「抽象絵画」は難しい、少しとっつきにくいという印象を持っている人も多いかもしれない。その名の通り、何か具体的なものが描かれているわけではないので、どう理解していいかわからない、というのも自然な反応だろう。しかし、よくよく思い起こしてみれば、具体的なものが描かれているからといって私たちが感動するとも限らない。
アートは感情の伝達である、と言われることがある。ならば心を動かされたり、それを見て感動したとすれば、それが具体的であっても、抽象的であっても、私たちに伝わったことになる。抽象ならそれは色の美しさや深みかもしれないし、アーティストの息づかいを感じる筆跡や絵の具という素材の存在感、あるいはキャンバスの大きさかもしれない。まずは理解しようとすることより、素直に作品と向き合ってみるというのがきっといいのだろう。そこからさらにその絵が描かれた背景やそのときの画家の感情に思いを寄せてみると、より深く作品を知ることができる。
そんな抽象絵画の愉しみにふさわしい画家としておすすめしたいのが、マーク・ロスコだ。
マーク・ロスコの絵の前に立ってみる。作品には誰も描かれていず、何も置かれていない。美しい色があり、重なる筆跡がある。ずっと見つめていると、同じ色に見えていた表面が幾つもの色のグラデーションで成り立っていることがわかる。そうして眺めているうちに、静かに心が作品に惹かれていき、いつしか周りの景色が消えて、自分と絵だけがそこにいるかのように感じられてくる・・・。
いまパリのルイ・ヴィトン財団美術館で開催されている「MARK ROTHKO マーク・ロスコ展」は、冬枯れの静かなブーローニュの森にあっても熱い視線を集め、毎日多くの人々が訪れている。1999年にパリ市立近代美術館で開催されて以来、パリでは24年ぶりとなるマーク・ロスコ(1903-1970)の回顧展。ワシントンのナショナル・ギャラリーやフィリップス・コレクション、ロンドンのテート美術館など世界各地の主要な美術館のコレクションに加えて、画家の遺族をふくむ個人が所有する作品など約115点が集まった大規模なものとなった。
世界的に知られた抽象絵画の作品群はもちろんのこと、彼がそのキャリアの初期に描いたニューヨークの街や地下街などの具象画も展示されている。初期と後期の意外なほどのそのギャップがとても興味深く、なぜ作風が変化したのだろうと素朴な疑問も沸いてくる。
マーク・ロスコ、本名マルクス・ロトコヴィッチは、1903年にロシア帝国領だった現在のラトビアでユダヤ系の両親のもとに生まれた。息子たちがロシア軍に徴兵されないようにと、一家はアメリカに移住。彼はポートランドで育ち、奨学金を得て名門イェール大学に入るが、どちらかといえば学業よりは音楽、文学、ギリシャ神話に親しみ、読書を愛する青年であったという。しかし当時のユダヤ系への厳しい視線と、アングロサクソンではない民族への差別もあって、彼は大学を退学しニューヨークに渡る。そこで偶然友人に連れだって行ったヌードデッサンの教室を見て、人間の身体を描くことに興味を持った。「自分が人生をかけて取り組みたいのはこれだ」と思ったという。
美術学校のアート・スチューデンツ・リーグで画家のマックス・ウェーバーに学びながら、メトロポリタン美術館でフェルメール、レンブラント、ターナーなど巨匠たちの作品にふれ、彼はデッサン、絵画の腕を磨いていく。
1928年には若いアーティストのグループとともにギャラリーで作品を展示し、30歳になる1933年に彼はポートランド美術館で初の個展を開催。1930年代に一世を風靡したニューヨークの地下街の風景や行き交う人々、多くの人物像など具象画を中心にした作品を手がけた。しかしヨーロッパでのナチスドイツの台頭はアメリカにいたユダヤ人の彼にも影響を与え、一時は完全に絵をやめていた時期もあったという。
アメリカ国籍を取得し、ユダヤ系の名前から「マーク・ロスコ」という出自のわかりにくい名前にしたのもこの頃だった。ふたたび始めた絵画は内省的で、彼が読みふけった神話や哲学、あるいはナチスの弾圧から逃れてアメリカへ渡ってきたシュールレアリスムの画家たちに影響された作風へと変わっていく。
しかし、ロスコの中で何か大きな変化が始まっていた。この頃、彼や友人の画家アドルフ・ゴットリーブらはニューヨーク・タイムズの批評に応えて「私たちは複雑な思想をシンプルに表現することを支持する」と語っている。そしてサンフランシスコでの滞在で出会った画家クリフォード・スティルが描く抽象的な表現は、マーク・ロスコのその後に大きな影響を与えることになった。
第二次世界大戦が終わったとき、ロスコは抽象への決定的な転換を図る。その最初の段階が、浮かぶような色彩の塊が互いに均衡を保つように配置された「マルチフォーム」だった。
やがて色の塊は数が減り、1949年頃からは長方形のカタチが重ね合わされたような、今ではマーク・ロスコのスタイルとして知られる空間構成へと近づいていく。
1950年にメトロポリタン美術館で開催された展覧会「アメリカ絵画の今日」では、ロスコやスティルのような新しい潮流が採用されず、戦前のモダンアートを引きずった作品が並んだ。彼はジャクソン・ポロックやバーネット・ニューマン、ウィレム・ド・クーニングなど、後世の美術史に名を連ねるようになる画家とともに抗議文を発表。雑誌「ライフ」にも取り上げられ大きな波紋を起こした彼らの表現は「抽象表現主義」と呼ばれ、注目を集めるようになる。
「もう一度ゼロから始めなければ。まるで今まで絵画が存在しなかったかのように」・・・。そう語った彼らには、それまでの古い絵画と決別しなければならないという強い想いがあった。
しかしロスコはこの「抽象表現主義」という呼び方を良しとしなかったという。抽象的に見える絵画にも、彼にとってそこには世界が表現されていた。それは歴史や現実に開かれた「窓」だった。
「私の芸術は抽象ではありません。生命であり、呼吸なのです」ロスコのこの言葉は、彼が単に平面的に色が塗られた絵画を求めていたわけではないことを物語っている。
そんな彼は「カラリスト」(色彩主義者)と呼ばれることにも嫌悪感を示した。なぜなら彼が求めていたのはただの色ではなく、彼が愛したマティスの作品の背景のように「空間を形づくる手触りのある色」であり、そしてまた色彩を構成する「光」を意識していたからだ。
ロスコはこの頃、「アメリカ人」となってからはじめてヨーロッパに戻り、フランスやイタリアでアートを再発見している。彼はとりわけイタリアを愛し、ルネサンス期の巨匠ジョットやラファエロ、ベネチア絵画のティツィアーノに見る色づかいとその手触り感のある表現、そこから生まれる色と光のセンシュアリティ(官能性)に強く惹かれたという。ちなみにここでの「官能」とは性的なものではなく、香りや料理や触覚、視覚から人間の心に触れ、「歓び」を感じる要素をいう。アートの本質のひとつと言ってもいいかもしれない。
そしてアメリカに帰るとその表現を自分の作品に反映することに力を注いだ。彼はイタリア絵画によく見る、卵を使ったテンペラ画の手法に答えを見出してそれを採り入れつつ、独自の顔料配合で絵具をつくり、最後までその秘密を明かさなかった。それがまさにロスコの色と彼が求めたセンシュアリティを生みだし、私たちの心に伝わる作品へと昇華したのだ。
1958年、ロスコは建築家ミース・ファン・デル・ローエが手がけたニューヨークの「シーグラムビル」にあるレストラン「フォーシーズンス」の壁画シリーズ、いわゆる<シーグラム壁画>を依頼された。彼はスペースとほぼ同じ大きさのアトリエを借りるなど意欲的に取り組んだが、富裕層が集まるこのレストランのコンセプトを嫌い、結局この契約を解除。大絵画で30点にもおよぶこのシリーズをすべて手元に残したが、11年後の1969年に彼が尊敬する画家ターナーの作品を多く所蔵するロンドンのテート・ギャラリーにそのうちの9点が寄贈され、専用の部屋「ロスコ・ルーム」が設けられた。
ただ残念ながらマーク・ロスコはこの「ロスコ・ルーム」に作品が到着する1970年2月にアトリエで自ら命を絶ち、その完成を見ることはなかった。今回の展覧会では部屋の光を抑え、作品本来の色の粒子が浮き立つように、そして作品と鑑賞者の親密な関係が生まれるよう画家自身が残した指示に合わせて特別な展示が実現されている。ひとつ一つ、静かに向き合いたい作品だ。
このほか展覧会ではさらに、かつてパリのユネスコビルのアートプロジェクトとして構想されながら日の目を見なかった、マーク・ロスコと彫刻家アルベルト・ジャコメッティの競演も実現した。
「神秘的」「哲学的」「厳粛」「不可解」など、マーク・ロスコの作品はさまざまな言葉で語られてきた。実際彼は、歓びや悲劇など人間のあらゆる感情を呼び起こそうとしたとされ、そのどの解釈も正しいのかもしれない。おそらく大切なのは、この作品がどう語られてきたかではなく、作品と向き合う自分の心が何を感じ、どんな感情を抱いたか、なのだろう。できるだけ作品に近づくようにと語ったロスコ。離れて作品全体の写真を撮ることに夢中になるより、一歩近づいて、自分の眼と心で見つめることをおすすめしたい。
日本では千葉県のDIC川村記念美術館の「ロスコ・ルーム」で<シーグラム壁画>のうち7点を見ることができる。興味を持った方はぜひ足を運んでみてほしい。
Fondation Louis Vuitton
MARK ROTHKO
ルイ・ヴィトン財団美術館「マーク・ロスコ」展
会場:ルイ・ヴィトン財団美術館(パリ)
8, Avenue du Mahatma Gandhi Bois de Boulogne, 75116 Paris
会期:2024年4月2日(火)まで
開館時間:10:00〜20:00
入館料その他の情報は展覧会HPへ
https://www.fondationlouisvuitton.fr/en(英語)
DIC川村記念美術館 HP