建築家として、都心を中心にデザイン性の高いマンションを数多く手掛けている三沢亮一さん。そして、コロラトゥーラ ソプラノとして日本とウィーンを拠点に活躍する田中彩子さん。アートやオブジェに囲まれた三沢さんのご自宅で、音楽プロデューサー・コンサートプロデューサーである坂田 康太郎さんをファシリテーターに迎えてお話を伺いました。
自分の好きな作品で、相手をおもてなし
坂田さん:本日はアートを身近に感じることで生活を豊かにするという観点でお話をお伺いできたらと思います。まず、オペラというと格式高く気軽に行けないというイメージも先行しがちですが、広く親しんでほしいという想いもあるかと思います。そのあたりはいかがでしょうか。
田中さん:富裕層の方々が楽しんでいたオペラが現代にそのまま残っているという歴史を加味した上で考えるのであれば、個人的には無理に親しみやすさを出す必要はないと思っていて、これまで残してきたオペラの在り方はそのまま、どう皆さんに興味を持っていただくかが大事だと思っています。ヨーロッパでは、オペラが歴史に根付いたもので、高級ではあるけれども、身近な存在でもあると思うんです。ヨーロッパで現代音楽がスッと受け入れられている部分があるのはそういった歴史からかもしれません。芸術と歴史で分けずに一緒に混ぜながら考えると、何か見えてくるのかなと思っています。
坂田さん:入り口を私たちが見つけるということも大切かもしれないですね。現代音楽と同様に、ヨーロッパ、特にロンドンでは、コンテンポラリーアートもすんなり受け入れられている印象があります。
三沢さん:それも少しずつ変わってきているんじゃないでしょうか。今までは「いわゆるアートらしさ」という概念はあったんですけれども、最近は「超現代アート」が現れ、マーケット上も大変流通しています。扱うギャラリーも多くなってきているので、非常に身近になっており、まさに今は変化を感じています。
坂田さん:なるほど、確かに国内でもアニメの世界観を持ったアートの美術展を大々的に行っていることがありますよね。本日は、三沢さんのご自宅に伺っています。三沢さんがご自宅に田中さんを迎えるためのアートを選んだそうなんですよ。ぜひ、その辺をご説明ください。
三沢さん:まず、我々のように設計デザインをする立場からすると、アートをどこにどう配置するかというのはすごく重要なことなんです。エントランスやリビングなどお客様が訪れる場所はパブリックゾーンとして、自分を表現しながらお客様に対する歓迎の気持ちを表現します。一方で、寝室などはプライベートゾーンなので、他人から評価されなくても自分の好きなアートを飾る。場所によって適正な配置をして、最終的に楽しむことができればいいんです。今回、リビングではこの画を見ていただきたいんですけども。篠田桃紅さんの墨象画ですね。墨と金箔を用いて独特の感性で空間を構成されていて、私のコレクションの中では一番好きな作品です。それから割と大きなものですから、田中さんをお迎えするにあたって堂々と掲げよう、という想いがありました。
田中さん:かっこいいです。墨象画でこういう感じのデザインがあるのだと初めて知りました。
三沢さん:満足いただけたのであれば、このような大きな作品を飾った甲斐があります。おそらく田中さんのように海外で活躍される方は、ご自身の背景をしっかり持たれていると思うんです。篠田さんも単身で渡米し、当時アートシーンの中心だったニューヨークを拠点に墨象画を発表されていました。日本を意識して、どこか落ち着いた柔らかい表現がされているこちらに、何か通じるものがあるのではないかなと考えたんです。
田中さん:かっこよくて芯があって、でも柔らかさがある。こんなイメージを持っていただけて、選んでいただいたなんて本当に嬉しいです。
坂田さん:まだあるんです。これはオーストラリアのアボリジニアートですね。
三沢さん:そうです。原住民の人たちが描いていたものから発展した現代的なアートですね。特徴的なのは神話をテーマに、俯瞰から見たような目線で、点で描くそうです。だから地図のようにも見えますよね。近年フランスのケ・ブランリ美術館でアボリジニアートの展示が行われ一段と脚光を浴びました。ただ、飾る事によって空間が明るい印象になるんです。あまり見たことがない柄ですから、「これは何?」と皆さん興味を持っていただくことの多いアートです。
坂田さん:こちらもおもしろいですがカウベルと梵鐘ですか。
三沢さん:これはバンコックの小さなホテルに宿泊した際に、エントランスの端に置かれていたんです。「あれ何?」って聞いてみたら、カウベルで。東南アジアの隣の国同士で同じ用途で作られたものが、地域によってちょっとずつ違うんですね。比較することによって文化の違いみたいなものがあるのが面白いと感じています。
坂田さん:ビルマ、カンボジア、ラオス、タイ…全部独立して違う文化が作られていたためか、ガラパゴス的にそれぞれにできているのが面白いですね。
三沢さん:そして、これも面白いオブジェでしょう。ベルギーに住んでいる私の友人のクラウス・デュポンさんの作品です。土台はアンティークで頂部は自然の鉱石や貝ですよね。アトリエを訪ねたことがありますが、彼も骨董市などを歩いていろんなものを集めていて、どう組み合わせてどんな作品にするかを常に考えている方です。
田中さん:そうそう、さっきから動物の上に乗っているのは何だろうと気になっていたんです。
三沢さん:光が当たると綺麗ですよね。こんな風にいろんな文化が融合されている事が魅力です。
坂田さん:様々な作品をご用意いただきましたね。
田中さん:わたしは頭の中が5歳児で止まっているので、全てのものが目新しく感じて楽しいです。もうテーマパークみたいな感じで、あれは何だろうこれは何だろうって見ながら、やっぱりお話が面白いのでずっと聞き入ってしまいました。ウィーンの家の近くではよく蚤の市をしているので、三沢さんが骨董品を見られた時、どう思われるのかな、と気になることがたくさんあります。
三沢さん:今の話で私と唯一の共通点がわかったのですが、私も会社で5歳児だと言われています(笑)。共通点があって、よかったなと。
坂田さん:おふたりがピュアということですね(笑)。いろいろと拝見し、パブリックな空間は、自分の考えを示すところでもあるのだと感じました。
三沢さん:そうしないとお客様に対して失礼だと思いますね。ただ歓迎します、というだけじゃなく私はこういう意味であなたを歓迎しますという方がいいと思うんですよ。それはアートだけではなく、いろんなオブジェも通じて、空間全体でコーディネートすることが大事だと思います。
坂田さん:自分のアイデンティティを基調として、おもてなしのものを置くなんてとても贅沢な技ですね。自宅でも取り入れてみたいという方にアドバイスはありますか?
三沢さん:大事なのは自分が「良し」とするものを選んで、そのうえでお客様に良い気分になってもらうということです。たまたま今回は大きな絵で表現させていただきましたけれども、どんな小さなものでもいいですから、アートに限らず好きなものを置く。そして、一番いいのはそこから話が始まること。もしかしたら相手は「私は好きじゃないわ」と言うかもしれないけれど、そういう会話が大切なんです。決して高いものとか、貴重なものでなくて構わないので、自身のこだわりのあるものについてお話しするのがいいのではないでしょうか。
自然が生み出すものが一番のアート作品
坂田さん:田中さんはご自宅でどのようにアートに親しまれていますか。
田中さん:私自身はあまり人を招くことはありませんが、自分のためになるべくお花や自然を飾ることにしています。自然って最強の芸術作品だと思うんです。季節を感じながらその時にしかない花を飾るのは贅沢なことですよね。
坂田さん:近年では、猛暑が続いたこともあって、日本の四季の変化が薄れていると感じますね。
田中さん:それでも、ひぐらしが鳴いたら夏の終わりだなって感じるじゃないですか。それを感じるのも芸術につながることだと思います。
坂田さん:私も家に花を飾りたいとは思うものの、忙しいとなかなかその余裕ができないんです。
田中さん:日々、時間に追われていると、つい忘れちゃうこともあると思うんですね。でも実際、一度でもお花を飾ってみると心がちょっとホワッとするはずです。道に咲いた草花に目を向けるだけでもいいですよね。ジャスミンやクチナシが道端に咲いていて、みんな気づかずに歩いていますが、とてもいい香りなんです。勝手に摘んだらダメだとは思いますが(笑)、立ち止まってちょっと香りを楽しんでみるだけでもいいのではないでしょうか。
坂田さん:オペラ歌手という身体が資本の職業ですから、常に節制してなきゃいけないですよね。その分、心のゆとりを持つことを大切にされているんでしょうか。
田中さん:私は歌ですが、それに限らず何かを表現する際、自分が人生をどのように歩んでいるかが出てくると思うんですよ。普段自分が目にしているもの、経験していることが最終的に自分が創り上げるものに関わってくると思うと、1分1秒たりとも自分が求めるものと反する事をしたくないとか、美しいものを見たいとか、やりたいことを経験してみたいとか、お話聞いてみたいとか、そういう興味であふれてくるんです。歌うためにストイックに健康的なものだけを食べるなんて、そんな人生つまらないじゃないですか。私は自分の人生を楽しく生きたいし、そのためにはいろんなことを知りたいし、経験したい、っていうことにつながっているのかなと思います。
坂田さん:そんなに広角で見られるっていうのはなかなかないんじゃないですか。田中さんは音楽のレパートリーも幅広いですよね。クラシックだけじゃないという点も、親近感が湧く人もいると思うんです。そこは何か意識されているんですか?
田中さん:私の父がシャンソンとカンツオーネが好きで、家ではよく流れていたので、私はクラシックよりもそちらの方が最初は好きでした。実は、一回もオペラを聴かないまま留学したんです。だから私の中でマニアックさがないんですよ。「クラシックがすごく好きな人はいいけど、そうじゃない人からしたらつまらないかも」という客観性を忘れずにいたいなと思っています。
坂田さん:それは尊いことですね。
田中さん:それでも、専門的なことを仕事にしているので、私からしたら当たり前の曲でも一般にはマニアックだった…というのは起こってしまうんです。でもそれはそれでいいかなとも思っていて、皆さんが知っている曲もあれば、すごくマニアックな曲も入れるっていうそのバランスは気をつけるようにしています。
三沢さん:コンサートでは歌う方が選曲するのが当たり前のことなんですか?
坂田さん:オペラはそうですね。そして、多くは自分のレパートリーの中で選ぶので、偏りがちなんです。田中さんの場合は様々な国の音楽が入ってくるんですよ。そういう選曲は非常に珍しいですね。言語によって発音の方法をチェンジしなきゃいけないので歌手にとっては大変なはずです。
田中さん:それこそマニアックな視点ですね(笑)。おっしゃる通り、発音の仕方が違うので、言語で固めるようにはしてます。ドイツ語が2曲続いたら、次はフランス語2曲とか…キャラクターも変わるので、交互に歌おうとすると大変ですね。
坂田さん:三沢さんのお仕事で共通項を感じる点はありますか?
三沢さん:私どもも提案は自分で考えないといけないんですよね。クライアントからの要望もありますが、建物に対しては、形とか文化性を折り混ぜながらも、やっぱり一本芯を通ったものを提案する必要があると思うんです。建築ってこれだけの大きさしか建てられないとか、色々な制限があることも多いんです。それをある程度踏まえた上でこの場所にとっては、こういうものが一番適していますよっていう提案をさせていただく。そこで住まう方が快適に人生を楽しめるような空間を作っていくようにしています。
坂田さん:なるほど。ということは「その土地」というところが最初ですか。
三沢さん:そうですね。どのような建物を建てるかという部分と、その建物と環境から考えること。やっぱり両面から考えていかないといけないかなと思います。
坂田さん:そういう意味では音楽にすごく共通していますね。土地の空気を感じないとやっぱりわからないことがありますよね。
田中さん:それはもう大前提だと思います。なぜその国でこんなリズムが生まれたのかには必ず理由があって、それはその土地に行けば肌で感じられることがたくさんあります。
坂田さん:最後にアートや音楽で生活を豊かにするというテーマについて、改めて読者の皆さんへ一言お願いします。
三沢さん:それは私がお手伝いします。
坂田さん:そう来ましたか(笑)。
田中さん:やっぱり全てのものはつながっていると思うんです。目に入る情報から聴きたいものって変わってくると思うんですね。例えば三沢さんが作った家に住んだとき、その美しい環境に身を置くと、「こういう音楽を聴こうかな」となってくる。全てにおいてフュージョンして、自分にとって居心地がいい美しい場所ができれば、自然と音楽などの芸術につながっていくのではないかと思います。
田中彩子
18歳で単身ウィーンに留学。 22歳でスイスベルン州立歌劇場にて『フィガロの結婚』のソリスト·デビュー。 UNESCOやオーストリア政府の後援によりウィーンで開催されているSCL国際青少年音楽祭に2018年より出演。アルゼンチン政府が支援し、様々な人種や家庭環境で育った青少年に音楽を通して教育を施す目的で設立されたアルゼンチン国立青少年オーケストラとも共演するなど、社会貢献活動にも携わる。 2019年 Newsweek誌 「世界が尊敬する日本人100」 に選ばれる。2014年にエイベックス・クラシックスよりデビュー、2024年7月24日には「ベスト・オブ・ハイコロラトゥーラ」を発売、9月より「田中彩子 デビュー10周年記念リサイタル」全10公演のツアーも開催。
《SDGs x 芸術》を理念に活動する法人、Japan Association for Music Education Program /代表理事
三沢亮一
株式会社ミサワアソシエイツ一級建築士事務所 代表取締役、株式会社M・A・I 代表取締役、早稲田大学理工学部建築学科卒業。都心のハイエンドマンションをはじめ、数多くの共同住宅プロジェクトを担う。2009年には渋谷区神宮前に「GALLERY RYO」を開設。一般社団法人HEAD研究会理事・ライフスタイルTF 委員長。LIFESTYLE PROJECTS 実行委員長。
坂田 康太郎
ラグジュアリー企業等CSR・CRM・PRコンサルタント。毎年東京藝術大学でアートマネージメント公演実施。海外来日公演オペラ・クラシック解説担当。(社)音楽家就業支援機構(MESPO)アンバサダー、株式会社 CAP代表取締役社長、資生堂のCM制作でACC賞受賞他、多くの広告賞受賞。ラグジュアリーブランディングプロデューサー。『オペラ直前講座』(オペチョク)編集長、『銀座アート塾』塾長。音楽プロデューサー/コンサートプロデューサー/舞台監督/商品開発 クラシックコンサートや海外のオペラ招聘に携わりながら、企業の芸術、文化メセナ活動や若手芸術家達を支援。音楽芸術を通じて、企業のCRM、CSR構築で多くの 実績をあげる。CHANEL Pygmalion Daysなどの若手アーティストの発掘と育成プロジェクトでも多くの実績を上げている。
取材&文・SUMAU編集部
撮影・古本麻由未