東京・白金台の静かな住宅街に、ひっそりと佇む美術館がある。松岡美術館は実業家・松岡清次郎が約半世紀をかけて築き上げた約1800件もの所蔵品からなる一大コレクションをもとに開館したもの。この美術館では2月27日から6月2日まで企画展『日本の山海』を開催。ふだんあまり見る機会がない日本美術の美しさや面白さを探しに、白金台や広尾、恵比寿の街散歩にあわせてぜひ訪れてみたい。

松岡美術館

世界の中で、日本ほど豊かな自然に恵まれた国はそう多くないだろう。四方を海に囲まれ、国土の約7割が森林という特殊な環境は、私たち日本人の暮らしに恵みをもたらしながら、時に猛威をふるってきた。山や海は、神が宿ると言われるような信仰の対象になり、親しまれつつも畏敬の念を抱かせる特別な存在であり続けている。大自然に接することの少ない現代に生きる私たちでさえ、自然に対するどこか独特の感受性があるのではないだろうか。

特に芸術家にとっては、自然の造形や色は古くから恰好の題材だった。展覧会『日本の山海』は日本の画家による絵画の作品から、そのタイトルの通り、山と海を描いた作品を紹介する。作品の表現に隠された意外な歴史や日本人の自然に対する感性に目を向けてみると、見慣れたような作品でも違った見え方がして面白くなってくるはずだ。

富士山のイメージを変えた一冊の本。

下村観山《富士》大正7~8(1918~1919)年頃 絹本着色 後期展示

旅行や登山で自然を楽しむ・・・今ではあたりまえの休日の過ごし方だが、実はずっと昔からあったわけではない。江戸時代までは、鉄道や車などの交通手段はもちろん、庶民には「余暇」という発想すらなかった。そこから明治時代になって近代化が進むと、現代のような西洋式登山が輸入され、信仰や生活のためではなく、調査研究やレジャーとして山に登り、自然を愛でる人が出てきた。

そして地理学者で評論家だった志賀重昂の著書『日本風景論』が1894年(明治27年)に発表されるとベストセラーになり、日本人の自然を見る眼に変化が起こり、芸術家の視線にも影響を与えた。

横山大観《黎明》昭和4(1929)年頃 絹本墨画淡彩 後期展示

たとえば日本最高峰の富士山。志賀重昂は、この『日本風景論』の中で「『名山』中の最『名山』を富士山となす」と表現。つまり日本のシンボル、いちばんの名山としてこの「富士山」を規定した。

もちろん富士山は、古くから霊山として知られ、平安時代などから多くの画家が描いてきたが、「富士山が日本一の名山である」という認識は明治以前にはなかったものだったらしい。確かに、多くの藩に分かれ、それぞれが「国」のように存在していた時代。日本という国を意識する人も少なかったにちがいない。

橋本雅邦《春景富岳図》 明治26(1893)年頃 絹本着色 後期展示

富士山を日本一の名山と位置づけて、日本の国土を賛美する志賀重昂の論調は、学校教育の教科書にとりこまれて、国民のあいだに広がっていく。そして宗教的な崇敬の対象になり、さらに大日本帝国の国威発揚のシンボルとしての役割も帯びて、絵画やデザイン、歌などさまざまに表現されてきた。

第二次世界大戦が終わって、「神国」とされた日本が平和主義国になると、富士山も神国日本の象徴から、平和の象徴、あるいは日本人の心の拠りどころへと意味が変化していくことになった。「日本一」であり「シンボル」であることに変わりはないけれども、それが日本の強さや偉大さを象徴するものではないことは、今の私たちの富士山に対するイメージを思い起こせば理解できる。展覧会で紹介された江戸時代から昭和時代にかけての「富士の絵」を、そんな観点から見て、比べてみたい。

海の新しい描き方に挑戦した画家。

竹内栖鳳《晴海》大正7 (1918)年頃 絹本着色 後期展示

主に明治から大正時代にかけ、横山大観とならぶ日本画の大家に竹内栖鳳(せいほう)、寺崎廣業(こうぎょう)という画家がいた。彼らは「西の栖鳳、東の廣業」と称され、当時の日本画壇を牽引し、その近代化に貢献した。京都に生まれた竹内栖鳳は、日本の伝統的な絵画表現と西洋美術の表現を縦横に取り入れ、実験を重ねた画家だった。上記の《晴海》は、モティーフの数を抑えつつ抽象化し、余白で鑑賞者の想像力をかきたてる「省筆」という手法で描かれている。木々や舟、苫屋のバランスの良い配置、くっきりとした地平線と霞む水平線の対比で、奥行きのある新しい風景表現を生みだした。日本人の郷愁を誘い、ずっと見ていたくなるような景色と鮮やかな色が美しい。

寺崎廣業《春海雪中松図》大正3(1914)年 絹本着色 後期展示(上は左隻、下が右隻)

一方の寺崎廣業は、さまざまな画派の技法を取り入れながら、自身の目で捉えた自然の印象を投影する新たな風景画を模索した。こうした浜辺の松林を描く図は「浜松図」と呼ばれる伝統的な画題で、鎌倉時代の絵巻に描かれ、特に室町時代に好まれたという。廣業は、地上に露出した松の太い根をクローズアップした大胆な構図で、画面にインパクトと臨場感をもたせた。「根上がり松」と呼ばれるこのモティーフは「値上がり」を彷彿させる商売繁盛の縁起物とされるが、こうした言葉遊びや粋などが感じられるのも日本画の面白さだ。

酒井抱一《三笠山》江戸時代 絹本着色 前期展示

ほかにも江戸時代後期の絵師・酒井抱一(ほういつ)が描く、情緒あふれる山の風景。あるいは現代画家の斉藤惇の海景など、時代を超えた日本画家の潮流、自然に対するアーティストたちの感受性や敬意が見てとれる作品が並ぶ。日本人だからこそ説明なしに伝わる情感、そしてその背景の歴史や物語を知ってから違った視点で絵を観る面白さを、この展覧会で見つけてほしい。

企画展 日本の山海 

会場:松岡美術館(港区白金台5-12-6)

会期:2024年2月27日(火)〜6月2日(日)

絵画作品の一部入れ替えがあります。

前期 2024年2月27日(火)〜4月14日(日)

後期 2024年4月16日(火)〜6月2日(日)

開館時間:10:00〜17:00(入館は16:30まで)毎月第1金曜日10:00〜19:00(入館は18:30まで)

休館日:毎週月曜日(祝日の場合は翌平日)

詳しくは美術館公式サイトへ

https://www.matsuoka-museum.jp/

※記載情報は変更される場合があります。

最新情報は公式サイトをご覧ください。

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