10月初旬。紅葉でどこもかしこも芋洗い状態になる前に、大好きな京都と奈良へ行ってきました。一年に数回訪れる京都とは違って、奈良に泊まるのは初めてです。関西の人ならわかってもらえるかもしれませんが、“奈良は日帰り”が普通、というか当たり前。特に私の場合、奈良を代表する寺院・東大寺へは実家から車で40分だし、幼い頃に何度も連れて行ってもらった記憶も鮮明ゆえに、”奈良に泊まる”なんて考えたこともありませんでした。



ところが今年の8月、気になる宿が奈良にオープン。しかもロケーションは奈良公園内。ますます気になります。ということで、今回の旅は京都駅から奈良線みやこ路快速・奈良行きに乗っていざ奈良へ。ワクワクしながら車窓の外に目を凝らしていると、平城宮跡が見えてきました。さらには復元された朱雀門までも。世界遺産を横切る電車なんて、よくよく考えたら世界的にも珍しい。ですが、この絶景を楽しめるのもあと37年。というのも、2060年の完了計画を策定した線路移設の合意が結ばれているからなのです。「あと37年もあるから大丈夫」なんて考えていたらあっという間。世界遺産を電車で横切ってみたいなら、ぜひ奈良へ。



さてさて、近鉄奈良駅からタクシーで5分。到着したのは大正11年竣工の「旧奈良県知事公舎」を活用した紫翠(しすい)ラグジュアリーコレクションホテル奈良。昭和天皇が『サンフランシスコ講和条約』と『日米安全保障条約』の批准書に署名した応接室、「御認証の間」が当時のまま残されています。かと思えば、日本古来の食へのアプローチを取り入れたローカルガストロノミーをテーマとするレストラン「翠葉」が併設されていたりと、新旧がとても美しく共存する宿なのです。



そんな歴史ある紫翠に一泊した翌朝。意気揚々と5時に起き、朝焼けのなか散歩に出かけました。すれ違うのはシカとカラスと早起きのランナーたち。静寂に包まれた贅沢な朝散歩をしながら、幼い頃は見向きもしなかった神社仏閣に歳をとればとるほど興味が湧くのはなぜだろう。そんなことを考えながら歩いていると、観光客や修学旅行生でにぎわう東大寺へ辿り着きました。するとこんな会話が聞こえてきました。

「マンハッタンの名前は徳川家康が街づくりのノウハウを伝授するために送り込んだ家臣の秦氏が由来なんだよ。その秦氏が“はったん“と呼ばれていたから、”秦という男”にちなんでマン(MAN)ハッタン(HATTAN)になったんだって」

んんん?初耳だけど、それ絶対に都市伝説でしょう。そんな疑念が拭えず、チェックアウトの時間ギリギリまで調べました。疑問に思ったら調べずにはいられない性分です。



出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



ヒントは現在のニューヨーク市章に描かれていました。左の洋服を着た男は入植者で、建物が垂直かどうかを測定する下げ振りを持っています。そして右はネイティブ・アメリカンのレナペ族で、こちらは弓を手にしています。アメリカ合衆国の最初の入植者はイギリス人とフランス人で、彼らに初めて会ったのがネイティブ・アメリカンのレナペ族でした。詳しくはレナペ族を構成する3つのトライブのひとつ、マンシー(Munsee)と呼ばれる小な集団で、彼らが住んでいたのが現在のマンハッタンの一部だったのです。

で、ざっくり言うとですね。ざっくりですよ。マンシーの言語の組み合わせ、「manah-áht-ee (manah=集める、aht=弓、ee=動詞の連体形)」がマンハッタンの由来というのが有力説なのです。本当は言語学者アイブス・ゴダード氏の著書にあと数説、さらに詳しく記されているのですが、この辺で。古都奈良の文化遺産を前にして、マンハッタンについて考えるなんて思いもよらず…。私の初めての奈良一泊旅行は、まさしく故きを温ねて新しきを知る体験となりました。

出典: 『The Origin and Meaning of the Name “Manhattan”




クリス‐ウェブ佳⼦(モデル・コラムニスト)

1979 年10 ⽉、島根⽣まれ、⼤阪育ち。4 年半にわたるニューヨーク⽣活や国際結婚により、インターナショナルな交友関係を持つ。バイヤー、PR など幅広い職業経験で培われた独⾃のセンスが話題となり、2011 年より雑誌「VERY」専属モデルに。ストレートな物⾔いと広い⾒識で、トークショーやイベント、空間、商品プロデュースの分野でも才覚を発揮する。2017 年にはエッセイ集「考える⼥」(光⽂社刊)、2018 年にはトラベル本「TRIP with KIDS―こありっぷ―」(講談社刊)を発⾏。

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