東京や京都など日本の都市と同じように、パリにも地区によって違った歴史があり、そこから生まれた特色があり、それぞれの街のライフスタイルがある。よく知られるサンジェルマン・デ・プレ界隈に住むちょっと上品なパリ市民や、ソルボンヌ周辺の学生たちのお気に入りの場所といえば、リュクサンブール庭園。この庭園の北側はブティックやアートギャラリー、ショコラティエや「カフェ・ド・フロール」などの著名なカフェ、そして大学や老舗の書店などが立ち並ぶ、パリらしいシックな風景が広がる。そして庭園の南側はモンパルナス地区に近いエリアで、下町っぽい雰囲気が出てくる。リュクサンブール庭園は、そんなふたつのパリの風景をつなげる場所と言えるかもしれない。

リュクサンブール庭園

パリの芸術家たちが時代を創ってきた地区として「モンパルナス」の名を知る人も多いだろう。19世紀のパリに近代化の波が押し寄せて、中心部で大改造がはじまると、地価や家賃が上がり、そこに住めなくなった市民や若い芸術家などが最初は北のモンマルトル地区へ、そのあとは南のモンパルナス地区へと大移動が起きた。

第一次世界大戦のあとにパリの文化が華々しくひらいた「レ・ザネ・フォル=狂乱の時代」の頃には、日本人をふくめ世界の芸術家たちがパリを目指し、モンパルナスにたどりつく。そこにはピカソやシャガールなどの芸術家たちが安い宿やアトリエを求めて集まってきていた。大戦前にパリに渡っていた「フジタ」こと藤田嗣治もそんな芸術家の一人だ。

そしてもうひとり、当時ロシア帝国領だった現在のベラルーシからパリに来ていたのが、彫刻家のオシップ・ザッキン。今回の主役となる芸術家だ。

ザッキン美術館中庭

1909年、ザッキンは革命のきざしが忍び寄るロシアを離れ、パリに移る。最初はシャガールやモジリアーニが一緒にいたことで知られるパリ南部のアーティストレジデンス「ラ・リューシュ」に入る。ほどなく、彼は国鉄モンパルナス駅に近いアパルトマンに引っ越し、1920年には女流画家ヴァランティーヌ・プラックスと出会って結婚する。このときの婚姻の証人を務めたのがザッキンの親友であった藤田嗣治だった。夫婦はふたりになった自分たちの住み処、そして仕事場となる家を探し、1928年ようやく見つけたのが、現在ザッキン美術館のある建物だった。

ザッキン美術館外観

アパルトマンの生活をようやく離れ、リュクサンブール庭園のすぐほとりにある庭付き住宅への引っ越しを、ザッキンはとても気に入ったようだった。「私の靴底は地面にしっかり根を張っていなくてはならない」・・・引っ越し後、友人に宛てた手紙の言葉は、緑や土に近い新生活を喜ぶ彼の率直な気持ちを語っているようだ。

ザッキン美術館の中庭とアトリエ部分

それから100年近く経った今でこそ、周囲には高い建物が並んでいるが、当時パリの端っこだったこのあたりは彼らの家のように庭の緑に包まれた住宅が多く広がっていたという。今でもここは中心部にいることを忘れてしまいそうな静けさが訪れる人を包んでくれる。

楡(にれ)、黒檀(こくたん)などの木材、花崗岩、大理石などの石素材を使い、それを自分の手で削り、磨き、形を創っていった彫刻家ザッキン。自然との対話の中から作品を生みだしてきた彼には、この場所のような緑と土に包まれたやさしくゆったりしたリズムが必要だったに違いない。

ザッキン美術館内部

アフリカのプリミティブ(原始)アートや、当時ピカソやブラックが主導したキュビズムの影響も受け、さまざまな様式の作品をこの世に残したザッキン。極めてシンプルな彫りのラインを使って表現した人間の姿は、じっと見つめているとせつなくなるほどに美しい。アート作品というのは不思議なもので、たった一本の線やその組み合わせが、人の心を震わせるような力を持つことがある。だからこそ芸術家は、その一本の線にとてつもない情熱と繊細さを注ぎ込む。

La Sainte Famille (聖家族)

ギリシャ彫刻、あるいは日本をはじめとするアジアの仏教彫刻に見られるアルカイック・スマイルにも似た、人の根源的な喜びや悲しみ、深慮を感じさせる顔たち。たとえば同じ時代の彫刻家ブランクーシが名作『眠るミューズ』や『接吻』の連作でひたすら追求してきたのと同じように、ザッキンもまた純粋で普遍的な美しさを作品に込めることに長けていたといえるだろう。

一見素朴なように感じる人の姿に、心の機微が描き込まれたザッキンの彫刻。その輪郭の線の一つ一つに目を向けて、作家の思いを読み取ろうと意識すると不思議と心がやすらかな気持ちに満ちてくる。

ザッキン美術館の中庭

1967年にザッキンが、1981年には妻のヴァランティーヌが亡くなり、この地は作品とともにすべてパリ市に遺贈。1982年に美術館として開館した。

家とアトリエ、ふたつに分かれた美術館の建物のあいだには、木漏れ陽が気持ちいい中庭がある。ブロンズ像をはじめ彼の彫刻作品がところどころに並んだ、まるで庭園美術館のような雰囲気。ザッキンと妻がいたころ、ここにはきっと藤田嗣治やモディリアーニ、ピカソなど友人たちが訪れてはワイングラスを傾けながら芸術談義に花を咲かせていたことだろう。そんな姿がすぐに想像つくほどに、ここには昔ながらの静かでやさしい時間が残されている。

Musée Zadkine ザッキン美術館

100 bis, rue d’Assas 75006 Paris

http://www.zadkine.paris.fr/

杉浦岳史/ライター、アートオーガナイザー

コピーライターとして広告界で携わりながら新境地を求めて渡仏。パリでアートマネジメント、美術史を学ぶ高等専門学校IESA現代アート部門を修了。ギャラリーでの勤務経験を経て、2013年より Art Bridge Paris – Tokyo を主宰。広告、アートの分野におけるライター、キュレーター、コーディネーター、日仏通訳などとして幅広く活動。

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