ・ヴィトン財団美術館 

バスキア × ウォーホル「4つの手」展覧会


会場:ルイ・ヴィトン財団美術館(パリ)

   8, Avenue du Mahatma Gandhi Bois de Boulogne, 75116 Paris

会期:2023年8月28日(月)まで

開館時間:10:00〜20:00

休館日:月曜日


入館料その他の情報は展覧会HPへ

https://www.fondationlouisvuitton.fr/en(英語)

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