「クロード・モネ」の名前、そして彼が印象派の画家の一人で、風景を中心にした絵画をたくさん残したことは、多くの人が知っているだろう。けれどモネが、実はその風景画で世間を驚かせ、絵画の伝統を打ち破ったアヴァンギャルドなアーティストだったというと、まさか!と思う人が多いのではないだろうか。

当時はギリシャ・ローマ神話をテーマにした古典主義や、写実主義、あるいは風景画といっても見える景色を正確に描こうとした自然主義がまだアート界の主流だった時代。モネは自然の中に身を置きながら、一瞬一瞬で変わり続ける景色や光のきらめき、風の動きを見つけ、それをなんとか絵に描きとめたいと願い、新しい手法で表現しようとした。伝統的な技法を打ち破って生みだした独自のスタイル、そして彼がこだわった「連作」に込められた想い・・・。クロード・モネの一生をかけた挑戦に注目する展覧会、それが上野の森美術館で開催されている「モネ 連作の情景」だ。

《積みわら、雪の効果》1891年 油彩、カンヴァス 65.0×92.0cm スコットランド・ナショナル・ギャラリー © National Galleries of Scotland. Bequest of Sir Alexander Maitland 1965

そのタイトル通り展覧会には、同じ場所を違う時間、天候、季節で描き分けた「連作」が多く展示されている。しかしモネの人生で、連作のシリーズが現れるのは少しあとのこと。まずは「印象派以前」のモネに時計の針を戻してみよう。

モネ、印象派の前と後で。

モネがパリで生まれたのは1840年。その後フランス・ノルマンディー地方の港町ル・アーヴルに移り、18歳までの多感な時期を海と緑の美しい自然に包まれた街で暮らした。デッサンが得意で、カリカチュアと呼ばれる似顔絵などの風刺絵を描いていたのが評判になり、彼が17歳のときに噂を聞いた風景画家のウジェーヌ・ブーダンと運命的な出会いを果たす。16歳年上のブーダンはモネを戸外のスケッチに誘い、生き生きとした自然を描く醍醐味を教える。その素晴らしさを知ったモネは画家を志し、18歳のときパリへと向かった。

《ルーヴル河岸》(初来日作品)1867年頃 油彩、カンヴァス 65.1×92.6cm デン・ハーグ美術館 © Kunstmuseum Den Haag – bequest Mr. and Mrs. G.L.F. Philips-van der Willigen, 1942

モネはパリの画塾でピサロやルノワール、シスレーなどのちに「印象派」と呼ばれるようになる画家たちと出会う。新しいアートを志す友人たちと切磋琢磨しながら彼は絵の勉強を続け、当時フランスの若い画家にとって成功への登竜門だった官展(サロン)で1865年に初入選。翌年も、のちに妻になるカミーユをモデルにした《カミーユ(緑衣の女性)》と風景画が入選し、順調なデビューを飾った。しかしその翌年の1867年に自然光の変化を初めて表現した作品が審査員に受け入れられずサロンに落選。その後も落選を重ねることになる。

上の《ルーヴル河岸》はその頃の作品。1867年のパリ万博で活気あふれる街を、許可を得てルーヴル宮2階から描いた、モネには珍しい都会の風景画だ。あえて光の変化の表現を封印した伝統的な手法には、世間に認めてほしいという想いが込められていたのかもしれない。

《昼食》(初来日作品)1868-69年 油彩、カンヴァス 231.5×151.5cm シュテーデル美術館 © Städel Museum, Frankfurt am Main

初めて日本で展示されることとなった作品《昼食》も、1870年のサロンに落選してしまう。食卓に座っているのは後に結婚するカミーユと息子のジャン。新聞のおかれた手前の席はおそらくモネ自身の場所。家族で昼食を囲む喜びが描かれているが、この頃のモネは経済的にはかなり苦境にあったとされる。

オランダ滞在を経て帰国したモネは、パリの郊外セーヌ川沿いのアルジャントゥイユに家族で移り、風光明媚なこの地を描いた。画商もつきはじめて手ごたえを感じた彼は、サロンをあてにせず仲間たちと新たなグループ展の開催を構想。1874年にあの有名な最初の印象派展が開催されることになった。

《モネのアトリエ舟》1874年 油彩、カンヴァス 50.2×65.5cm クレラー=ミュラー美術館 © Collection Kröller-Müller Museum, Otterlo, The Netherlands, photo by Rik Klein Gotink

アルジャントゥイユでより自然に近づこうとしたモネを象徴するのが、この《モネのアトリエ舟》だろう。彼はアトリエ代わりに乗って川面や水辺の景色を丹念に見つめ、美しい瞬間を逃すまいと、短いタッチで細かく筆をたたくように描いていく。絵具を混ぜたり重ねたりすると暗くなることを知っていた彼は黒を使わず、鮮やかな光を描くために色を分割して乗せた。これが彼の特徴のひとつである「筆触分割」であり、ほかの印象派の画家たちにもよく見られる「点描」もこの発想に基づく。しかし当時の古い画壇の人々には未完成の絵のような粗野なものにしか見えなかったようで、多くの人々が批判の声を浴びせたという。

私たちの目には柔らかで優しく見える彼らの風景画が、いかにこの時代において異端で革命的であったかの現れと言えそうだ。

《ヴェトゥイユの教会》1880年 油彩、カンヴァス 50.5×61.0cm サウサンプトン市立美術館
© Southampton City Art Gallery

パリから北西に60kmほど行った街、ヴェトゥイユの教会を眺めるこの作品も、やはりボートの上から描いたもの。この頃、最大の顧客であり家族ぐるみのつきあいもあった実業家のエルネスト・オシュデが破産してモネは経済難に。生活費を抑えるため、オシュデ家とモネ家は1878年にここヴェトゥイユで2家族12人の同居生活を始めていた。体調を崩して寝込んでいたモネの妻カミーユは1879年に死没。オシュデも家を離れがちになり、オシュデの妻アリスとモネ、そして2人の子どもたちの暮らしが始まった。

新しいスタイルの追求と連作の始まり。

《ヴェンティミーリアの眺め》1884年 油彩、カンヴァス 65.1×91.7cm グラスゴー・ライフ・ミュージアム(グラスゴー市議会委託)© CSG CIC Glasgow Museums Collection. Presented by the Trustees of the Hamilton Bequest, 1943

モネは絶え間なく変化する風景の描写にますます夢中になり、新しいテーマと光を求めてヨーロッパ各地を旅する。この頃にはすでに鉄道網が発達。旅行があたりまえのものになり、彼もまた自分が育ったル・アーヴルやその近郊のエトルタ、イタリアやモナコなどへと旅を重ねていった。

本展で展示されている《ヴェンティミーリアの眺め》もそのひとつ。モネがよく知るパリやノルマンディーとは違う、美しく輝く地中海沿岸の光。それを明るい色彩で捉えようと、それまであまり使ったことのなかった青やピンクで表現した。

《ラ・マンヌポルト(エトルタ)》1883年 油彩、カンヴァス 65.4×81.3cm メトロポリタン美術館 Image copyright © The Metropolitan Museum of Art. Image source: Art Resource, NY. Bequest of William Church Osborn, 1951 (51.30.5)
《エトルタのラ・マンヌポルト》(初来日作品)1886年 油彩、カンヴァス 81.3×65.4cm メトロポリタン美術館 Image copyright © The Metropolitan Museum of Art. Image source: Art Resource, NY. Bequest of Lillie P. Bliss, 1931 (31.67.11)

エトルタは、ノルマンディー地方の沿岸で断崖と奇岩の風景で知られた景勝地。ドラクロワやクールベなど画家たちを惹きつけ、今も多くの観光客が訪れる。モネは1883年から86年にかけてこの地で絵を描き、「ラ・マンヌ・ポルト」と名づけられた奇岩をアップで描いた。光と色、海の表情の違いに、モネの描きたかった「変化」が伝わってくる。

1883年の春、42歳になるモネとアリスの家族はセーヌ川流域の村、現在モネの家と庭のあるジヴェルニーに転居。彼は周囲の豊かな自然の中で制作に励み、いよいよ本格的な「連作」に取りかかり始めた。彼が体系的に「連作」の手法を実現したのは〈積みわら〉が最初だとされ、刻々と変化する光と風景を、複数のカンヴァスを並べて同時進行で進めたという。

《積みわら、雪の効果》1891年 油彩、カンヴァス 65.0×92.0cm スコットランド・ナショナル・ギャラリー © National Galleries of Scotland. Bequest of Sir Alexander Maitland 1965

この作品《積みわら、雪の効果》は1891年にデュラン・リュエル画廊で展示された15作品のうちの1点。個展は大好評をおさめ、その後《ポプラ並木》《ルーアン大聖堂》など本格的な連作の時代へと入っていく。

また1899年から1901年にかけて3度ロンドンを訪れたモネは数々の連作を手掛け、中でもテムズ川にかかるウォータールー橋を幾度となく描いている。わざわざ霧の深い冬を選んで訪れたというモネは、ロンドン名物の霧を通した複雑な光をとらえようとした。橋そのものよりも、光が生みだす色彩の微妙なトーン、時間や天候でまったく異なる表情と個性が現れて、私たちは写真より鮮やかにモネの感じたものを見ることができるようだ。こうした連作の着想には、モネが愛した浮世絵の影響も指摘されている。

《ウォータールー橋、曇り》1900年 油彩、カンヴァス65.0×100.0cm ヒュー・レイン・ギャラリー
Collection & image © Hugh Lane Gallery, Dublin
《ウォータールー橋、ロンドン、夕暮れ》1904年 油彩、カンヴァス 65.7×101.6cm ワシントン・ナショナル・ギャラリー © National Gallery of Art, Washington. Collection of Mr. and Mrs. Paul Mellon, 1983.1.27
《ウォータールー橋、ロンドン、日没》1904年 油彩、カンヴァス 65.5×92.7cm ワシントン・ナショナル・ギャラリー © National Gallery of Art, Washington. Collection of Mr. and Mrs. Paul Mellon, 1983.1.28

モネが家族と移ってきたジヴェルニーは、その後彼が亡くなるまで、彼のインスピレーションの源であり続けた。彼は借りていた家と土地を購入し、それを拡張しながら「花の庭」「水の庭」を本格的に整備。庭に咲く藤や芍薬など多彩な草花を描き、1890年後半からは300点におよぶ〈睡蓮〉のシリーズに取り組んだ。

《睡蓮》1897-98年頃 油彩、カンヴァス 66.0×104.1cm ロサンゼルス・カウンティ美術館, Los Angeles County Museum of Art, Mrs. Fred Hathaway Bixby Bequest, M.62.8.13, photo © Museum Associates/LACMA

最初は風景として描かれていた〈睡蓮〉は、次第に視線が水面に集中していく。年を追うごとに視力が衰えると筆致はより粗く、輪郭が曖昧になり、対象物よりも色と光のハーモニーが画面を占めるようになる。年代によって描き方が変化していく〈睡蓮〉のさまざまな風景も見どころのひとつだ。

国内外の40館以上から代表作が集まり、展示作品がすべて「モネ」という贅沢かつ貴重な展覧会。彼が光をとらえようと何千、何万と描き込んでいった細やかな筆のタッチや、画像では絶対に伝わらない複雑な階調の淡い色、そして連作を通じて見えてくるモネの想いを、ぜひ会場で感じてみたい。

展覧会「モネ 連作の情景」

会場:上野の森美術館

会期:2024年1月28日(日)まで

開館時間:9:00〜17:00(金・土・祝日は〜19:00) ※入館は閉館の30分前まで 

休館日:2023年12月31日(日)、2024年1月1日(月・祝)

入館料・チケット予約その他の情報は展覧会公式サイトへ

www.monet2023.jp

※記載情報は変更される場合があります。最新情報は展覧会公式サイトをご覧ください。

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