12月のパリは、クリスマスのイルミネーションとプレゼント探しに奔走する人々で街は華やかに、そしてにぎやかになる。そんなプレゼントとして、ルーヴル宮殿に収められてきた銅版画の作品が大切な人から贈られたら、どんなにかうれしいだろう。

古代から近世まで、数多くの美術品を集めた世界最大級のミュージアム、ルーヴル美術館。誰もが知るこの芸術の殿堂が、実は貴重な「版画」の原版コレクションを持っていることは、あまり知られていないかもしれない。「Chalcographie du Louvre カルコグラフィー・ドゥ・ルーヴル」と呼ばれるこの版画のアトリエは、フランス革命からまもない1797年にルーヴル美術館の創設に合わせて設立。ルイ14世の時代に文化政策を担った財務大臣コルベールの主導のもとで始められた銅版画の原版コレクションが時間をかけて現代にまで脈々と受け継がれ、その数は14,000点を超えるとされる。しかも今もなおアート界で活躍する現代美術家たちの版画作品が制作、保存され、コレクションを豊かにしつづけているというから、さすがは芸術大国ならではだ。そして興味深いのは、ただそれらを保存するだけではなく、その原版を扱い、印刷をする職人の技も受け継がれ、そのコレクションを活かした貴重な版画作品が制作、販売されているということだろう。

版画アトリエに受け継がれた伝統的なプレス機

「カルコグラフィー」とは聞き慣れない言葉かもしれないが、こうした銅版画を中心にした凹版画のことを指す。この「カルコグラフィー・ドゥ・ルーヴル」は、現在ではRmn-Grand Palais(フランス国立美術館連合ーグラン・パレ)に運営と管理が委託され、パリ郊外に収蔵庫と制作アトリエがおかれている。ここには同じくRmn-GPが運営する彫刻のアトリエ「L’Atelier de Moulage ラトリエ・ド・ムラージュ」も併設されていて、ルーヴルやオルセーなど美術館の彫刻コレクションの「型」が保管、制作されている。このふたつのアトリエは、言ってみれば芸術と文化を守り、後世へと受け継ぐ「現場」。今回この特別な場所を取材する機会を得ることができた。

彫刻やその型が並んだ「アトリエ・ド・ムラージュ」の様子

先に通された彫刻のアトリエ、ここにはまさに「美術館級」の彫刻や型がずらりと並ぶ。6,000点におよぶ型のコレクションは、先史時代から、エジプト、エトルリアなどの古代美術、中世・近世のフランス、イタリア、現代まで彫刻の全歴史をたどるような充実ぶりだ。このアトリエの彫刻職人や成形職人たちは、複製・修復のプロとしてオリジナルの彫刻の型を制作・保存。そこからさらに新たな彫刻作品を生みだし、世界へと送り出す重要な役割を担っている。

一方の版画アトリエ「カルコグラフィー・ドゥ・ルーヴル」も、芸術大国フランスの文化の貴重な伝承者といえるだろう。ここに収められた原版には、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ、ティツィアーノ、ラファエロ、プッサン、ドラクロワ、マティス、モディリアーニなど、著名な画家の作品が歴代の版画家の手によって版画化されたもの。あるいはフランスで活躍した日本人画家の藤田嗣治、あるいは長谷川潔のように、芸術家自らがエッチングやドライポイントなどの手法で制作した原版を所有していることも多い。

日本の版画家・長谷川潔が自ら手がけた原版を使ったプリント作品

ここでの版画制作は、注文や販売の要望に応じて、保管された版画の原版を取り出すことから始まる。金属で作られた原版は、錆や腐食から守るために表面にニスが塗ってあり、その保護膜を特殊な専用の液体や豚の毛のブラシで丁寧に取り除く。

原版を取り扱うアトリエ長のベルトラン・デュプレさん

原版を準備したら、次はインクの調合だ。インクは決まったものがあるわけではなく、プリントごとに職人が配合を調整。色を構成する顔料に加え、オイル、ワックス、ワニスなどのメディウムを混合して作ることになる。時にはもともとの作品の色に忠実になるよう、オリジナルを収蔵した国立図書館で参照するなどして色を探ることもあるという。

インクができたら、ローラーで原版の上にインクを載せてしっかりと隙間なく盤面全体に塗り、それをモスリンと呼ばれる布で溝にしっかりと刷り込んでいく。反対に白地になるべき部分には色が残らないようインクを拭き取っていくのだが、最後の仕上げは「手のひら」が道具となって、職人がその経験で培った感触を頼りに盤面が光るほどまで磨いていく。

インクまで準備できたら次は印刷となる。紙はあらかじめ水で適度に湿らせておくが、これは紙の繊維が盤面の溝に食い込み、インクを十分に吸着できるようにするためだ。アトリエに並んだ伝統的なプレス機を使い、紙に重ねるフェルトの量などによって圧力の加減を調整してゆっくりとローラーを回す。これもまた職人の鋭敏な感覚とノウハウが試される工程だ。

インクを施した原版をプレス機に載せ、位置を合わせる
プレス機を通ると美しく繊細な線のプリントが上がってくる

プレス機から出てきたのは、繊細な原版の溝の線を途切れることなく忠実に再現したプリント。機械を通せるのはたった一回きり。工程はシンプルにも見えるが、原版の準備から、インクの調合・塗布、紙の湿り気、プレスの圧力など、そのすべてが適切でなければ作品にはならない。しかも一枚が刷り終わると、原版に残ったインクを丁寧に洗い落とし、次の刷りのために最初からすべての工程を繰り返す必要があるという。根気と集中力、そして体力のいる仕事だ。そして印刷が終わると、ふたたび原版を保護するため表面にニスを施し、次の出番まで保管されることになる。

プリントは指紋やインクがつかないよう専用のピンチを手に持って取り扱う

この日、制作されていたのは建築家のイオ・ミン・ペイが設計したルーヴル美術館のガラスのピラミッドの立面図を、版画家のロラン・ロベールが版画作品に仕立てたもの。プリントされた作品は、およそ2日かけて乾燥させたのち、チェックと修整が施されて世に出ることになる。

プリントされた作品は丁寧にインクの汚れなどをとって最終仕上げとなる

ここ「カルコグラフィー・ドゥ・ルーヴル」に収められた14,000点の原版コレクションは、現代美術家との共同制作によって今もその価値を高めつづける。最近ではJR、アネット・メサジェ、ジャン=ミシェル・オトニエルなど、国際的に知られる美術家がアトリエとのコラボレーションに参加。今年は、ガラスのピラミッドでアート展示をしたアフリカ・カメルーン出身の美術家バルトロメイ・トグオが作品制作を手がけた。

バルトロメイ・トグオによる作品『Balade Printanière(春の散策)』

アトリエの職人たちと共に、銅版にエッチングとアクアチントと呼ばれる技法で、まるで水彩画のような繊細な版画表現を紡ぎ出したバルトロメイ・トグオ。アフリカ出身の芸術家として、社会・経済的不均衡や移民問題、生態系の危機を訴える彼が、植物と人類が共存する美と自然の世界を描いた幻想的な作品だ。

取材に応じてくれたアトリエ長のベルトラン・デュプレさん(左)、レイラ・ペイリンさん、マリウス・テシエさんの3人

「カルコグラフィー・ドゥ・ルーヴル」による版画作品は、ルーヴル美術館のミュージアムショップ・書店の2階にある店舗で購入することができる。人類共通の文化を広く共有するという考えから、ここでは版画のエディション数や署名の制限を設けず、そのぶん価格も手頃なのがうれしい。次回のルーヴル訪問では、ただ美術品を鑑賞するだけでなく、自分で所有するという愉しみにも触れてみてはいかがだろう。

カルコグラフィー・ドゥ・ルーヴルの版画作品を扱うルーヴル美術館のブティック



(文)杉浦岳史/パリ在住ライター
コピーライターとして広告界で携わりながら新境地を求めて渡仏。パリでアートマネジメント、美術史を学ぶ高等専門学校IESA現代アート部門を修了。2013年よりArt Bridge Paris – Tokyo を主宰。広告、アートの分野におけるライター、アドバイザーなどとして活動中。パリ文化見聞録ポッドキャストラジオ「パリトレ」配信中です。

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