古き良き街の雰囲気と、モード、雑貨店、アートギャラリーなどが立ち並ぶ流行の発信拠点が混ざり合って調和するパリの中心「マレ」地区。そこに「狩猟自然博物館」というちょっとマニアックなミュゼがある。
最初の展示室の入口で私たちを出迎えてくれるのは、見上げるような巨大な白クマの剥製。17世紀に建てられたというクラシカルな洋館の中を進んでいくと、今にも動きだしそうな眼光の鋭いヒョウ、立派なツノを高々と披露する鹿やオオカミ、さらには色とりどりの水鳥やクルミを持った可愛らしいリスたちなど、たくさんの動物たちがそこに。それぞれの部屋は、絵画やオブジェで飾られ、まるでミュゼ全体が巨大なキャビネ・ド・キュリオジテ(知的好奇心を刺激する珍品を集めた「驚異の部屋」)のようだ。
自然豊かなフランスでは、古くから狩猟の文化があった。日本で昔、将軍や武将たちが鷹狩りをしたように、フランスでも国王や貴族たちが鷹や猟犬を連れて狩猟をたしなみ、ジビエとして食したり、勲章あるいは愛好する動物たちを所有したいという思いから剥製にしたりしてきた。近年では狩猟そのものの是非が議論になり、博物館も「狩猟を賛美するものではない」とあえて語っていたりするのだが、動物や自然がつねに人間にとって身近な存在であって、狩猟が長く親しまれてきた文化であることに変わりはない。
この博物館は「文化」として高められた「狩猟」を、芸術品などさまざまなオブジェを通して伝えてくれる場所なのだ。
博物館が入ったこの「ゲネゴー館」が建てられたのは1651年。ここは、ブロワ城などフランスに残る多くの美しい城を手がけたフランソワ・マンサールという建築家によって設計された歴史的建造物だ。
1961年にパリ市が館を購入したあと、元文化大臣のアンドレ・マルローも関わって実業家のフランソワ・ソメールと妻のジャクリーヌがこのゲネゴー館に狩猟自然財団(現在の名称はフランソワ・ソメール財団)を設立。狩猟を中心に人間と動物そして自然の関係を考察する博物館として1967年に一般公開される。
ルーベンスやクラナッハをはじめとする芸術家の絵画・彫刻や陶磁器、たくさんの動物の剥製、ルイ13世やナポレオンが所有したライフル銃など狩猟に使う武器、数々の家具調度品などに彩られた唯一無二の美術館になった。
この博物館が興味深いのは、2007年の改築後に始まった現代アートとのコラボレーションだ。先にも触れたように、アートと自然の関わりは深く、現代でも自然や動物をテーマに作品を創る作家は多い。伝統的な絵画やオブジェだけでなく、私たちがいる今の時代の表現をぶつけることで未知のインスピレーションを生みだしていく。伝統的なものと革新的なもの、あるいは他の地域の文化同士といった、違いを超えた「ダイアローグ(対話)」は、フランス芸術・文化界のお家芸と言ってもいい。
これまでにジェフ・クーンズ、ジャン=ミシェル・オトニエル、ヤン・ファーブルなど世界的な現代アートの旗手たちが展示され、博物館のコレクションに加わってきた。鹿の剥製を透明の球体で閉じ込めた名和晃平の代表作《PixCell-Deer》も、2018年にここで展示されて話題を呼んだ。
そして今、この博物館の「物々しさ」をさらに増幅するような展覧会が開催されている。招聘されたのはフランスの美術家エヴァ・ジョスパンだ。
まずはいくつか彼女の作品をご覧いただきたい。それぞれの作品には私たちにとって身近な、ある意外な素材が使われているのだが、ぜひそれを想像してみてほしい。
空想のロトンド、古代遺跡のようなジオラマ、森、枝の集合体、廃墟のイメージ・・・これらを作りあげている素材は、なんと「段ボール」だ。1970年生まれのエヴァ・ジョスパンは10年以上にわたり段ボールを使ってこうした風景を創りあげてきた。風になびきそうな枝の細い線も、垂れ下がったまま化石になってしまったかのような植物も、ゴツゴツした岩場も、精巧にみえる建築も、すべて段ボールを丁寧に積み上げたり、繊細なカッターで削いだりしながら表現する。
目を凝らしてよく見れば、たしかに私たちにも見慣れたまぎれもない段ボールのディテールがそこにある。なにやら「トロンプ・ルイユ=だまし絵」のようだ。観客はまずそのオブジェとしての人を引きこむ力に惹かれ、古い歴史の記憶か未来の廃墟のような空想のシーンに招かれ、近づいてみればそれが身近な素材であることに気づく。不思議なのは、それが段ボールだと気づいたあとでも作品として美しいと思えることだ。
展示の中で象徴的なのは、特別展示室にしつらえられ、今回展覧会のタイトルにもなっている作品《Galleria ガレリア》だろう。
イタリアの都市の巨大なアーケード、あるいは作品を見せる場としてのギャラリーという2つの意味を持つイタリア語「ガレリア」が表現するのは、時空を超え、作品世界に没入する通路のイメージ。ルネサンス時代のスチュディオーロ(学者や博識のある人々のキャビネット=書斎)へのオマージュを込めたというアーチ型の「ガレリア」を、観客は自由に行き来することができる。
イタリアのバロック庭園、18世紀の奇抜なロックガーデン、空想の洞窟など、エヴァ・ジョスパンが大切にしてきたモチーフと、自然界の小宇宙を表現した作品群は、この博物館全体がそうであるように私たちを空想の旅へと誘う。
彼女の作品の多くは神話や空想の物語に基づいているのだが、その中に登場人物や動物はいない。ただそのシーンだけがあるだけだ。実は学生の頃エヴァ・ジョスパンは演劇の舞台美術の道へ進もうと思ったこともあるという。しかし舞台美術では大きさや期間などさまざまな制約もあり、その役割上ディテールにはあまりこだわる必要もない。徹底的にディテールを追求し、自由に、自分の創作を突き詰めたいと考えた彼女は、必然的にアーティストを志し、パリ国立高等美術学校に進んだ。
「かつてなら彫刻といえば大理石でありブロンズであり、”粗末な”素材とされる段ボールは彫刻に使われるものではありませんでした。しかし現代アートの世界は、私たちアーティストを素材の制約から解放したんです」と彼女は語る。
誰も挑戦したことのない次元の表現。だからこそそこに可能性があり、新しさがあり、鑑賞者にとっては驚きがある。狩猟自然博物館とエヴァ・ジョスパンの競演は、美術の世界にまだまだ発見されていない未踏の領域があることを感じさせてくれた。
近い将来、パリを訪れる機会があるなら、ルーヴルやオルセーとあわせてぜひ訪れていただきたい、まだあまり知られていないアートスポットのひとつだ。
Musée de la Chasse et de la Nature
狩猟自然博物館
62 Rue des Archives, 75003 Paris
公式ウェブサイト(英語)https://www.chassenature.org/en
エヴァ・ジョスパン展覧会「Galleria ガレリア」
2022年3月20日まで開催
(文)杉浦岳史/パリ在住ライター
コピーライターとして広告界で携わりながら新境地を求めて渡仏。パリでアートマネジメント、美術史を学ぶ高等専門学校IESA現代アート部門を修了。ギャラリーでの勤務経験を経て、2013年よりArt Bridge Paris – Tokyo を主宰。広告、アートの分野におけるライター、アドバイザーなどとして活動中。