10月に入り、すっかり秋の色が深まってきたパリ。こうした中、モンパルナス地区にほど近い「カルティエ財団現代美術館」の展示室では、桜の花が満開だ。

カルティエ財団は宝飾ブランドのカルティエによって1984年に設立され、1994年には世界的建築家ジャン・ヌーヴェルの設計によるガラス張りの美しい拠点がパリに完成。現代アートの創作活動を支援し、数多くの展覧会などを通じてそれを広める役割を担ってきた。日本人では、荒木経惟、村上隆、森山大道、川内倫子、横尾忠則、北野武などがこれまで展覧会に招聘されている。



展示室の様子(筆者撮影)


現在開催中の展覧会は、世界的に知られる英国の現代美術家ダミアン・ハーストの個展「Cherry Blossoms(チェリー・ブラッサムス)」。見上げるような大きなキャンバスに鮮やかな色彩が埋めつくされている。観客はまさに咲き誇る桜に包まれるかのように展示室の中にたたずみ、好きな桜の前に立ち、さまざまに思いをめぐらす。

その場全体の空気感を味わう人、ディテールをじっくりと見つめる人、ただただ瞑想にふける人・・・。この景色を見ていて頭をよぎったのは、同じくパリのオランジュリー美術館に展示されているクロード・モネのシリーズ作品『睡蓮』。作品のスタイルはまったく違うけれど、絵の中に入り込んでしまいそうなほど目の前に大きく広がる睡蓮の池の絵と、それを見つめる人々の姿がオーバーラップする。

(筆者撮影)


なにより観客を惹きつけるのは、その圧倒的な絵の具の量だ。描かれているのはあきらかに「桜」なのだが、近づいてみるとひとつ一つの点は絵の具の塊、あるいは散った絵の具の飛沫。作家本人が語るように、印象派に特徴的な点描の絵画、あるいは絵筆を大きく振って絵の具を散らすアクション・ペインティングの荒々しさにも共通するスタイルがそこにはある。

昨年からのコロナ禍の最中に、美術館やギャラリーではなく画面でアート作品を観ることが多くなった我々の目には、凹凸の激しいテクスチャーとボリュームのあるその絵の具がとても新鮮だ。リアルな絵画を眼前に見るインパクトをあらためて実感させられる。

ロンドンにある彼のスタジオで丸2年をかけて制作した今回のシリーズは全107枚。そのうち30点が作家本人と財団美術館ディレクターのエルベ・シャンデスによって選ばれ展示された。

Damien Hirst, 2019 ˝ Damien Hirst and Science Ltd. All rights reserved, DACS 2020


ダミアン・ハーストといえば、挑発的でセンセーショナルな作品が有名だ。彼は名門として知られるロンドン大学のゴールドスミス・カレッジ美術学部を1989年に卒業すると、ヤング・ブリティッシュ・アーティスト(YBA)と呼ばれる新世代美術の潮流を牽引する存在に。巨大なガラスの水槽にホルマリン漬けになったサメや、輪切りにされた牛と仔牛などによって生と死を表現した作品が世に知られるが、そのショッキングなスタイルには賛否両論が巻き起こった。

ダミアン・ハーストのこれまでの作品が見られる、テート・モダンでの展覧会(2012)紹介映像



絵画と距離を置いていたかのように見える彼だが、実は大きな愛着を懐いてきたと明かす。大学卒業後には『スポット・ペインティング』という、カラフルな色の点を配列した作品シリーズを発表し評価される。その後も何度か絵画を試みているが「若いアーティストはつねに時代の潮流に影響を受けることを余儀なくされる。90年代は絵画はトレンドではなかった」とも語る彼は、その他の表現方法に関心が強かったと見える。

それが2016年には『スポット・ペインティング』の発展形ともいえる点描シリーズ『Earth』を発表し、さらに『Veil Paintings ベール・ペインティングス』シリーズを制作。より作家の手描きの要素が強いスタイルを多く制作してきた。

「『ベール・ペインティングス』を描きながら、これは庭や木に似ていると思った。・・・4歳か5歳の頃に母親が描いていた桜の絵を思い出したんだ」

ハーストの母親は、汚れると掃除が大変だからと彼を近寄らせてくれなかったが、それゆえ油絵具にふれることにワクワクする気分を覚えたという。桜の絵を描いていた母の記憶、絵の具にまみれる歓び、さらに抽象画と具象画を融合した作品を創りたいという思いも、この「Cherry Blossoms」には込められている。

View from Damien Hirst’s studio ˝ Damien Hirst and Science Ltd. All rights reserved, DACS 2021. Photographed by Prudence Cuming Associates.

彼は言う「花咲く桜は、美しさと生命、そして死を語る。過剰で野暮なほどに。これほど装飾的であるのに自然が描いたものである。・・・そして桜は雲一つない空の中で狂ったように花を咲かせ、はかない美を象徴する一本の木でもある。自分のスタジオで色や絵の具に夢中になることは非常に気分がいい。出来上がっていく作品は派手で、乱雑で、壊れやすくて、それゆえに僕はミニマリスムから離れ、自発的な行為による創作に戻ることができた。そしてそれはとてもエキサイティングな出来事だった」

やはり彼にとって桜は、単なる美しい花ではなかった。自然のものなのに派手で過剰で、圧倒的な美を見せながらもはかなく散り、生と死までも想起させる。その極端さに惹かれたがゆえのテーマであり、根底ではこれまでのハースト作品に通じるものがあるのかもしれない。

Damien Hirst in his studio, 2020 ˝ Damien Hirst and Science Ltd. All rights reserved, DACS 2021.
Photographed by Prudence Cuming Associates.


ロンドンのスタジオの様子 View from Damien Hirst’s studio ˝ Damien Hirst and Science Ltd. All rights reserved, DACS 2021. Photographed by Prudence Cuming Associates.


桜の花のはかなさを肌で知る日本人にとっては、欧米の人々が持つ桜のイメージ、満開の桜に何を感じるのかも気になるところだろう。2022年1月2日までの会期中にもしパリを訪れるなら、ぜひ見てほしい展覧会だ。


Fondation Cartier pour l’art contemporain

カルティエ財団現代美術館

ダミアン・ハースト展『Cherry Blossoms』

会期:2022年1月2日まで

時間:11:00〜20:00(月曜休館・火曜日は22:00まで)

住所:261 boulevard Raspail 75014 Paris

ウェブサイト:https://www.fondationcartier.com/en/(英語)

さまざまなアーティストの屋外作品と共に憩うことができる美術館の庭(筆者撮影)

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