世界でいちばん有名なパリの橋といえば、1991年に女優ジュリエット・ビノシュがヒロインを演じた映画でも知られる「ポン・ヌフ(「新しい橋」の意)」。観光客も多く集まるその橋のたもとに、1870年創業の百貨店がよみがえった。その名は「サマリテーヌ」。「ギャルリー・ラファイエット」「プランタン」「ボン・マルシェ」など、19世紀に生まれ今に受け継がれる百貨店と肩を並べ、一時期はパリ最大といわれるほどの栄華を誇った老舗。「ベル・エポック」と呼ばれたパリ全盛期のシンボルのひとつと言ってもいい。それがかつての装飾を受け継ぎつつ新しくリニューアルされたということで、6月23日の一般オープン前日には、マクロン大統領も駆けつけてのお祝いとなった。

セーヌ川にかかるポン・ヌフに沿って建つ「サマリテーヌ」(La Samaritaine 提供)


「サマリテーヌ」の魅力は、「ポン・ヌフ館」と呼ばれる建物の建築デザインや内部装飾にふんだんに織り込まれた「アール・ヌーヴォー」様式。19世紀末から20世紀初頭の短いあいだにヨーロッパを中心に世界を席巻したプロダクトデザインやアートの潮流は、花や植物、生物などのモチーフも使ったくねくねと柔らかな意匠がよく知られる。

「サマリテーヌ」ポン・ヌフ館内部の吹き抜け。手摺りの繊細な装飾が美しい。


「サマリテーヌ」には、アール・ヌーヴォーの特徴でもある鉄やガラス、そして陶器なども使われたが、今回のリニューアルではすべてを一新するのでなく、こうした創業の頃の装飾を丁寧に修復して継承。まるでタイムスリップして昔のパリに来たかのような、ほかの百貨店にはない気分が味わえる。それぞれのフロアの天井が昔ながらにちょっと低めだったり、階段や踊り場のスケールが少し小さいのも、私たち現代人にはかえって新鮮に感じられる。そのぶん、ガラス張りの天井までつながる吹き抜けの開放感は実に気持ちいい。当時の人々には、きっとまばゆいほどの風景だったろう。

©WeAreContents(La Samaritaine 提供)


昔、ポン・ヌフに併設されていた給水塔の名を受け継いだ「サマリテーヌ」は、創業者エルネスト・コニャックによって最初は仕立服のブティックとしてオープンした。2年後に彼は「ボン・マルシェ」の売り子だったマリー=ルイーズ・ジェイと結婚。夫婦の経営で店は少しずつ大きくなり、1905年から1920年代にかけてフランツ・ジュルダンとアンリ・ソヴァージュという建築家によって、アール・ヌーヴォーとアール・デコの調和した建物が続けて完成。顧客が自由にいつでも出入りし、気ままに売場を見て回れる「百貨店」としての道を歩むことになった。

パリのセーヌ川から、リヴォリ通りというルーブル美術館やパリ市庁舎も面する目抜き通りにかけて並ぶ4つの建物に、全盛期は約5万㎡もの店舗面積を誇り、プランタン、ギャルリー・ラファイエットをも超えて、パリ最大の百貨店となった。

1905年頃、建設中のサマリテーヌ(La Samaritaine 提供)


時は流れ、2001年にはルイ・ヴィトン、クリスチャン・ディオールを中心とした世界最大の高級ブランドグループ、LVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)がこの「サマリテーヌ」を買収。建物の老朽化を理由に2005年に閉店となり、大規模な改修計画が発表されたのだが、リニューアルは難航。コロナ禍による延期もあって、閉店から16年を経た今年ようやくオープンを迎えることになった。

この間、古い建物は1905年のオリジナル構造を活かしつつ老朽箇所を改修し、現代の基準に合わせて改良を重ね、さらに色彩豊かなエナメルタイルや美しい階段の造形などを修復。フランツ・ジュルダンが手がけた115mにおよぶ最上階の孔雀の壁画なども、職人たちの手によってその鮮やかさと壮麗さを取り戻した。

文化遺産修復を専門とするSOCRAによるエナメルタイルの修復の様子と繊細な階段手摺りの意匠 ©Vladimir Vasilev(La Samaritaine 提供)


ガラス張りの天井から光がふんだんに差し込む最上階の壁画 ©Julien Luttenbacher(La Samaritaine 提供)


開放的なガラス窓の先には隣接するサン=ジェルマン・ロクセロワ教会が見える。


そしてパリ中心部を貫くリヴォリ通り側の「リヴォリ館」は、「ポン・ヌフ館」とはまったく違った斬新な建築に生まれ変わった。設計は日本の妹島和世と西沢立衛による建築家ユニット「SANAA」が担当。「SANAA」は2010年に「建築家のノーベル賞」と呼ばれるプリツカー賞を受賞するなど世界的に知られ、フランスでもルーブル美術館ランス別館(2012)の設計で高い評価を得ている。

精緻なウェーブのかかったガラスの外観には、リヴォリ通りにならぶ建物や空が映しだされ、クラシックな街並みの中でその美しさがひときわ目を惹く。中に入っても至るところから光が差し込んできて、スタイルは違っても、明るく開放的な空間設計と細やかな意匠はポン・ヌフ館の伝統を踏襲しているといえそうだ。


SANAAの設計によるリヴォリ館 © Pierre – Olivier Deschamps, Agence Vu (La Samaritaine 提供)


リヴォリ館内部


今回のリニューアルでもうひとつ話題になっているのは、現代社会にあわせた用途の多様性だ。新しい建物には96戸の公共住宅、オフィスや託児所もあって、パリの中心で活動する職住近接のスタイルを意識した構成になっている。またポン・ヌフ館の中でも1920年代のアール・デコの時代に建設されたセーヌ川沿いの建物には、高級ホテル「シュヴァル・ブラン」が誕生。セーヌ川とポン・ヌフ、シテ島を眺める最高のパリ滞在を提供することになりそうだ。こちらの開業予定は今年の9月。「サマリテーヌ」とあわせ、新しいパリの名所として人々を魅了することになりそうだ。


今年9月にホテル「シュヴァル・ブラン」が誕生する、ポン・ヌフ館のセーヌ川沿い外観


La Samaritaine サマリテーヌ百貨店

19, rue de la Monnaie, 75001 Paris – FRANCE

ウェブサイト:

https://www.lvmh.fr/les-maisons/autres-activites/samaritaine/

(日本語ページもあり)


文・杉浦岳史/ライター、アートオーガナイザー
コピーライターとして広告界で携わりながら新境地を求めて渡仏。パリでアートマネジメント、美術史を学ぶ高等専門学校IESA現代アート部門を修了。ギャラリーでの勤務経験を経て、2013年よりArt Bridge Paris – Tokyo を主宰。広告、アートの分野におけるライター、アドバイザーなどとして活動中。

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