<芸術の都>であるパリは、ご存知の通り<モードの都>でもある。それを象徴するのはメンズ/ウィメンズのプレタポルテ(Prêt-à-Porter:高級既製服)、そしてオートクチュール(Haute Couture:高級注文服)のファッションショーで、パリでは春夏/秋冬あわせて年6回開催。その時期には世界中からバイヤーや顧客、セレブリティたちやプレスが集結し、街はいっそう輝きを放つことになる。そのほかにもパリではあらゆるブランドの発表会がつねにどこかで開催されていて、夏のバカンスを除けば、何も行われていない時期のほうが少ないのではないかと思うほどだ。

Sølve Sundsbø for Iris van Herpen — Hypersonic Speed Top, ‘Capriole’ collection, 2018. Iris van Herpen private collection.

そんな世界が注目するモードの聖地・パリで、いま大きな話題を集めている女性ファッションデザイナーの展覧会がある。彼女の名は、Iris van Herpen イリス・ヴァン・ヘルペン。ルーヴル美術館に隣接する装飾芸術美術館で4月28日まで開催中の「Sculpting The Senses」(感性を彫刻する)展は、芸術やモードに関心の高い女性たちを中心に人気を呼び、連日多くの観客が訪れている。

装飾芸術美術館・展覧会場エントランス

人気の理由は「ファッションデザイン」の概念を変えるかのような、彼女のアーティスティックで刺激的な作品の数々。ただデザインが美しいばかりではない。一つ一つに思いもよらないようなアイデアがあり、ディテールの緻密さがあり、素材そのものもその応用の仕方も、ほかで見ることがないような発想や表現ばかり。しかもそれがすべて破綻することなく、完成度の高い「衣服」のデザインとして成立している。モードファンやファッション関係者ならずとも展覧会を見たくなるのは当然だろう。

Carla van de Puttelaar for Iris van Herpen — Various collections, 2020. Iris van Herpen private collection

1984年にオランダに生まれたイリス・ヴァン・ヘルペン。その故郷であるワーメルは緑と水の豊かな町で、彼女は幼い頃から自然と共に暮らし、同時にクラシックダンスやコンテンポラリーダンスを学ぶことで、身体の動きと衣服の関係を体験的に身につけてきたという。

同じオランダのアーネムにあるArtEZ(アーネム・ヴィジュアルアーツ・アカデミー)でファッションデザインを学んだあと、アレキサンダー・マックイーンなどトップデザイナーのもとで修業を積み、2007年にアムステルダムで自身のブランド「イリス・ヴァン・ヘルペン」を設立。一躍注目を浴びると、そこからわずか4年でパリのオートクチュールのオフィシャルゲストとして招かれるまでに躍進を遂げた。パリに拠点を置くオートクチュール組合に所属する伝統あるメゾン以外で、しかも外国のブランドが正式なオートクチュールのショーに参加を認められるのは極めて稀なことだ。その実力と創造性に対するフランスファッション界の高い評価が伺える。

Iris van Herpen — Symbiotic dress, ‘Shift Souls’ collection, 2019. Silk organza, crepe, PetG. Iris van Herpen Collection © Dominique Maitre

伝統的な工芸やファッションの技術に、最先端のテクノロジーや素材、コンテンポラリーアートの前衛的なクリエイションや感性をも巧みに融合してきたイリス・ヴァン・ヘルペン。興味深いのは、展示には彼女の作品のほか、彼女が使っている世界各国の素材や技術、インスピレーションを受けたアートなどを同時に見ることができる点だろう。イリス・ヴァン・ヘルペスのクリエイション・プロセスや脳内を垣間見るようで面白い。

Iris Van Herpen 装飾芸術美術館での展示風景(上下とも) Exhibition ‘Sculpting the Senses’, Musée des Arts Décoratifs, Paris, 2024. Courtesy of the Musée des Arts Décoratifs.

9つのテーマで構成された今回の展覧会の冒頭を飾るのは、彼女がその作品でしばしば見せる「水と生命の起源」というコンセプト。ここでは19世紀ボヘミアのガラス工芸家ブラシュカ父子のガラス標本にインスピレーションを受けた作品、あるいは日本のテキスタイルブランド「小紋工房」とのコラボレーションによる作品もある。

2018年のコレクション《Syntopia》におけるドレス「フローズン・フォールス」 小紋工房のオーガンジー、ポリエステルフィルム、チュール(展示風景)

上記の作品「フローズン・フォールス」ではこの日本の小紋工房のテキスタイル素材が使われた。深海をたゆたう水の流れや泡、あるいは波のような水しぶき、霧、人間の身体の中を構成する体液のような水の神秘的な波形を、イリス・ヴァン・ヘルペンはこうしたテキスタイルや吹きガラス、レーザー加工のプレキシガラス、日本の墨流しなどあらゆる技法で表現する。しかもただニュアンスでそれを語るのではなく、物質性や海洋の地形などといった科学的なアプローチや、人間や生物の身体性の面からも研究しつつ、デザインへと融合しているところが彼女らしさだ。その発想は、やがて環境保護への関心へもつながっていく。

Luigi and Iango for Iris van Herpen — Skeleton Dress, in collaboration with Isaie Bloch, ‘Capriole’ collection, 2020. Iris van Herpen private collection.

骨格や解剖学というテーマも、イリス・ヴァン・ヘルペンの想像力をかき立てる要素のひとつだ。かつてミケランジェロなどの芸術家が人体解剖模型で人間の身体を研究したように、彼女もまた骨格や筋肉、組織、筋膜、そのつながりまでを分析していって、その上に衣服の概念を超えるような「新しい皮膚」を創りあげる。

Iris van Herpen — Arachne bustier, ‘Meta Morphism’ collection, 2022. Polyester silk, mylar, tulle, Swarovski crystals, embroidery thread, stainless steel. Iris van Herpen Collection © Dominique Maitre

さらに彼女の関心は人間の身体の骨格はもちろんのこと、たとえばゴシック建築に見られる建築の構造や蜂の巣、地下の菌糸のネットワーク、武士の鎧兜など、生物から人工物の構造にまで果てしなく広がり、発展する。それはまるで、地球上に存在するありとあらゆる「構造」がどう生まれ、どう構成されているのかについて思いをめぐらすかのようだ。衣服を通じて世界の成り立ちの根源を見つめる・・・そんなファッションデザイナーがほかにいるだろうか。

今回の展覧会でも、こうした人間の果てしない想像力と感性に呼応するかのように、ジャンルを超えた数々のアート作品を展示。イリス・ヴァン・ヘルペンのアーティストとしての奥深さを示唆している。

ゴシック建築という古典的な様式を使って現代を語る美術家ウィム・デルヴォワの作品《ノーチラス》も展示される Wim Delvoye — Nautilus 2017 © Adagp, Paris
「骨格」のテーマの中で同時展示された日本人美術家・石野平四郎の作品『黄泉津大神』(展示風景)

ほかにも音や音楽とファッションとの関係や、現実に対する人間の意識や知覚の変化にインスピレーションを受けた作品がつづく。そして彼女の故郷に近いスヘルトーヘンボスに生まれた初期ルネッサンス時代の画家ヒエロニムス・ボスが描く空想上のハイブリッドな生き物などへの興味など、時代もジャンルも軽々と超える発想を源泉にした作品も興味深い。

『墨流しドレス』と名づけられた2019年の作品 Iris van Herpen, Robe Suminagashi, collection « Hypnosis », 2019 Polyuréthane, mylar, tulle. Collection Iris van Herpen © Dominique Maitre

「目に見えないもの、知覚できないもの、不可解なものを翻訳することがイリス・ヴァン・ヘルペンの創造性の目的」と展覧会のキュレーターは語る。確かに彼女の深い感性は、私たちの身近にある小さなスケールの物事から、時空を超えた人間の創造の歴史、そして世界を構成する原理のようなものまでも感じとって、表現の糧としている。だからこそ展覧会のタイトルも『感性を彫刻する』ということなのだろう。私たちが見ているのは、単なる衣服ではなく、彼女の洞察力が感じたこの世界そのもの。もしかしたら現代に生きる私たちの立ち位置やそこから連なる未来を感じさせるものとして存在している、といったらやや大げさだろうか。少なくとも、人間の想像力と創造性の大きなポテンシャルをあらためて確かめた展覧会だった。

展覧会『イリス・ヴァン・ヘルペン 〜 感性の彫刻』

Iris van Herpen – Sculpting The Senses

会場:装飾芸術美術館 Musée des Arts Décoratifs

会期:2024年4月28日(日)まで

詳しくは美術館公式サイトへ(英語)

https://madparis.fr/en

※記載情報は変更される場合があります。

最新情報は公式サイトをご覧ください。

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