独創的そしてアバンギャルドなデザインで世界に知られるファッションデザイナー・川久保玲のブランド「コム・デ・ギャルソン」。フランス大統領府にも近いパリのフォブール・サントノレ通りにあるその旗艦店のファサードを、あるイタリア人写真家の作品が飾り、街行く人々の目を惹きつけている。

写真家の名は、パオロ・ロベルシ。1982年に彼が初めて「コム・デ・ギャルソン」の広告写真を手がけて以来数十年にわたる交流の中で、彼らは互いの芸術性を高め合うかのようにモード写真のイメージを拡張してきた。ほかにもヨウジ・ヤマモト、クリスチャン・ディオール、ロメオ・ジリなどトップクリエイターの作品や数々のトップモデルたちが、ロベルシの手によってオーラを放つ存在となり、ファッション史に残るビジュアルを生んだ。


この写真家パオロ・ロベルシの足跡をたどる展覧会がパリ16区の「ガリエラ宮 パリ市立モード美術館」で開催されている。ポラロイドや懐中電灯、長い露出時間なども活かした実験的な光と影を駆使し、未知の領域や見たことのない物語を感じさせるロベルシ独特の世界観。未公開画像や雑誌、カタログを含む約140点の作品が、美しいガリエラ宮の内部に幻想的な情景を創りだした。




写真家パオロ・ロベルシは、1947年にイタリアのボローニャに近いラヴェンナという街に生まれた。写真に興味を持ったのは10代の頃。ボローニャ大学で法律と人文哲学を学びつつ、ほぼ同時期に自分で暗室を設置し、地元の写真家に師事を仰ぎながら、自身で研鑽を重ねたという。
イタリアから新天地を求めてパリにやってきたのは彼が26歳になった1973年11月。友人のスタイリスト、ポピー・モレニの協力もあってすぐにモード写真の道へ進み、パリを拠点に活躍していたイギリス人写真家ローレンス・サックマンのアシスタントとなる。彼はロベルシに「三脚は固定させるべきだが、君の眼と精神は自由でなければいけない」と語り、既成概念や過去のスタイルにとらわれない作家独自の「視点」を写真に表現するためのテクニックを教えたという。
そして1975年9月には自身のクレジットによる写真が「ELLE」誌に初登場して一躍脚光を浴びる。さらに同じ年に「デペッシュ・モード」誌の表紙を飾り、ギャラリー・ラファイエットの注文も受けるなど、その名声は一気に高まっていった。1977年に「マリー・クレール」誌からのオファーが来たときは「あまりにうれしくて、家中を跳ね回った」とその時代の昂揚感を語っている。
常識を破るポラロイドの衝撃

1980年における「ポラロイド」と蛇腹カメラとの出会いは、彼にとって決定的な出来事になった。奇しくもロベルシの誕生と同じ年に発明されたこのインスタント・カメラの儚く幻想的な表現はすぐに彼の心を捉え、そののち生涯にわたって継続して使われることになる。

このときロベルシは、フィルムで撮った精細な画像で映すというモード写真の「常識」を打ち破ることで、自分の表現領域を拡張した。「私は職人である」と語る彼は、先進的であるはずのモードの世界であえて19世紀の写真撮影のプロセスに立ち返るかのようなスタイルを完徹。計算しきれないポラロイドの偶然性も取り入れながら自分だけのイメージを創りあげた。

この1996年のコム・デ・ギャルソンとのコラボレーションでパオロ・ロベルシは撮影に初めて懐中電灯を使い、暗闇の中の人物の存在を浮かび上がらせた。どこか被写体の深層の感情までもが映し出されたような神秘的な作品は、その後の写真家たちにインスピレーションを与えていくことになる。
すべての写真はポートレートである
この被写体の存在感こそが、ロベルシと他のモード写真との違いなのかもしれない。撮影スタジオでロベルシは、限りなく少ない人数で、装飾や小道具もほとんど使わず、静寂そして親密な空気の中でセッションを行う。そこでは孤立した被写体だけが世界の中心になる。


そしてロベルシは時間をかけ、モデルがいわゆる「ポーズ」というものを捨てた瞬間を待つ。彼はカメラの後ろ側ではなく、カメラの横に立ち、ファインダーを通さずにモデルと直接向かい合うのだという。こうすることでモデルは「映される」のではなく、イメージを創りだすプロセスに参加することになるのだ。
「すべての写真はポートレートである」と彼が語るように、この写真家とモデルの関係、そこから生まれるモデルのある種の神秘的な表情が彼の作品を決定づける。力強さや儚さをもった人間の存在があるがゆえに、衣服は商品としてではなく、それを着たモデルの身体や表情の一部となり、私たちの心を惹きつけるのだといえないだろうか。

展覧会の途中には、パオロ・ロベルシのこんな言葉があった。
「長い露出時間とは、魂が表に現れる時間を与えることだ。そして偶然が介入する時間を与えることだ」
現実を映す写真ではなく、むしろ目には見えないものを引き出し表出させるようなパオロ・ロベルシの作品世界。そんな写真の芸術的な表現が、SNS全盛の時代も受け継がれていくことを節に願いたい。
Palais Galliera, Musée de la Mode de la Ville de Paris
PAOLO ROVERSI
ガリエラ宮 パリ市立モード美術館
パオロ・ロベルシ展
会場:ガリエラ宮 パリ市立モード美術館(パリ)
10 Avenue Pierre 1er de Serbie 75116 Paris
会期:2024年7月14日(日)まで
開館時間:10:00〜18:00(入場は17:00まで)
休館日:月曜日
その他の情報はHPへ
https://www.palaisgalliera.paris.fr/en

(文)杉浦岳史/ライター、ポッドキャストナビゲーター
2009年からフランスに在住。パリでアートマネジメント、美術史を学ぶ高等専門学校IESA現代アート部門を修了。2013年よりArt Bridge Paris – Tokyo を主宰。広告、アートの分野におけるライター、アドバイザーなどとして活動中。ポッドキャストラジオ「パリトレ」ナビゲーター。