先日、とある先輩との会話の途中、僕が「昨今のラグジュアリーブランドが、あまりにもロゴだらけで、クリエイティビティや場合によってはクオリティもおざなりになっているのではないか?」と、いつもの“ハイファッションの行き過ぎたコマーシャリズム批判” を一席ぶったところ、「でもね、鈴木くん。ブランドってそんなものなんだよ。だって、ブランドものを着てる人たちって、良い服着てます、お金かけてますって、わかってもらいたい人がほとんどなんだから。その人たちにとってはロゴなりマークなりがちゃんと付いているっていうのは、むしろ親切なことなんじゃないの?」と、クールに諭され、これには、さすがの僕も得意の持論が揺らぎかけてしまったわけです。だって、需要と供給が一致した“幸福な関係”に、わけ知り顔で横から水を差すというのは、いかにも無粋で、余計なお世話という気がするじゃないですか。


とはいえ、僕だって、アパレル/ファッション業界にとっては、それなりに優良コンシューマーだと思うわけで、その僕が「今のファッションブランドはつまらない」と思っているなら、僕と同じような考えのファッション好きたちも少なからずいるのではないか、と前述の先輩相手に自己弁護をしたところ、今度は「鈴木くんは、ファッションは好きだけれど、ブランドは嫌いってことなんじゃないの?」と、これまたクリティカルな一撃をもらい、いよいよ、その場は苦笑いでお茶を濁すしかなかったわけで……。


確かに、僕は“ファッションブランド”に対して厳しいところがあるように思うんです。というのも、メンズって、いわゆる“ファッションブランド”に頼らなくても、お洒落ってできるんですよ。ニットはニットメーカー、シャツはシャツメーカー、カジュアルなアウター類はアウトドアやスポーツの専門ブランドで事足りるといえば、事足りる。むしろ、その方が“通”っぽかったりもする。だから、服はもちろん、足の先から頭のてっぺんまで、全てのアイテムをラインナップした“ファッションブランド”には、そうしたルックを構成するのに相応しいブランド独自の世界観や価値観といったものがあって然るべきと思ってしまう。そして、その世界観/価値観に自分が共感できたら、そこで初めて、そのブランドを認めても良いかなとジャッジするという。我ながら上から目線の失礼な物言いだとは思うのですが、でも、これが僕の本音なのです。


だから、それが歴史ある有名ブランドのアイテムであっても、そこに世界観/価値観の投影された“作られるべき必然”を感じることができなかったら、言い換えれば、流行りに乗っただけの、とりあえず“今風”でしかないものであれば、“コピー商品”に見えてしまう。逆にユニークな世界観/価値観がきっちりと乗っかっていれば、何の変哲もないTシャツやスウェットにも“ファッションブランド”のアイテムとしての“必然性”を感じるわけです。つまり、僕にとって “ファッションブランド”とは、ステイタスのアピールや流行に対する感度の証明のための記号ではなく、自分の世界観や価値観を代弁してくれるものであって欲しいのです。もちろん、ブランドに対する僕のような考え方は少数派も少数派、そもそもアイテムのバリエーションに限りがあるメンズブランドに限って有効なのかもしれません。一般的には「ショップやネットで見て気になった服が、たまたま、なんとかっていう人気ブランドだった」というのがブランドとカスタマーの距離感としては平均的なんだろうというのも、わかってはいるのです。


けれど、僕のように“ファッションブランド”に今という時代を生きる中で共感できる世界観や価値観といった「服以上のもの」を求めてしまうのも、別段、不自然なことではないと思うのです。実際、服作りを通じて、自分たちのアイデンティティをコツコツと築き上げているというタイプのブランドも無数にあります。そして、そうしたブランドの多くは、大きな資本のバックアップを持たないインディペンデントな存在です。


当然ながら、そうしたブランドのほとんどはセレブリティを使った大規模なキャンペーンなどしないし、できない。結果、よくて “知る人ぞ知る”といった程度の知名度です。けれど、逆に言えば、それを“知る人”になることは、世界中の百貨店にショップを構える有名ブランドのロイヤルカスタマーになることとは、また違った充実感と場合によっては優越感を得ることもできるというのも、ファッションの面白さだと思うのです。


先ほど、ブランドの世界観/価値観に共感するのは、主にメンズファッションの世界で見受けられる現象かもしれないと述べました。しかし、ウィメンズのブランドにだって、独自の世界観と価値観を服で表現しようするブランドが、その点があまり注目されないだけで、実は数多くあるのです。僕が注目するそうしたブランドの一つがTu es mon Tresor (トゥ エ モン トレゾア、以下トレゾア)です。


トレゾアは人工パールで装飾されたヴィンテージ風ジーンズやカラフルなファーがあしらわれたアーミージャケットなどを得意とし、言わばMIUMIUやカール時代のシャネルに通じるガーリー感覚をデイリーカジュアルに落とし込んだスタイルを打ち出していたのですが、ここ数年は、装飾を省いたシンプルなジーンズを中心としたコレクションを展開しています。そして、そのジーンズは“女性のためのセーフプレイスを作りたい”というデザイナーの思いのもと、“女性の視点を通して、女性の体型や感性に寄り添ったデニム”がコンセプトだというのだから、一見すると以前のデコラティブなコレクションからは、180度変わった印象です。


けれど、トレゾアのデザイナーである佐原愛美さんが、彼女なりの“女性性=フェミニティ”を追求しているという点では一貫しているとも言えます。「少女から大人の女性になった」などと男の僕が言うのもおこがましくはあるのですが、先ほどからの世界観/価値観という意味では着心地の良さや快適さといったことを糸口に、目に見えるデザインだけでなく、着る人の内面的な部分にもデザイナーの考える“現代的な女性像”を投影しようという、とてもユニークな試みを実践しているのだと思います。


トレゾアは、まだまだ小さなブランドですし、定番のジーンズ以外に発表される新作のアイテムはシーズンに数型といったところ。それゆえ、まさに“知る人ぞ知る”存在。ですから、今から“知る人”になれば、ブランドの成長を見守るように毎シーズンのコレクションをチェックしていくという、言ってみれば“推しのブランド”を持つという楽しみも味わえますよ。





鈴木哲也 Tetsuya Suzuki

編集者/プロデューサー

株式会社アップリンク、株式会社宝島社を経て、2005年に株式会社ハニカムを設立し、同社の運営するwebメディア『honeyee.com』の編集長に就任(2011年からは同社の代表取締役も兼任)。2017年、株式会社ハニカム代表取締役並びにwebメディア『honeyee.com』編集長を退任。

現在は執筆、各種コンテンツ制作のほか、企業・ブランド・書籍・メディア等のプロデュース/ディレクションを行う。

著書に『2D(Double Decade of pop life in tokyo)僕が見た「90年代」のポップカルチャー』(mo’des book)

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