一度は忘れ去られた芸術家が、後世の人々に再発見されて高い評価を得る・・・残念ながら、というべきか美術の歴史ではたびたびそういうことが起きる。
「エル・グレコ」もそんな画家のひとりだった。16世紀半ば、ギリシャのクレタ島に生まれた彼は、イタリア、スペインと移り住みながら、当時は誰も思いつかなかったようなスタイルの宗教画を残す。しかし死後は美術史から姿を消してしまい、2世紀以上も経ったあとになってフランスのロマン主義、あるいは印象派の人々などに発掘される。さらに20世紀に入ると、ピカソやアヴァンギャルドの芸術家たちによってその「常軌を逸した」表現が崇拝の的となり、絵画の革命に大きな影響を与えた。「近代絵画の預言者」とさえ呼ばれる彼は、今も芸術家たちのインスピレーションの源泉になっている。
そんな「エル・グレコ」を再発見したパリで、およそ400年の時を経た彼の名作が一堂に集まったほぼ初めての回顧展が開催され、内外の注目を集めている。
「ルネサンス後」の新しい絵画への挑戦。
「エル・グレコ」の人生がたどった道は、私たちの記憶の片隅にある世界史のキーワードを結びつけてくれる。
彼が生まれた1541年、日本はまだ戦国の世。ヨーロッパに目を向けると、イタリアではレオナルド・ダ・ヴィンチが亡くなって、ミケランジェロが活躍する「ルネサンス」の全盛期。そしてあのフランシスコ・ザビエルがポルトガルのリスボンを出発して東洋に向かった年、つまりスペインとポルトガルが世界の海に乗り出して覇権を争う「大航海時代」でもあった。
東ローマ帝国に支配されていたギリシャのクレタ島で、ビザンチン様式と呼ばれるクラシックな聖人画を描いていた彼は、ルネサンスの芸術家たちが活躍していたイタリアにあこがれ、26歳でヴェネチアに移った。そこでティツィアーノなどヴェネチア・ルネサンスの巨匠から豊かな色彩の表現などを学び、さらにローマに移ってミケランジェロの作品などから荘重な芸術のスタイルを手に入れる。
ローマでは、教皇も輩出した名門のファルネーゼ家の枢機卿と親交を持って絵を制作したが、そこを突然解雇されるなどなかなか思うような成功は得られなかったエル・グレコ。そののちミケランジェロの芸術を批判、一説にはあの有名なミケランジェロの作品、システィーナ礼拝堂の『最後の審判』を描き変えたいと請願したことで教会の不興を買い、1577年頃、つまり30代半ばにしてスペインへ移ることになる。
イタリアでのこうしたいざこざの逸話は、彼が自分が信じる表現を貫こうとしたからだとも思える。信仰心の強かった彼は、ルネサンスの画家たちが追求した、なめらかな線とか完璧な人物像とか構図でなく、もっと人の心を揺さぶる新しいやり方で聖なる物語を描きたいという強い想いを抱いていたといわれる。
そんな、宗教画の新しい表現に挑戦していた彼を迎え入れたのは、マドリッドから約70kmほど南にある街・トレド。そこは古くからキリスト教の権威ある司教座があり、当時はスペイン王フェリペ2世がこの街にあった宮廷をマドリッドに移したばかり。まだ事実上の首都と呼べる芸術と文化の豊かさがあった。
ギリシャ、イタリアで培われたエル・グレコの個性はここで一気に華開くことになる。荒々しさと繊細さが交錯する絵筆のタッチ。今なら「劇画調」ともいえそうな臨場感。時に画面はデフォルメされ、身体のラインはあやしくゆがむ。それでも、人物の官能的で物憂げな表情は見る人の心に強く迫ってくる。
スペインに渡った頃の作品でよく知られているのが、上の『聖母被昇天』。トレドのサント・ドミンゴ・エル・アンティグオ聖堂のために制作されたものだが、1906年に米国のコレクターによって取得され、現在はシカゴ美術研究所が所蔵。今回の展覧会のため100年以上ぶりに太平洋を渡り、ヨーロッパで初めての展示となった。
エル・グレコはまた、ポートレートでも独自の世界観を創りあげた。聖職者や貴族などの肖像画も、当時の他の画家にはまったく見られない表現で、聖人から自分の息子まで、まるで同列にひとりの「人」として描かれているところが斬新だ。
よく知られていることだが「エル・グレコ」の名は本名ではない。「グレコ」とはイタリア語で「ギリシャ人」のこと。それにスペイン語の定冠詞「エル」がついたものだ。本名はドメニコス・テオトコプーロス。あまりに発音が難しく「グレコ」のあだ名がそのまま定着したのだろうが、本人は最後まで本名でサインをし、生活をした。そして「異邦人」としてイタリア、スペインを渡り歩いた人生は、1614年トレドの地で終わりを迎える。
晩年のこの作品『第五の封印』は未完成に終わったが、大胆な構図や引き伸ばされた人物像などエル・グレコの特徴が発揮された名作とされる。この劇的なビジョンは、イタリアよりも熱情的なスペインのカトリック信者に受け入れられやすかったのかもしれない。
死後、多くの作品はトレドやマドリッドに封印され、2世紀以上を経て旅行記が流行したロマン主義の時代になってフランス人が再発見。やがて訪れる絵画の変革の時代に多大な影響を与えていく。
エル・グレコが望んだのは「宗教画の変革」だったが、結果的に彼の表現が認められたのは、アートのモチーフが完全に宗教を離れた時代になってからだった。絵画の新しい可能性への挑戦が思わぬところで評価されたことを、天国のエル・グレコはどう思っているだろう。
『GRECO(グレコ)』展
グラン・パレ(フランス・パリ)
2020年2月10日まで開催
10:00〜20:00(月・木・日)
10:00〜22:00(水・金・土)
火曜および12月25日は休館
杉浦岳史/ライター、アートオーガナイザー
コピーライターとして広告界で携わりながら新境地を求めて渡仏。パリでアートマネジメント、美術史を学ぶ高等専門学校IESA現代アート部門を修了。ギャラリーでの勤務経験を経て、2013年より Art
Bridge Paris – Tokyo を主宰。現在は広告、アートの分野におけるライター、キュレーター、コーディネーター、日仏通訳として幅広く活動。