パリという街の中心部が、今のような整然と美しい街並みになっていったのは19世紀の頃。それまでは細い路地が入り組んだ中世以来の街並みが続いていた。


それを進化させたのは、19世紀半ばにパリをふくむセーヌ県の知事になったジョルジュ・オスマン。彼と当時フランスの皇帝だったナポレオン3世が主導してパリの中心部にいくつもの大通りを造り、上下水道やガス管が街に張りめぐらされた近代的な都市にしたというわけだ。これがいわゆる「パリの都市大改造」で、その象徴ともいえるのが、凱旋門からサン・ラザール駅方面に向けて延びるその名も「オスマン大通り」。今回ご紹介する「ジャックマール・アンドレ美術館」は、このオスマン大通りに沿って建つ美しい建築だ。



オスマン大通りに建つジャックマール・アンドレ美術館(筆者撮影)



ジャックマール・アンドレ美術館の外観(©Culturespaces / Sophie Lloyd)


それは19世紀に新興ブルジョワジーの一家に育ったエデュアール・アンドレとその妻ネリー・ジャックマールがその礎を築いたミュゼ。二人は絵画や彫刻、陶器、家具、調度品など数々の芸術品を生涯をかけてコレクションし、それを二人が暮らしたこの邸宅にしつらえていった。彼らの美意識がすみずみまで行き届いた建物は、インテリアも含めそれ自体がまるでアートのよう。当時のブルジョワ市民の暮らしを感じながら、美術鑑賞を愉しみ、ランチやカフェを嗜む。そんなパリの贅沢なスポットの歴史と今をご案内しよう。



「絵画のサロン」(©Culturespaces / Sophie Lloyd)


夫であるエデュアール・アンドレは、1833年に銀行家の息子としてフランス南東部に生まれる。18歳でナポレオン3世体制の将校となるも辞職して、政治の世界に身を投じながら1860年からは美術品のコレクションを始めた。ちょうどその頃、ナポレオン3世はオスマン知事にパリの大改造を命じ、街は急速に進化。エデュアール・アンドレもこの再開発の波に乗ってオスマン大通りに土地を購入。邸宅の建設に着手する。


そんな彼が1872年に自分の肖像画を依頼したのが、ポートレートの得意な若手画家としてすでに有名だったネリー・ジャックマールだった。彼女の一家は、カトリック系で王党派の出身。ブルジョワジーでプロテスタントだったエデュアール・アンドレとは家柄がだいぶ違ったけれど、アートという共通の話題もあってすぐに友人となり、やがて1881年に結婚を遂げる。



「執務の間」(©Culturespaces / Sophie Lloyd)


結婚後、ネリーは念願のイタリア旅行へ夫を連れ出す。アンティークのオークションに出かけるためだ。そこから二人は、夫婦で美術品の収集に熱を上げる。パリの邸宅をコレクションの所蔵にふさわしく改装を続けながら、ヨーロッパ、そして中東へも何度か足を運ぶ。ボッティチーニやギルランダイオ、ベッリーニなど巨匠の作品をふくむイタリア・フランスの絵画・彫刻を中心に、金細工、宝飾品、タピスリー、ミニチュアオブジェ、日本や中国の磁器や漆器、エジプトの出土品など、そのコレクションは極めて多岐にわたる。


それは、鉄道や蒸気船が発達し、「旅」という概念がようやく人々に浸透しはじめた時代。旅行をしながら、愛好する芸術を収集しつづける人生はさぞかし有意義なものだったに違いない。夫のエデュアールはこうした知見を活かして、1874年から1882年にかけてはフランスの装飾芸術院の総裁なども務めるが、1894年に60歳の若さで病死してしまう。



「彫刻の間」(©Culturespaces / Sophie Lloyd)


子供がいなかった二人の美術品に対してエデュアールの家族が権利を主張するものの、妻に財産のすべてを残すと記した遺言が決め手となり、妻のネリーは裁判に勝利。コレクションは散逸することなく残された。


その後もネリーは、夫との思い出を心に刻みながら旅とコレクションを続けたという。そして彼女もやはりすべての美術品を国に遺贈することを決定。貴重なコレクションをそのまま公開できるよう邸宅を美術館にしたいと願い、作品の目録はもちろんのこと、美術館の開館条件や各作品の正確な位置まで遺言で記していたという。


1912年にネリーが亡くなると、邸宅は願い通りフランス学士院に寄贈され、早くも翌年には夫妻の名を冠したジャックマール・アンドレ美術館として開館。いまに受け継がれているというわけだ。



1階のオスマン大通りに面した「大広間」(©Culturespaces / Sophie Lloyd)


美術館の1階と2階に広がる空間は、人を迎える間も夫婦のプライベートな部屋も、どれも丁寧に美術品や調度品がしつらえられて見ごたえがある。自身も芸術家であった夫人の美意識と愛着がこもっているからだろう。天井はとても高く、多くはその天井にまで絵画が描かれていたり、装飾が施されている。



「大広間」の天井画(筆者撮影)



「冬の庭」(©Culturespaces / Sophie Lloyd)


特筆すべきはこの「冬の庭」と呼ばれる広間だろう。ガラスに覆われた屋根は室内に豊かな光をもたらし、エキゾチックな植物が空間を彩る。客人を迎えるホスピタリティの作法として英国からそのアイデアが輸入され、このナポレオン3世の時代にフランスでも流行した。


とりわけこの邸宅では、大理石の床と壁でさらに明るく、優雅な曲線を描く階段に誘われて上に登ると、そこでは18世紀イタリアの巨匠ジャンバッティスタ・ティエポロの壁画が迎えてくれるという驚きまでついている。



ジャンバッティスタ・ティエポロのフレスコ画(筆者撮影)


招かれる人を夢み心地にしてくれる舞台装置は今も健在で、パリの都会にいることをしばし忘れてしまいそうになるほど。さらにその先の絵画室へ進めば、ボッティチェリ、ギルランダイオなどルネサンス期のフィレンツェ派や、マンテーニャなどヴェネチア派の画家の作品がずらり。まるでイタリアの有名な美術館を訪れているかのような感覚になる。



「ヴェネチアの間」(©Culturespaces / Sophie Lloyd)


さらに奥に進むと企画展示室があり、主にここジャックマール・アンドレ美術館のコレクションに関連した画家や彫刻家の企画展が催される。現在はヴェネチア派の巨匠ジョヴァンニ・ベッリーニの展覧会が2023年7月23日まで開催中だ。



ジョヴァンニ・ベッリーニ展会場風景(©Culturespaces / Thomas Garnier)



ジョバンニ・ベッリーニ《ジャン=バティストと聖女に囲まれた聖母子像》1500年頃 Giovanni Bellini, La Vierge et l’Enfant entourés de saint Jean-Baptiste et d’une sainte (Sainte Conversation Giovanelli), vers 1500, tempera et huile sur bois, 54 x 76 cm, Gallerie dell’Accademia, Venise, © G.A.V.E Archivio fotografico – su concessione del Ministero della Cultura


そしてここジャックマール・アンドレ美術館で必ず立ち寄りたいのは、夫妻の食堂であった部屋を使った「カフェ・ジャックマールアンドレ」だろう。美術館内部と変わらない瀟洒で開放的な空間で愉しむランチ、あるいはカフェやデザート。きっとほかでは味わえない気分で美術館体験を終えることができるはずだ。


誰よりも芸術を愛し、一生をかけて創りあげた至高のコレクションを高い美意識と公共心で後世に残そうとしたネリー・ジャックマールとエデュアール・アンドレ夫婦。二人の思いは、開館から100年以上経ったいまも、変わることなくここパリに受け継がれている。



カフェ・ジャックマールアンドレ(©Culturespaces / Sophie Lloyd)




Musée Jacquemart-André

ジャックマール・アンドレ美術館


場所:158 boulevard Haussmann 75008 Paris

開館時間:毎日開館 10:00〜18:00(企画展開催期間中の月曜日は20:30まで)

※入場は閉館30分前まで

ウェブサイト:https://www.musee-jacquemart-andre.com/en(英語)

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