コロナ禍の影響で半年にわたって閉鎖されていた美術館がようやく再開しはじめたパリ。その中心部に5月22日、待望の新しい現代アートの殿堂「ブルス・ドゥ・コメルス ピノー・コレクション」がオープンした。ルーブル美術館からも歩いてすぐ。パリを知る人なら、かつての中央卸売市場跡地に今は巨大な地下ショッピングセンターがある「レ・アル」のすぐとなりといえばわかりやすいかもしれない。パリの街が一年でいちばん輝く初夏の季節に、待ちに待った美術館やシネマ、ショップの再開。そこにやってきた真新しいアートスポット誕生のニュースとあって、フランスでも大きな話題になっている。

新美術館「ブルス・ドゥ・コメルス」3階からの眺望 – 広場の下には「レ・アル」ショッピングセンター、中央奥にはポンピドゥーセンターが見える(筆者撮影)


美術館を運営するのは、世界的な美術コレクターでもあるフランス人実業家フランソワ・ピノーが率いる「ピノー・コレクション」。フランソワ・ピノーはグッチ、イヴ・サン=ローラン、バレンシアガなどを擁するラグジュアリーブランドグループ(現在の名称は「ケリング」)の創始者。ルーブル、オルセー、ポンピドゥー・センターなどパリの多くの美術館が国や市によって運営されるなか、ここはパリでは珍しいプライベートコレクションによる現代美術館ということになる。


「ブルス・ドゥ・コメルス」外観(筆者撮影)


美術館が入る建物は、かつて穀物などの「商品取引所(Bourse de Commerce ブルス・ドゥ・コメルス)」として使われていた歴史的建造物。18世紀の建築をもとに、1889年に大規模改築されて現在の姿になった。パリ市がそれを買い取った上で、それを50年の契約でピノー・コレクションに貸与し、美術館への大規模改修事業もコレクション側が受け持つことに。そしてその改修の設計を任されたのが、日本の建築家・安藤忠雄だった。

フランソワ・ピノーと安藤忠雄は、2000年にパリ郊外のセーヌ川の中洲、かつてルノーの自動車工場があったスガン島に美術館を建設する計画を打ち出して以来の盟友にある。このスガン島プロジェクトは、さまざまな経緯から白紙となってしまったが、その後イタリア・ヴェネチアで完成した<パラッツォ・グラッシ>の美術館改修事業など、2人は長年にわたってコラボレーションを続けてきた。「芸術家たちにとっての故郷ともいえるパリに、新しい現代美術館を・・・」世界屈指のメセナが抱いた長年の夢は、世界的建築家とのタッグによってようやく現実のものになった。


「ブルス・ドゥ・コメルス」外観(筆者撮影)


美術館はこの「Bourse de Commerce ブルス・ドゥ・コメルス」の外観と名称を受け継ぎつつ、フランスの建築事務所NeMなどとの協働のもと内部を美術館という機能にあわせて完全に改修した。「建築の中の建築」と語られるように、円形の建物の中に、別の円筒状のコンクリート製建造物をインストールしたような構造。新旧の建築が時を超えて静かに向き合う緊張感のある光景は、安藤忠雄ならではのものと言えそうだ。訪れた人は、今回の修復で貼り替えられたドーム型のガラスの天井から差し込む自然光が満ちた「ラ・ロトンド」と呼ばれる巨大なシリンダーの真ん中に立ち、そのまわりの回廊をぐるりと巡るように昇りながら展示ギャラリーへと進む。


Bourse de Commerce — Pinault Collection © Tadao Ando Architect & Associates, Niney et Marca Architectes, Agence Pierre-Antoine Gatier Photo Patrick Tourneboeuf


今年84歳になるフランソワ・ピノーが初めてアートを購入したのは1970年代だという。19世紀フランスの画家ポール・セルジエの一枚の絵画から始まったコレクターとしての旅は、時代を追うように近代絵画、抽象絵画へと移り、やがて自分が生きる現代のアートへと移りながら、コレクションを広げてきた。

およそ50年にわたる収集で、作品の数は現在10,000点を超える。1960年代から現代までの作家を中心に、絵画、彫刻、映像、写真、音声作品、インスタレーション、パフォーマンスまで、全世界のあらゆるジャンル、380人におよぶアーティストがセレクトされている。

1階「ラ・ロトンド」のウルフ・フィッシャーによる作品『無題』(部分) Urs Fischer, Untitled, 2011 (detail) © Urs Fischer Courtesy Galerie Eva Presenhuber, Zurich. Photo : Stefan Altenburger Bourse de Commerce — Pinault Collection © Tadao Ando Architect & Associates, Niney et Marca Architectes, Agence Pierre-Antoine Gatier


記念すべき最初の展覧会のテーマはフランス語で「Ouverture」と名づけられ、コレクションの中から32人の美術家の作品が紹介される。「ouverture」は英語で「open」つまりこの美術館のオープンを指すのはもちろんのこと、目を開く、可能性を開く、開放的な態度といった意味にもつながっていく。それはピノー・コレクションが、国や民族、思想、性別などすべての境界を越えて世界を見つめ、アートを収集してきたということ。そして固定概念にとらわれることなく表現の多様性に対してひらけた視点を持ち、時代の潮流や変化を自由な目で見つめ、世代を越えて多くの人々と共有したいという美術館設立の想いをも意味している。それはまさしく現代アートの価値そのものに通じているとも言えそうだ。

さらにオペラなどの「序曲」という意味も持つ「Ouverture」。今回の展覧会は、この美術館でこれから始まる壮大な物語のテーマや登場人物を紹介し、展開するストーリーを感じさせるという役割も持っている。


1階のメインスペースに展開されたのは、スイス出身で現在はニューヨークとロサンゼルスを拠点に活動する現代美術家、ウルス・フィッシャー。彼は人間の空間や時間、物質の概念に問いを投げかけ、時にはパンや蝋(ロウ)など時間とともに変化してしまう素材を使い、時に思いも寄らない表現で見る私たちの目を開かせる。

1階「ラ・ロトンド」のウルフ・フィッシャーによる作品『無題』(部分)(筆者撮影)


大理石でできているかのようなこの彫刻も、素材は蝋だ。後期ルネサンスの彫刻家ジャンボローニャの『サビニの女たちの略奪』を原型に、精密に蝋で再現したもの。まわりにある他の8つの彫刻も蝋でできていて、それぞれの彫刻には芯が仕込まれ、展覧会の開催と同時に火が灯されて、時間の経過とともにゆっくりと溶けて、会期の最後になくなってしまうまで崩れていく。自滅しながら変化する形態に、はかなさを感じさせる作品だ。

1階「ラ・ロトンド」のウルフ・フィッシャーによる作品『無題』(部分)。火が灯され、作品は日々変化していく(筆者撮影)


2階のギャラリーは写真の展示。あらゆる人物に扮装したセルフ・ポートレートで知られるシンディ・シャーマンをはじめ、70年代から90年代を中心に、ジェンダーやアイデンティティといったテーマを扱った作家が並ぶ。そして3階は、ルドルフ・スティンゲル、ピーター・ドイグ、ミリアム・カーンといった今をときめく絵画作家を中心に展開される。

3階から眺めた丸天井と壁画 Bourse de Commerce — Pinault Collection © Tadao Ando Architect & Associates, Niney et Marca Architectes, Agence Pierre-Antoine Gatier Photo Marc Domage


円筒型の建築を回るように昇ってきた建築探訪も、この頂上でクライマックスを迎える。ここからは地上40mの高さの丸天井も、360度にぐるりと巡らされた絵画も近い。驚かされるのは、この絵画がキャンバスに描かれたものをドーム型の壁面に貼り付けたものだということだ。

世界五大陸における商取引の様子を描いたというこの作品は、1889年の大改築の際にフランス人画家エヴァリスト=ヴィタル・ルミネを中心に5人の作家によって描かれたもの。それを今回の改修にあわせ、アリックス・ラヴォーほか24人の美術修復家が半年をかけて蘇らせた。1889年といえばパリ万博が開催され、エッフェル塔が披露された年。国際化が始まり世界に向け視界がひらいていた時代の絵画は、偶然とはいえ、まさしくこの美術館のあり方を象徴している。

時を越えて新旧の建築が出会い、境界を越えて世界にひらかれ、そして未来へとつながる。開館を前にしたインタビューで「歴史の中に現代の世界を創り、そこで得た感動から未来を目指す者が出てくるような建築にしたかった」と語った安藤忠雄。新しい息を吹き込まれたこの美術館は、確かにその力を持っているように感じた。

Bourse de Commerce — Pinault Collection © Tadao Ando Architect & Associates, Niney et Marca Architectes, Agence Pierre-Antoine Gatier Photo Patrick Tourneboeuf


Bourse de Commerce Pinault Collection

ブルス・ドゥ・コメルス ピノー・コレクション

展覧会「Ouverture」

会場:2 rue de Viarmes, 75001 Paris

日程:2021年12月31日まで

開館時間:月曜日〜日曜日11:00〜19:00(金曜日のみ21:00まで)

休館日:火曜日

料金:一般14€(18〜26歳および学生10€、18歳未満は無料)


文・杉浦岳史/ライター、アートオーガナイザー
コピーライターとして広告界で携わりながら新境地を求めて渡仏。パリでアートマネジメント、美術史を学ぶ高等専門学校IESA現代アート部門を修了。ギャラリーでの勤務経験を経て、2013年よりArt Bridge Paris – Tokyo を主宰。広告、アートの分野におけるライター、アドバイザーなどとして活動中。

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