フランスは日本と比べて暮らしとアートが近いところにある、と言われる。そして実際にその通りだ。もちろんその人がどんな生き方をしているか、どんな趣向かによって置かれる作品やオブジェは変わる。けれど、お気に入りのオブジェや、生き方に共感する芸術家の作品を住まいに取り入れ、ほかにない自分だけの世界を創ることが上手な人がフランスにはとても多い。そんな気がする。

そんなフランス人を象徴するある出来事があった。引っ越しをした夫婦に招かれて新居に出かけたときのこと。その友人は玄関先で突然、申し訳なさそうな顔で切り出した。「ごめんね、まだ引っ越したばかりで壁になにも飾ってないの・・・」。シックなアパルトマンは、それだけで十分さまになっていたが、彼らからすれば、まだ人に見せる準備が整っていないと感じさせるようだった。絵画や写真、受け継がれたオブジェなどを置くことで、はじめて空間はスタイルを持ち始める。「間」の文化やミニマルなスタイルに慣れた日本人とは、少し違う感覚がこちらにはあるようだ。

ドローイングハウスのモダンなファサード Drawing House © Gaëlle Le Boulicaut

そんなフランス人にとっての空間とアートの関係を理想化したようなホテルが、ちょうど1年前パリのモンパルナスに誕生した。その名も「ドローイングハウス」。「モンパルナス」といえば、かつてピカソやモディリアーニ、スーティン、藤田嗣治などの若い画家たちが個性を競いあっていた芸術の都・パリの聖地。そこに生まれた9階建・143の客室には、いまフランスを中心に活躍する現代アーティストたちのドローイングが展開され、まるで理想的なパリの住まいを訪れたかのような空間でゲストを迎えてくれる。

ラマルシューオヴィーズによるインスタレーション(写真右)Installation Lamrache Ovize, Drawing House © Gaëlle Le Boulicaut

「ドローイングハウス」のフロント、このホテルの顔となるのがフロランティーヌとアレクサンドル、二人のフランス人美術家デュオ「LAMARCHE-OVIZE ラマルシュ=オヴィーズ」の作品。彼らはパリ郊外を拠点に、パリやブリュッセルでの展示のほか、ニューヨークのドローイングセンターなどのアート・イン・レジデンスで制作・展示をするなど国際的に活動の幅を広げている。内装を担当したフランスのNIDOアーキテクチャーのインテリアデザインと呼応したモダンながら居心地のいい空間が印象的だ。

ラマルシューオヴィーズによるインスタレーション Installation Lamrache Ovize, Drawing House © Gaëlle Le Boulicaut

客室は、この「LAMARCHE-OVIZE」のほか、Karine Rougier(カリーヌ・ルージエ)そしてMathieu Dufois (マチュー・デュフォア)の二人が手がけた作品が空間を彩る。

カリーヌ・ルージエによるドローイング Karine Rougier, Drawing House © Gaëlle Le Boulicaut

地中海に浮かぶマルタ共和国出身で現在はマルセイユを拠点に活動する美術家カリーヌ・ルージエ。彼女の作品にはさまざまな登場人物が現れる。インドの神々、仮面をかぶったシャーマン、中世の画家ヒエロニムス・ボスの絵画のキャラクター、あるいは旅や地中海を潜水するなかで見たもの・・・。それらが時間の感覚を超えて交差し、彼女の作品で形になって表れる。彼女は2017年のベネチア・アートビエンナーレでマルタ共和国の代表に選ばれて展示。2022年にはドローイングのアートフェア「Drawing Now」賞を受賞した。

マチュー・デュフォアのドローイング Mathieu Dufois, Drawing House © Gaëlle Le Boulicaut

マチュー・デュフォアも同じように、過去の写真や映像アーカイブから得たイメージを使い、それをドローイングという行為によって描き起こすことで、過去の感情や記憶を浮かび上がらせる。そこに描かれたのは、いつの時代のどこのものなのか。一度は実在したシーンだと思うと、どこか知らない世界に遭遇したような不思議な感覚にとらわれる。

Piscine de la Drawing House © Lucie Bremeault

ゲスト専用のプールにも現代美術家の絵画が広がる。1982年パリ生まれの美術家マリオン・シャレが描いたのは、現実とイマジネーションの交差する作品。彼女は、自ら撮影した風景から人の気配を消し去り、建築物で覆われ植物が生い茂るような力強い虚構の風景を創り出す。色彩の強さ、透明度と不透明度の使い分けから生まれたイメージの深みが、プールという空間で異彩を放っている。

Piscine de la Drawing House © Lucie Bremeault

このドローイングとホテルが一体となったコンセプトは、パリでは2拠点目の展開となる。アート界では世界的に知られるパリのアートフェア「Drawing Now(ドローイングナウ)」の創設者でもあるクリスティーヌ・ファルとカリーヌ・ティソの母娘が始めた「ドローイング・ソサエティ」が運営主体だ。現代ドローイングというジャンルを広く普及させるとともに、アーティストたちの活動の場、発表の場を提供する役割を担っていくことを夢みて立ち上げたのだという。このドローイングハウスにも、常設の作品とは別に「ドローイングホール」という展示スペースが併設され、展覧会が開催される。

Espace spa, Drawing House © Gaëlle Le Boulicaut

アートと社会の距離が近く、日本に比べてコレクターも多いとはいえ、フランスでもアーティストの経済的な自立は簡単なことではない。こうしたホテルの存在が、アートと空間デザインの理想的な関係や、住まいにアート作品を置くことの豊かさを人々に気づかせ、アーティストたちが活躍する機会になることを期待したい。

ここドローイングハウスは、ホテルサービスのクオリティでも定評がある。またブールデル美術館やザッキン美術館などの小さなミュゼや、かつてアーティストたちが活躍したヴィラージュ、彼らが眠る墓地まで、モンパルナスならではのアート、デザインを辿るスポットも数多い。時には滞在するホテルにもこうしたアート感覚を加えてみてはいかがだろう。

Restaurant de la Drawing House © Gaëlle Le Boulicaut

Drawing House ドローイングハウス

21 rue Vercingétorix 75014 Paris, FRANCE

詳しい情報・予約は

https://www.drawinghouse.com/

ドローイングソサエティによるもう一つのホテル

Drawing Hotel ドローイングホテル

17 rue de Richelieu 75001 Paris, FRANCE

詳しい情報・予約は

https://www.drawinghotel.com/

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