ここパリには200ほどの美術館と、1000を超えるギャラリーがあるといわれる。「アートを観る」場所といえばまずは美術館をイメージするだろうが、実は現代アートのリアルなシーンを感じるのにギャラリーほど適した場所はない。パリに拠点を置く世界有数のギャラリーには国際的に知られた美術家たちが名を連ね、美術館に匹敵する、あるいは美術館では観られないような貴重な作品を展示。私たちは自由に鑑賞することができる。


いま、そんなパリでも主要な2つのギャラリーで、それぞれ日本を代表する二人の美術家の個展が開催されている。



タンプロン・パリ 塩田千春 展


塩田千春「MEMORY UNDER THE SKIN」展示風景, TEMPLON, PARIS, photo by Adrien Millot


そのひとつは、ポンピドゥー・センターにほど近いギャラリー「Templon タンプロン」で7月22日まで開催中の塩田千春展「Memory Under the Skin」(皮膚からの記憶)。塩田千春といえば、今や国際的な現代美術の世界でその名を知らぬものはない。20年以上にわたって住み続けるドイツのベルリンを制作拠点に、これまで数多くの美術展などを手がけ、2015年には第56回ヴェネチア・ビエンナーレ日本館の代表作家として選出されインスタレーションを制作。2019年に東京の森美術館で開催された大規模な展覧会「魂がふるえる」を記憶している人も多いだろう。



塩田千春「MEMORY UNDER THE SKIN」展示風景, TEMPLON, PARIS, photo by Adrien Millot


フランスでも指折りの規模と知名度を誇るこのギャラリーの2つのフロアを使った今回の展示は、無数の糸の存在が空間を凌駕するサイトスペシフィックなインスタレーション作品をメインに、糸の彫刻やドローイングの新作が並ぶ。彼女を代表するような大型作品にも圧倒されるが、織り上げられた糸にさまざまなオブジェが絡み合い閉じ込められた作品や、繊細な針金からなる作品一つ一つにも作家の強い想いが伝わってくるようで心を奪われる。



塩田千春「MEMORY UNDER THE SKIN」展示風景, TEMPLON, PARIS, photo by Adrien Millot


今回展覧会のタイトルとなった「Memory Under the Skin」には、塩田千春が長く探求してきた「第二の皮膚」としての衣服、というテーマが込められているという。その象徴となるのが、展示室入口で私たちを迎える大きな衣服の作品《Memory Under the Skin, 2023》だ。



塩田千春「MEMORY UNDER THE SKIN」展示風景, TEMPLON, PARIS, photo by Adrien Millot


この作品の持つ意味合いについて作家はこう答えてくれた。


「私たちの服は第二の皮膚のようなものです。衣服は肌の色、年齢、国籍などを超越します。私たち自身についてより多くを表現し得るという意味で、衣服は私たちの肌よりも強力な存在とも言えます。私たちが死ぬとき身体は衣服や身の回りの物に囲まれますが、これは私の作品のテーマの一つでもある『不在の中の存在』と関連します」


皮膚とつねに接する衣服に残されるのは、私たちがそこに生き、呼吸し、存在したという痕跡だ。まるで血塗られたようなこの衣服の作品に込められた「記憶」とは何だろうかと、私たちは思いを巡らせる。


塩田千春は、こうした「もの」や「場所」に残された記憶、まさに不在という存在感を作品に表現してきた。他の作品で紡がれる糸もそうしたさまざまな形態のない存在、言葉にならない感情に「かたちを与える」という行為ともいえるだろう。一方で今回は、彼女自身や夫、そして娘の手を石膏で、そしてブロンズで再現するという、永続的な素材でのアプローチも試みている。「私が死んだ後も残るものを作りたかった」そう彼女は語る。「私にとって素材は身体の延長であり、皮膚の下にある記憶のようなものなのです」。



塩田千春「MEMORY UNDER THE SKIN」展示風景, TEMPLON, PARIS, photo by Adrien Millot


展示室の中央を埋め尽くすような赤い糸の作品《The Extended Line》。その下に静かに置かれた手には、彼女が経験した癌の治療の記憶が込められているという。


「ブロンズ像は自分の手をかたどったものです。二回目の癌になった時の抗がん剤の治療中に身体と心がバラバラになるような気持ちになり、ブロンズという永く残る素材に自分の身体を型どりたいと思いました。このインスタレーションでは、かたちとして存在する身体の周りを精神や思いが舞っているような状態を表現しようとしました」


世界にはたくさんの形あるものが存在していて、私たちはそれに目を奪われがちだ。しかしそこには言葉にならない心の思いや葛藤、数々の記憶、あるいはつながりのような、目には見えないものが無数の網目のように際限なくあふれ、広がっている。塩田千春の作品は、私たちの「生きる意味」に答えがあるとすれば、形あるものではなく、むしろこの目に見えないもののほうにあるのだと、私たちに語りかけているように見える。



塩田千春「MEMORY UNDER THE SKIN」展示風景, TEMPLON, PARIS, photo by Adrien Millot



塩田千春「MEMORY UNDER THE SKIN」展示風景, TEMPLON, PARIS, photo by Adrien Millot




ペロタン・パリ 加藤泉展


そしてもう一つの展覧会は、東京・六本木やニューヨークにも支店をもつギャラリー「Perrotin ペロタン」で開催中の加藤泉展。3年ぶりとなるパリでの個展は、いくつもの部屋に展開するペロタン・パリのスペースを存分に活かし、まさに美術館クラスの贅沢な展示が公開されている。



展示風景 Photo: Claire Dorn. ©Izumi Kato. Courtesy of the artist and Perrotin


1969年島根県生まれの美術家・加藤泉は、現在は東京を主な拠点に制作活動をつづける。1990年後半から画家として本格的にキャリアをスタートした彼は、2000年代からは木彫作品を発表。そこからソフトビニール、石、布など多様な素材を使い、表現のアプローチを広げてきた。


2007年のヴェネチア・ビエンナーレの国際企画展をはじめ、国内外の数多くの展覧会に参画。近年はここペロタンの扱い作家としてニューヨーク、東京、香港などで紹介され、高い評価を得ている。



展示風景(筆者撮影)


加藤泉が描くのは、一見すると子どもか胎児のような、はたまた精霊か原始人かとも思わせる人物像、のようなもの。かつて筆者がこのモチーフについて話を聞いたとき彼が「犬や猫だと『かわいいね』で終わってしまうのが、人がたにすると、観る人はいろいろと考えはじめるんですよ」と語っていたのを思い出す。


まさしく加藤泉の描く「人がた」は、言葉ではいかんとも表現しがたい不思議な造形と表情でありながら、観る私たちを引きこむ力を持っている。今回の展覧会に批評を寄せたギメ美術館館長のソフィー・マカリウのように、日本の風土に根づいてきた妖怪や無数の不思議な生き物の存在と評したり、あるいは地球外生物など異世界の存在とのハイブリッドな生命体としてとらえる人もいる。


今回の展覧会は、そうした底知れないパワーと魅力をもった彼の近年の制作活動を一挙に公開するものになった。



展示風景 Photo: Claire Dorn. ©Izumi Kato. Courtesy of the artist and Perrotin


大きく2つに分かれた「ペロタン」のスペースのうちサン=クロード通り側の展示室では、まず横たわる巨大な石の彫刻絵画が迎えてくれる。そして圧巻なのは、その先の部屋を覆い尽くすプラモデルの箱によるインスタレーションだ。



展示風景 Photo: Claire Dorn. ©Izumi Kato. Courtesy of the artist and Perrotin


加藤泉は近年プラモデルを作品に使い始めた。実はコロナ禍で展覧会が相次いで延期・中止になったときに、制作スタジオでプラモデルを作りはじめたのだという。ネットオークションで調べるうち、動物や昆虫などのプラモデルを発見し、買い始めた。そして作っているうちに作品に使えるのではないかと思い始め、木彫に組み合わせてみた、というわけだ。制作のプロセスや作家の脳内、加藤泉ワールドの片鱗を垣間見るようで楽しい。


ほかの展示室でもヴィンテージプラモデルが木彫にコラージュされたり、プラモデルの箱から展開された平面の作品や組み立て説明書をコラージュした作品などが散りばめられている。さらにはそれが高じて、彼がプラモデル開発会社の社長との出会いを通じて企画した加藤泉オリジナルのプラモデルまである。



展示風景 Photo: Claire Dorn. ©Izumi Kato. Courtesy of the artist and Perrotin


絵画をベースにしながらも、かろやかに素材の垣根を超え、遊び心も加えて新たな表現を生みだしていく加藤泉。パリや世界がどのように反応するか、これからがますます楽しみだ。



展示風景 Photo: Claire Dorn. ©Izumi Kato. Courtesy of the artist and Perrotin




<展覧会情報>


Templon タンプロン

塩田千春展「Memory Under the Skin」

28 rue du Grenier Saint-Lazare, 75003 Paris

https://www.templon.com/exhibitions/current/



Perrotin ペロタン

加藤泉展

76 rue de Turenne, 75003 Paris

10 impasse Saint-Claude, 75003 Paris

https://www.perrotin.com/



(文)杉浦岳史/パリ在住ライター
コピーライターとして広告界で携わりながら新境地を求めて渡仏。パリでアートマネジメント、美術史を学ぶ高等専門学校IESA現代アート部門を修了。2013年よりArt Bridge Paris – Tokyo を主宰。広告、アートの分野におけるライター、アドバイザーなどとして活動中。パリ文化見聞録ポッドキャストラジオ「パリトレ」配信中です。

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