振り返れば約30年。僕は編集者という立場でファッショントレンドの変遷を眺めてきたわけですが、ここ数年のファッション、なかでもモード/ラグジュアリーを巡る状況は、“インフルエンサー”、“コラボレーション”、サステナブル”、“多様性”、“Z世代”などといったワードばかりが先行し、ともすればデザインやフォルムの斬新さは脇に置かれ、結果、市場ではロゴとモノグラムが目につく「わかりやすいアイテム」ばかりが持て囃されているようにも思えます。

もちろん、僕は現在のラグジュアリーブランドを否定したいわけではありません。有名ブランドのロゴやモノグラムの持つグラフィカルな魅力が存分に発揮されたアイテムは間違いなく魅力的です。ただ、昨今はあまりにその“ブランド感”がストレート過ぎて、シックや洗練といった言葉から徐々に遠ざかっていこうとしているようにも見えてしまう。そして、こうした現在のファッショントレンドを目にするにつけ、「今の流行って、本当に“お洒落”なの? というか、“お洒落”って、そもそも何だっけ?」と問い直したくなるというのもまた、僕の偽らざる心境なのです。もっとも、こんなことを書けば、「じゃあ、お前の言う、“お洒落”って何なんだよ?」との声が上がることは言わずもがな。

良いでしょう。それなら思い切って、現在僕が考える“お洒落”を、ここで定義してしまいましょう。

“お洒落”とは……、

それは「“逆張り”と“偏愛”の調和である」。

なんか、こう言うと理屈っぽくて面倒臭そうですが、要は「“逆張り”=(まだ)トレンド感の薄いもの」、「“偏愛”=こだわり」くらいの意味で、この条件に合うアイテム/スタイルが、なぜ、“お洒落”なのかを説明していこうというのが、この連載の趣旨となります。

……と、すっかりイントロが長くなりましたが、今回紹介するのは腕時計。パテック フィリップカラトラバ3919です。



まずこれ、“逆張り”という点では、わかりやすいですよね。ピークは過ぎたように思えども、近年、高級腕時計が異様な盛り上がりを見せているのは周知のこと。中でも、ケースの直径が40ミリ以上でステンレス製のダイバーズやクロノグラフといった高級スポーツウォッチの人気はいまなお沸騰中で入手困難を極めているわけですが、そんな今だからこそ、その“逆”を狙ってみる。つまり、金無垢のケースに革ベルト、そして、ケースのサイズは直径36ミリ以下で、厚さは8ミリ以下の小さく薄いシンプルなドレスウオッチが条件に適うのですが、これをそのまま体現しているのが、まさにこのカラトラバ3919なわけです。


また、カラトラバ3919の逆張りポイントはサイズ・素材以外にもあって、白文字盤、ローマ数字のインデックス、そして、極めつけは手巻きのムーブメント。自動巻きではなく手巻きであることが、厚さ7ミリという薄いケースを実現させているわけですが、この小さく薄く控えめな佇まいを選択するということは、プレミアの付いた高級スポーツウォッチで個性(ステイタス?)をアピールするという昨今の時計選びのセオリーに逆らう勇気が試されもするでしょう。そう、“さりげなさ”の演出は今や勇気のいる行為なのです。さすれば、同機種の中でもイエローゴールドやローズゴールドよりもホワイトゴールド製の方が “さりげなさ”を徹底させてくれるとも言えるでしょう。

そして、何と言ってもパテック フィリップ。もう一方のポイントである“偏愛=こだわり”の対象としても申し分ないことは言うまでもありません。目立たず、控えめだけれど、気品が漂うスペシャルな存在感は実に愛おしい。“さりげなさ”とは、“ぞんざい”や“無頓着”とは異なるのです。

このカラトラバ3919は1986年から2006年まで製造されていて、その当時はパテック フィリップのアイコン的な存在であったモデル。そしてその分、市場での出回りも多かったのでしょう。時計専門店ではコンディションの良い中古(プレオウンドとか最近は言ったりしますが)が、発売時の定価くらいで、つまりさほど高騰していない価格で手に入ります。実際、カラトラバ3919は現在、「最も手頃なパテック フィリップ」であって、同ブランドのエントリーとして位置づけることも可能に思えますが、だからこそ、パテック フィリップの、いや、腕時計のスタンダードといった風格=ステイタスがあります。

ケース径は33ミリ。そう聞くと随分小さく感じますが、実際には36ミリにサイズアップされた後継機種のカラトラバ5119とも、大きな差は感じられず、むしろ、このサイズ感がスモールセコンド、リーフ針といったディテールを含む文字盤のデザインをバランス良く見せている印象を得ます。さらに、ベゼルに施された「クルー・ド・パリ」と呼ばれるパターン彫りが絶妙なアクセントとなって十分な存在感を手首で発揮しています。

まあ、こうした蘊蓄は検索すればいくらでも出てくるので、そちらをご参照いただくとし、僕がとにかく強調したいのは、カラトラバ3919の控え目だけれど完璧なエレガンスは、どんなファッションにもマッチするということ。むしろ、スーツよりもカジュアルやモードなスタイルにこそ、この時計はふさわしいとさえ思うのです。デニムシャツの袖を捲った腕に、あるいは、メゾン マルジェラのコートの袖口に、この時計が顔を覗かせている様子を想像してみてください。ドレスウォッチとして計算し尽くされたシンプルなデザインは究極の機能美と芸術性を備えていて、それゆえ、無骨なカジュアルにもアーティスティックなモードにも自然に溶け込むことができるのです。フォーマルはもちろん、カジュアルにもモードにも自然に溶け込みながら、洗練とステイタスを表現してくれる時計。これが “お洒落な時計”でなくて、一体、何だと言うのでしょう。

……というわけで、どうですか?

このカラトラバ3919が「お洒落とは“偏愛”と“逆張り”の調和である」という僕の説を体現する「今一番、お洒落な時計」だという結論にご納得いただけましたか?

次回以降も、現在のトレンドを理解したうえで、そこはあえて避け、けれど、その「あえて感」がほんのり伝わるアイテムとスタイルを探し、「なぜ、それが“お洒落”なのか?」を考察していこうと思います。よろしければ、お付き合いください。


鈴木哲也 Tetsuya Suzuki

編集者/プロデューサー

株式会社アップリンク、株式会社宝島社を経て、2005年に株式会社ハニカムを設立し、同社の運営するwebメディア『honeyee.com』の編集長に就任(2011年からは同社の代表取締役も兼任)。2017年、株式会社ハニカム代表取締役並びにwebメディア『honeyee.com』編集長を退任。

現在は執筆、各種コンテンツ制作のほか、企業・ブランド・書籍・メディア等のプロデュース/ディレクションを行う。

著書に『2D(Double Decade of pop life in tokyo)僕が見た「90年代」のポップカルチャー』(mo’des book)

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