セーヌ川沿いに展示されたポートレート、ギャラリーのウィンドウを飾るアーティスティックな写真作品、写真集を抱えて歩く人々・・・。パリの11月は「写真月間」の雰囲気が漂う。その大きな原動力になっているのは、毎年この時期に開催されるヨーロッパ最大規模の国際写真フェア「PARIS PHOTO パリ・フォト」だ。


パリ・フォト会場となったエッフェル塔近くのグラン・パレ・エフェメール


「パリ・フォト」は、主にアートジャンルの写真作品の紹介と販売を手がけるギャラリーと写真集の出版社が出展。そして紹介される写真家やコレクター、アートファンなどがこれに向けてパリを訪れる。26回目を迎えた今年は11月9日から12日の会期で、約191のギャラリーと出版社が参画。約400人もの写真家が期間中にサイン会やイベントに参加し、約65,000人の入場者を迎えたというからそのスケールの大きさがわかる。


パリ・フォト会場内


限られた出展ブースをめぐる審査を乗り越えて、日本からもギャラリーや出版社が参加。今年は東京を拠点にする「PGI」「MEM」「YUMIKO CHIBA」がギャラリー部門で、出版の部門では「小宮山書店」「Bookshop M」「Akio Nagasawa」がそれぞれ出展を果たした。


ギャラリー「PGI」のブースとディレクターの高橋朗さん(パリ・フォト会場で筆者撮影)


「パリ・フォト」に初の出展となった「PGI」は、1979年に虎ノ門で「フォト・ギャラリー・インターナショナル」を開廊した写真専門ギャラリーの先駆けともいえる存在だ。今回のフェアには、世界的にも評価の高い日本人写真家の石元泰博をはじめ、伊藤義彦、楢橋朝子、潮田登久子、若手作家の清水裕貴などの作品を展示、紹介した。


これまで米国などでの国際フェアへの出展はあったがフランスは初めてだったというディレクターの高橋朗(さやか)さん。今回の「パリ・フォト」で多くのコレクターやビジターと接し、まだまだフランスでは森山大道や荒木経惟などビッグネーム以外の写真家はあまり知られていないことがわかった反面、手ごたえも感じたという。「これから継続して参加することで、日本の優れた写真家を伝えたい」と今後への意気込みを話してくれた。


パリ・フォト会場の「The Tokyo Toilet」展示ブース


また日本で安藤忠雄や隈研吾、片山正通といったクリエイターが参画してデザインしたことで話題になった東京・渋谷区の公衆トイレのリニューアルプロジェクト「The Tokyo Toilet」のコーナーが展示されていたのも大きな注目を浴びていた。


これはリニューアルされた17ヶ所の公衆トイレを約3年にわたって撮り続けた森山大道の写真集『THE TOKYO TOILET/ DAIDO MORIYAMA / SWITCH』が今回の「パリ・フォト」で発表されたことによるもの。このイベントに集まる人々なら誰もが知る森山大道によるトイレの写真が壁一面に展示され、写真が印刷されたトイレットペーパーまでホルダー付きで設置された。不思議の国ニッポンの「おもてなし」の究極ともいえるトイレ文化と写真がつながって、森山大道の新たな「視点」がクローズアップされた展示だった。


美術家・村上華子さん(パリ・フォト会場で筆者撮影)


そして世界に名だたる写真家による作品が並ぶ会場には、パリを拠点に活動する日本人美術家・村上華子さんの姿があった。彼女は古典的な写真の技法や活版印刷術など、過去のメディアに関する緻密なリサーチを続けながら、作品を制作している。今回は、現存する世界最古の写真を撮影したことで世界に知られるニセフォール・ニエプスに焦点をあてた一連の作品を発表。パリを拠点にする現代アートギャラリー「Jean-Kenta Gauthier」と、ヴィンテージ写真の分野では世界的に知られたニューヨークのギャラリー「Hans P. Kraus Jr.」の合同ブースで展示された。


村上華子さんの作品が展示されたブース Courtesy Jean-Kenta Gauthier and Hans P. Kraus Jr.


村上さんはその最古の写真が撮られた家「メゾン・ニセフォール・ニエプス」など、さまざまな場所をめぐり文献を丹念に読むうちに、写真が生まれた過程やその背景に関心を持った。ブースの入口に掛けられたのは《ニエプスの庭》と名づけられたカーテンのインスタレーション作品。そこに映っているのは、最古の写真を撮ったニエプスの背後にあった庭の景色で、私たちはここをくぐることで写真の原風景の中に入ることになる。そこで待ち受けるのは、写真が発明されたときに実験室を包んでいたであろう香りの作品《Air de l’image》(イメージの空気)。ニエプスが文献に残した写真作法のレシピから村上さんが再現したものだが、ラベンダーオイルとテレピン油などから生まれたという意外にも心がやすらぐいい香りだ。写真の発明という偉業が、私たちに近しいものにも感じられてくる。


村上華子さんの作品《Louis Daguerre à Nicéphore Niépce, 3 février 1828》©Hanako Murakami, Courtesy Jean-Kenta Gauthier


その先にあるのは赤く光るネオン管で「du Désir du Voir」(見たいという欲望)と書かれた作品《ルイ・ダゲールからニセフォール・ニエプスへ 1828年2月3日》。ニエプスが共同で写真技術を開発していたもう一人の写真発明家、ルイ・ダゲールとの往復書簡で、このダゲールがニエプスに宛てた手紙に「私は(あなたの実験の成果を)見たいという欲望に燃えている」とあったところから生まれたものだ。村上さんは語る。「まさに『見たい』というこの熱い思いこそが写真を作る動機、あるいは写真そのものじゃないかと考えて、この作品を作りました。ダゲールの筆跡をもとに形をつくったネオン管の中でつねにネオンガスが燃焼して光を発しているのは、彼の燃えるような思いを表しています」。


風景をくぐるカーテン、実験室の香り、燃えるような思い・・・・写真の根源に関わる問題提起をしながらも私たちの理解と五感に響くわかりやすさがあって、どこかユーモアさえ感じられるところが、村上華子さん作品の奥深いところだ。


それから数年後、このルイ・ダゲールによる「ダゲレオタイプ」という写真技術が発明され、またたく間に世界へと広がっていく。しかし写真の黎明期にはこれ以外にも数限りない技法の実験や試みが行われ、淘汰されていった。その中には商業化こそできなかったものの、作品として美しいものが数多くある。村上華子さんは、まだ誰も見たことのないさまざまなイメージの可能性があるのではないかと文献を研究し、自ら実験を繰り返してきた。そのうちのひとつが今回展示された「サーモグラフィー」による写真作品だ。


村上華子さんの作品 《Possible no. 3 (Thermographie)》, de la série des Possibles ©Hanako Murakami, Courtesy Jean-Kenta Gauthier


これを発明したドイツの物理学者モーザーは「物体はすべて暗闇の中でも光を発していて、物体が二つあればそれはお互いのイメージを映し合う」という理論を出した。この「光」は必ずしも目に見えるものではなく、その発する何かを可視化するために彼は研究を続け「熱」によってイメージを映しだす方法を編みだしたのだという。モーザーが書いたレシピは残っているが、実際の成果物は現存していない。村上さんはそれを何とか見たいと実験、再現し、この作品を創りあげた。


「古い時代の『写真』といえばイメージがはかなく薄く、色も乏しいものばかりだったのが、これは予想しないほどまばゆい色だった」と村上さんが語るその板は、確かにほかでは見られないような美しい輝きを放っていた。ダゲールの熱き思いのように、未知のイメージを「見たい」という村上さんの思いが生みだしたこの作品もまた、写真の根源そして写真という技法のまだ見ぬ可能性を感じさせてくれる。


イベント<フォトサンジェルマン>の会場の一つ


この「パリ・フォト」に合わせて、パリでは写真に関連したイベントや展覧会が数多く開催される。そのひとつが「PhotoSaintGermain フォトサンジェルマン」。その名の通り、パリのサンジェルマン・デ・プレ地区を中心にしたギャラリーや書店などが連携したエリアイベントで、パリ市民や「パリ・フォト」で訪れた人々、観光客たちが街歩きを楽しみながら各スポットをまわることができる。


美術家・櫻木綾子さん(ギャラリーで筆者撮影)


アートギャラリーが多く並ぶドーフィーヌ通りの「Galerie John Ferrère ギャラリー・ジョン・フェレール」で展示されていたのは、こちらもパリを拠点に活動する日本人写真家であり美術家、櫻木綾子さんの作品だ。


ギャラリー・ジョン・フェレール Galerie John Ferrère STACKS, PhotoSaintGermain, Installation view, photo © Gregory Copitet 


展示風景(写真中央の2点と左が櫻木さんとポメさんの共同制作作品)Galerie John Ferrère STACKS, PhotoSaintGermain, Installation view, photo © Gregory Copitet 


櫻木さんの経歴は美術家としては少し異色かもしれない。絵を描くことが好きだったという少女時代を経て、東京の大学でフランス文学、パリのファッションスクールで服飾を学んだあとに入社したのは、世界的なファッションブランドの「コム・デ・ギャルソン」だった。デザイナーとして第一線でキャリアを積むことに誇りを感じながらも、心のどこかにずっと「自分のクリエイション」にこだわる彼女がいた。「きっかけは東日本大震災でした。明日死ぬかも知れないのに、自分のやりたいことをしないでいたら後悔するんじゃないだろうか、と」。


思いきって会社を辞め、あらためて絵を学んで東京藝術大学大学院に進み、同時に写真の学びも深めた。そして交換留学でパリ国立高等芸術学校(エコール・デ・ボザール)に来たのをきっかけに、ここを編入受験して見事に合格。2022年に卒業して現在は美術家としての創作の傍ら、美術学校で講師も務める。


今回展示されていたのは、櫻木さんと同じく昨年ボザールを卒業し、画家として活動するリュック・ポメさんとの共同制作作品。ポメさんは主に自然からのインスピレーションをもとに、たくさんの層を重ねて、その堆積や時間の流れ、厚みを表現する作家だ。櫻木さんも目には見えない時間の形、写真の領域にありながらその枠を超える何かを求めていて、ならば二人で作品を作ってみようとプロジェクトが始まった。


櫻木さんとポメさんの共同制作による展示作品 AYAKO SAKURAGI − LUC POMMET, Sidolie / 紫緑 , 2023


制作には、古い写真作法のひとつである「サイアノタイプ」を使った。「サイアノタイプ」は液体の感光剤を紙に塗り、それを光にあてると美しい青色になり、オブジェを使って光を遮ったところは白く残る。画家の彼は筆を使って感光剤で絵を描き、露光させたものを郵便で櫻木さんに送る。櫻木さんはその上にまた感光剤をかけ、葉などの影を使って露光させてまた彼に送るというプロセスを繰り返す。まるで文通のような対話が一枚の紙の上に積み重なって、迷路のように複雑なイメージが構成され、光と時間の蓄積が作品として形づくられていった。


櫻木さんが最近発表した作品の中には、ピンホールカメラを使った独創的な作品もある。


パリのスーパーマーケット「Franprix」内で映し撮られたイメージから作られた作品《Franprix, 11 rue Casimir Perrier Paris 7》


ピンホールカメラは写真機のもっとも原始的な形で、針穴をあけた暗箱にフィルムを装填し、穴から差し込む光で感光させ、イメージを映し撮るものだ。彼女はこのピンホールカメラを持ち歩いて光の多いパリのスーパーマーケットを歩き、あるいは暗箱を郵便で国外に送って旅をさせ、偶然に得られるイメージを現像する。これもまた光と時間の積み重ねであり、自分の意志とは関係のない偶然性の生みだしたもの。そこには自分が見たことのないものを見たい、そして作品のイメージを写真という表現の限界ぎりぎりまで持っていきたい、という思いがあるという。確かにそこには、私たちにとっても見たことのない新しい魅力をもった「写真」があった。


パリが写真に沸く秋に村上華子さん、櫻木綾子さん二人の美術家が見せてくれたのは「写真」という手法が持つ未知の可能性と、目には見えないものを「見たい」という美術家としての強い探究心。そして数多くの実験、時には失敗を重ねながらも、完成度の高い作品を創りあげていく粘り強さとこだわりだった。こうした美術家や写真家の絶え間ない挑戦をたどることができる現代アートの魅力に、また触れた気がした。


ピンホールカメラを郵便を使って旅をさせて生まれた櫻木綾子さんの作品《108 days – M-24A

村上華子 

東京大学文学部思想文化学科美学芸術学専修課程卒業。2009年、東京藝術大学大学院映像研究科メディア映像専攻修了。2013年度ポーラ美術振興財団在外研修員(パリ)。2014年、ル・フレノワ フランス国立現代美術スタジオ在籍。近年の主な個展は「Imaginary Landscapes」(タカ・イシイギャラリー、2022年)、「クリテリオム96 村上華子」(水戸芸術館現代美術ギャラリー、2019年)など。

ウェブサイト https://www.hanakomurakami.net/



櫻木綾子

上智大学文学部フランス文学科卒業後、渡仏。スタジオ・ベルソー(パリ)にてファッションデザインを学ぶ。日本帰国後コム・デ・ギャルソンに入社し企画・デザインなど11年の実務経験ののち、東京藝術大学大学院美術研究科グローバルアートプラクティス専攻卒業。2020年に渡仏し、パリ国立高等芸術学校(DNSAP)に編入、2022年卒業。ニューヨークでの個展「hundred and eight days」(The Fridge、2023年)など多数の展覧会に参画。

ウェブサイト https://ayakosakuragi.wixsite.com/mysite




(文)杉浦岳史/パリ在住ライター
コピーライターとして広告界で携わりながら新境地を求めて渡仏。パリでアートマネジメント、美術史を学ぶ高等専門学校IESA現代アート部門を修了。2013年よりArt Bridge Paris – Tokyo を主宰。広告、アートの分野におけるライター、アドバイザーなどとして活動中。パリ文化見聞録ポッドキャストラジオ「パリトレ」配信中です。

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