友人が訪ねて来たら連れて行きたいお気に入りの店が誰にでもひとつはあります。街の人々に愛される店こそ、胸をはって紹介したい“わが街の味”。この連載では、そんな街で人気のお店を紹介しています。今月は、世田谷区野沢で愛される懐石料理店『春草』。都心にはない落ち着いた雰囲気で、日常の“おいしい”を体験できる貴重な和食店です。

紹介する街●学芸大学

【日本料理】

器の中に四季を映し、自然のあるがままを良しとする

懐石料理『春草』は、学芸大学駅から徒歩15分、駒沢大学駅、三軒茶屋駅などからも歩ける中間地点、世田谷区野沢にある。このエリアは禅寺・野沢龍雲寺を擁する由緒ある土地柄で、高級住宅街・柿の木坂にもほど近い世田谷の奥座敷だ。

ゆったりとした空間で席数をしぼって営業している。

うららかな春の訪れを連想させる『春草』という店名は、禅語の「春来草自生(はるきたらばくさおのずからしょうず)」に由来している。

この言葉に出会ったのは、店主の今井良和さんがまだ駆け出しの料理人だった頃。お金を貯め、憧れの老舗料亭に勉強のために食べに行ってみると、床の間にこの掛け軸がかかっていたという。

人生の酸いも甘いも噛み分けた年配の女将が、言葉の意味を説明してくれた。そして「今は冬かもしれませんが、この先春が来てきっと芽吹く時が来る」と背中を押してくれたのだった。

その時、いつか自分の店が持てたらこれを店名にしようと心に決めたという。時が過ぎ、いざ独立という時にこの言葉から2字をもらいうけ『春草』と名付けたのだった。

新いくら かます炙り なす ほうれん草 11,000円のコースより
コースの1品目の前菜。夏の名残と秋の始まりが詰まっている。

今井さんが大切にしているのは、季節を感じ、そして手をかけ、時間をかけて仕上げること。

「作り立てを目の前で出すという手法は、ライブ感があってわかりやすいですが、和食の良さはむしろ入念な仕込みにあるんです」ときっぱり。

じんわりと煮ふくめた煮物には、食べた瞬間のインパクトや派手さは無いが、身体に染みていくおいしさには格別なものがある。

八寸 11,000円のコースより
白菜、焼き椎茸のおひたし、神奈川県・佐島のたこ、北海道のズワイガニ、子持ち鮎、カツオ、宮崎牛など選びぬいた食材を使った季節の八寸。

そんな料理の集大成ともいえるのが、季節の香りを目と舌で感じさせる八寸だ。麗しい小鉢はどれも手間を惜しまぬ仕事を感じさせ、料理人としての実直な人柄をうかがわせる。目の前に運ばれてくると、これから始まるコースへの期待も一段と膨らむ。

土鍋ご飯 11,000円のコースより
この日はふっくら煮た穴子とささがきごぼう、山椒を効かせた炊き込みごはん。

懐石料理のコースは9,000円と11,000円の2つ。季節替わりだが、仕入れによっても、内容はゆるやかに変えている。頻繁に訪れるゲストには以前と料理が被らないように調整したり、お酒を飲む、飲まないで少し皿を入れ替えたりと、細やかな心遣いがうれしい。

ワインや日本酒が好きと言う今井さんが選んだおすすめのお酒のラインアップも秀逸。

和食の料理人として30年のキャリアを持つ今井さんは、修行時代の名店からの付き合いという仕入れ先も多い。今井さんの人柄と料理をよく知るからこそ、いいもの、店にあった食材を回してもらえるのだ。

「価格帯を考えると最高級の魚を仕入れるというわけにはいきませんが、少量しか入荷しない希少な魚などを取っておいてもらえることも。そこが小さな店の利点でもありますね」という。

器も楽しんで欲しいといいものを揃えている。

料理を彩る器もまた見どころ。器好きと言う今井さんは、顔見知りの作家も多く、こういうイメージの皿があったらなどと、リクエストして作ってもらうこともあるのだとか。酒器を始め、そんな器を楽しむのも『春草』の醍醐味といえる。

落ち着いた住宅街に店を構える『春草』は、客層も40代を中心に和食を食べ込んでいる上の世代も多い。それだけに手を抜けないが、場所がらハレの日の食事というよりも、日常の食事として気楽に楽しんで欲しいと今井さん。

料理と真摯に向き合い、ひたすらに研ぎ澄ましていくその料理は、通うほどにしみじみと心に染み入る。四季折々に通ってこそ、真価の分かる日常の中の極上店だ。

春草

しゅんそう

住所:東京都世田谷区野沢2-5-1 DAYAWARDY 1階

電話:03-6450-7818

営業時間:18:00〜22:00 (最終入店21:00)

定休日: 水曜(月に1度連休あり)

※掲載価格は税・サ別価格です(2023年10月現在)

取材&文・岡本ジュン 撮影・マツナガナオコ

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