10月最後の日曜日で冬時間になり、季節の変わり目を迎えたパリ。シャンゼリゼ通りとセーヌ川に面した美術館「プティ・パレ」では、この冬のパリを彩る幻想的な展覧会が開かれている。

磨き抜かれたガラスの球が連なったオブジェは、まるで輝きを放つ巨大なジュエリーのよう。アーティストは日本でも人気のあるフランスのジャン=ミシェル・オトニエル。東京・六本木ヒルズの毛利庭園に展示されているハート型のアート作品を見たことのある人もいるだろう。

会場のプティ・パレは1900年のパリ万国博覧会にあわせた展示パビリオンとして創られた建築だ。向かいあうグラン・パレや、パリでいちばん豪華な橋と評されるアレクサンドル3世橋と一緒に建設され、万博が終わったあと1902年にはパリ市の美術館となって今に至る。


プティ・パレ外観


現代の万博パビリオンのイメージからは想像がつかない、まさにプティ・パレ(小さな宮殿)という名にふさわしい珠玉の建築。建物の奥にはエデンの園のように池と植物が生い茂る中庭があって、美しい回廊が巡らされているのだが、作品は美術館の展示室だけでなく、その庭園の水面に浮かぶように、あるいはまるで木々が花をつけたかのように仕立てられている。




この展覧会のタイトルは「ナルキッソスの定理」。ナルキッソスといえば、水を飲もうとして森の泉の水面に映った自分の美しさに夢中になり、そこから離れられずに死んで水仙になってしまった、というギリシャ神話の主人公。「ナルシスト」の語源だが、そのタイトルには、展覧会そのものをプティ・パレを舞台にした物語のようなものにしたいという作家の想いが込められているという。中庭の水面に作品が反射するさま、プティ・パレの建築と呼応してそれを映しだす作品の鏡面、そしてそれを見つめる観客という構図は、たしかにその物語にぴったりだ。




筆者が訪れたのは夜間公開の日で、物語の始まりから幻想的だった。プティ・パレを象徴する豪華な入口で観客を迎えてくれるのはアクアマリンの色に染められた1000個ものインド・ガラスのブロックで構成された作品《ブルー・リバー》(青い河)。泉から静かな滝の水が階段を降りてくるような神秘的な光景は、黄金色の扉との対比とあいまって、まさにおとぎ話のプロローグへと私たちを誘う。




建物に入って下階の展示室に降りると「ナルシスの洞窟」と名づけられた作品群。写真中央の積み上がったシルバーのブロックでできた作品《アゴラ》は、洞窟のように中に入ることができる。これはオトニエルがニューヨーク滞在中に構想したもので、街の群衆の視線や監視カメラ、無数のソーシャルネットワークの情報から逃れ、静かな時を過ごすことができる退避所としてイメージしたという。




これにつづく空間は、オトニエルのパールの作品群が創る美しい風景に圧倒される。入口と同じ青いガラスブロックが、ここではまるで湖のように静かに広がり、その上には色とりどりのオブジェ《ワイルド・ノット》(自然のままの結び目)が宙に浮かぶ。




このらせん構造のような不思議な形には逸話がある。1997年頃から、こうした結び目のモチーフをガラスや金属で制作してきたオトニエル。それを偶然写真で見たメキシコの数学者オービン・アロヨが、彼が研究していた複雑な数学モデルから生まれる形と驚くほど似ていることを発見。2015年頃から二人は実際に会い、その数理について意見交換をし、やがてオトニエルが「無限の結び目」という彫刻をアロヨが勤める数学研究室に寄贈するという豊かな交流にまで発展する。作品がそれを見る人や周囲の風景、作品自体も映しだして像を重ねていく、この無限の反射というイメージは「永遠」を表現し、ナルキッソスのモチーフにもつながっていく。




この一連の作品の最後には、19世紀に作られた美しいショーケースの中に小さなオブジェ《Kiku》が収められている。その名の通り、オトニエルが日本の菊にインスピレーションを得て生まれたもの。菊そのものの美しさや、日本人の菊に対する想いを知った彼が2020年東京で開催された展覧会で新作として発表したシリーズだが、花に対する彼の深い関心が伺える。




そして庭園へ。庭を囲む列柱の回廊には、鏡面のように光や風景を反射するステンレス製のパールが結び目を描き出す6つのオブジェがある。この回廊はフランスの画家ポール・ボードゥアンによる天井のフレスコ画が有名だが、巡る季節や繰り返される一日の移り変わりを描いたこの絵を映すオブジェは、やはり永遠の再生、宇宙の無限性を象徴しているのだという。




そして中央の庭では、池に《ゴールド・ロータス》(金の蓮)が浮かぶ。オブジェは水面に映り、それがまた蓮の鏡に映しだされ、無限の反射が生まれる。まさに「ナルキッソス」が自分の姿に恋して変身してしまった花を連想させるものだ。夜のプティ・パレの幻想的な光の演出は、まるで巨大な舞台装置のように古代ギリシャの時代から現代まで人々を魅了しつづける物語を美しく浮かび上がらせた。




約120年前にここで開催された万国博覧会のときには、来場者たちが見知らぬ世界の文物をここプティ・パレで発見し、見知らぬ国々の花々が庭に咲く風景を眺めてユートピアを感じた。それと同じように、いまの私たちもこのプティ・パレの中でオトニエルが描く物語にしばし時間を忘れてひたることができる。クリスチャン・ディオール・パルファンとオトニエルを扱うギャラリー・ペロタンのコラボレーションのもとで実現した展覧会は、2022年1月2日まで無料で公開中。コロナ禍でなかなか芸術鑑賞のできなかった多くの人々が訪れている。

そしてこのプティ・パレは、ルノワールやロダンなど、モダンアートの作品を多く集めた殿堂としても知られていて、こちらも常設で無料公開されている。また次の機会にゆっくりご紹介しよう。




The Narcissus Theorem ナルキッソスの定理

ジャン=ミシェル・オトニエル展覧会

会期:2022年1月2日(日)まで

会場:プティ・パレ美術館(Av. Winston Churchill, 75008 Paris)

時間:10:00〜18:00(最終入場16:30)金曜は21:00まで(最終入場19:30)

休館日:月曜、11月11日、12月25日、1月1日

会場ウェブサイト(英):https://www.petitpalais.paris.fr/en


ジャン=ミシェル・オトニエルと作品《ゴールド・ロータス》(2019)
Photo : Claire Dorn / Courtesy of the Artist & Perrotin
© Jean-Michel Othoniel / Adagp, Paris, 2021


(文・写真)杉浦岳史/パリ在住ライター
コピーライターとして広告界で携わりながら新境地を求めて渡仏。パリでアートマネジメント、美術史を学ぶ高等専門学校IESA現代アート部門を修了。ギャラリーでの勤務経験を経て、2013年よりArt Bridge Paris – Tokyo を主宰。広告、アートの分野におけるライター、アドバイザーなどとして活動中。

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