ルーヴル美術館からセーヌ川を渡ってすぐ。チュイルリー庭園の対岸にある「オルセー美術館」は、モダンアートと呼ばれる19世紀から20世紀初頭の絵画や彫刻を中心にした作品を所蔵・展示するスポットとして世界中に知られる。19世紀といえばアートのスタイルが大きく変わり、パリも都市化が進んで「花の都」「光の都」として知れわたるようになっていった時代。ここは「パリがいちばん輝いていた時代を映したミュゼ」と言ってもいいかもしれない。

パリがいちばん輝いていた時代、といえば、いまオルセー美術館が入っている建物がまさにそう。この壮麗で美しい建築は、上記の写真でも想像がつくように、かつて駅舎であった建物。この真ん中に当時は線路が通り、鉄道が停まっていた。

1900年にパリ万博が開催されたとき、パリで初めての地下鉄の開通やグラン・パレ、プティ・パレの完成などとあわせて、万博のシンボルとして誕生したのが「オルセー駅」だった。建築家のヴィクトール・ラルーは、駅を「より快適で高級な場所」として造るという、それまでにないコンセプトで設計したといわれる。中にはホテルも造られ、鉄道に乗ってやってくる人々を迎え入れた。


その後、鉄道がめざましく発展していくなかで、オルセー駅は新しい鉄道の規格に合わなくなり長距離列車のホームを廃止。建物は映画の撮影や劇団の劇場に使われ、一時は取り壊して近代的なホテルに建て替えるという案も出されたが、紆余曲折ののち、駅舎を美術館に改装するという案が浮上した。

新美術館の工事が開始されたのは1980年。イタリアのインテリアデザイナーで美術館の内装を数多く手がけたガエ・アウレンティがコンペを獲得してプロジェクトに加わり、1986年に完成、開館を迎えた。

外観やアーチ型の形状がそのままなら、工事は難しくないと思われそうだが、そうでもない。「駅」という工業建造物を美術館に再開発するというのはこれが初めて。しかも1978年には国の「歴史的建造物」に指定されていたので、もとの設計や装飾を保存しつつ、観客を迎え、作品を保存する美術館としての基準もクリアしなくてはならない。たとえば、天井に施されたたくさんのバラの彫刻はオリジナルを忠実に復元しているのだが、空調設備の残響を避けるため内部に通気口を隠した構造になっているという。



美術館の中で、かつての「駅」らしさをいちばん残している要素のひとつが、この大時計だろう。金色の美しいオーナメントで飾られた内部の大時計、そしてセーヌ川に向けて残された大きな2つの時計は駅舎だった時代のものだ。駅の時計を見上げて出発までの時間を確認するという機会も少なくなったが、いまでも大きな時計はどこか郷愁を誘う。



そして建物の5階まで上がると、外に向けられた大時計を裏側から見ることができる。時針や数字の向こうにパリ中心部や遠くモンマルトルの丘の風景が見えるここは、観光客に人気のセルフィースポットだ。



ところでパリにある国立美術館のトップ3といえば、このオルセー美術館とルーヴル美術館、そしてポンピドゥーセンターの近代美術館だが、実はこの3館は所蔵する作品や作家の年代が分けられて所蔵されている。

いちばん古い時代を担当しているのは、もちろん世界最大級のスケール、世界最多の入場者数を誇るルーヴル美術館で、古代から1800年代前半まで数千年の美術の歴史が詰まっている。次がオルセー美術館で、ここにはフランスで2月革命といわれる事件が起きた1848年から1900年代の初頭、アール・ヌーヴォーが輝きを放ち、ヨーロッパに大きな爪あとを残した第一次世界大戦が始まる1914年までの作品がおかれる。そしてポンピドゥーセンターには、1905年頃ピカソやマティスが画壇に登場した時代から現代までに至る近現代アートの歴史が語られる。


ルノワールの作品が並んだ5階展示室


先ほど時計を裏側から見た5階にある展示室は、そんなオルセー美術館のハイライト。1800年代後半におこった印象派からその後の20世紀前半まで、パリがアートの都として栄華を誇った頃の絵画作品がずらりと並んでいる。名を挙げるなら、マネ、モネ、ルノワール、ドガ、セザンヌ、ゴーギャン、ゴッホ、ロートレックなど。誰もが知る画家の、誰もが知る名作が一堂にそろう世界のアートファン憧れの場所だ。

2009年から2011年まで、この印象派と後期印象派の部屋は大改装が行われ、ダークな基調の室内に柔らかな自然光が静謐なコントラストを生みだす理想の展示空間ができあがった。

これにあわせて室内のベンチは、日本のプロダクトデザイナー吉岡徳仁氏による《Water Block》がおかれ、いまに至る。当時のオルセー美術館館長ギ・コジュヴァル氏の強い想いで実現したといわれる名作絵画と名作家具のコラボレーション。望遠鏡のレンズのような極めて高いガラスの純度と透明感、そして水の波紋をそのまま彫刻にしたようなゆらぎが見とれるほど美しい。そして意外にも座り心地が良く、少し不思議な感じがする。


エドゥアール・マネ《草上の昼食》と吉岡徳仁氏の《Water Block》

展示室でこのガラスの椅子と対峙する最初の絵は、エドゥアール・マネの代表作《草上の昼食》。この絵が描かれた1863年は、絵画といえばまだギリシャ神話や宗教にまつわる話、あるいは肖像画が主流だった時代。マネは一般市民のしかも女性の裸像を描いて激しく批判されると同時に、その革新的なモチーフによって美術のコードを変え、のちの印象派の画家たちに大きな影響を与えた。


ピエール=オーギュスト・ルノワール《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》

その先に登場するのはピエール=オーギュスト・ルノワールの《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》。いまなら、ふんわりと彩りあざやかな絵画と言われそうだが、この時代にこの絵のスタイルはとても斬新なことだった。ムーラン・ド・ラ・ギャレットは、モンマルトルの丘の上にあったダンスホールで、芸術家や学生たちが集まる社交場。華やかなパリの情景を映したそのモチーフそのものも当時は新鮮だったし、なによりもその雰囲気を輪郭の定まらないタッチで軽妙に、そして地面や人々の顔にかかった影を青く描いていたというのも印象派の画家らしく、それ以前の古典的な画家たちには考えられないことだったろう。


クロード・モネ《ルーアン大聖堂》


印象派を代表する画家、クロード・モネもこの展示室の主役。彼もルノワールと同じように輪郭を正しく描くよりも、自分が見ている景色の瞬間の美しさ、光や色のきらめきやその移ろいをキャンバスに残そうとした画家だった。《ひなげし》《三=ラザール駅》《パラソルを差す女》、上記のルーアン大聖堂の連作、そして彼が一生涯をかけて愛したジヴェルニーの庭と睡蓮まで、主要な作品がいくつもここオルセーにならんでいる。



エドガー・ドガ《青い踊り子達》


モネとならんで5階の展示室で光彩を放っているのが、オペラ座のバレエダンサーたちの舞台裏を多く描いたエドガー・ドガ。1827年頃に発明され、急速な発展を遂げていた写真技術にも強い関心をもっていたという彼。パリ・オペラ座の会員で、楽屋や稽古場に自由に入ることができたことで、ドガはまさにシャッターを切るように、ダンサーたちの何気ないしぐさの美しい一瞬や躍動感のあるダイナミックな構図でこの世界を切り取っていった。

ほかにもフィンセント・ファン・ゴッホが残した《ローヌ川の星月夜》《自画像》《オーヴェルの教会》、そしてセザンヌ、ポール・ゴーギャン、ロートレックの作品へと展示は進んでいく。あまりに名作が多いので、時間も忘れて長居してしまいそう。そのためか、展示順路の途中には5階のもうひとつの大時計を見ながら休憩できる「カフェ・カンパーナ」もある。




オルセー美術館が世界に誇る印象派の傑作たち。訪れたときは、教科書や雑誌では感じられないような画家の一つ一つの筆さばき、明るい光や彩色をキャンバスに残すための点描などの工夫、さらにはパリが最高潮に輝いていた時代の雰囲気を感じながら歩を進めたい。そしてなにより、こうした画家たちがこのスタイルで新しい芸術の時代を切り拓いていった革命児だったということをお忘れなく。産業革命で大きく変わった風景や暮らし、写真の発明で起きた画家や人々の意識の変化に目を向けつつ作品を観ると、アートの世界もまたさらに面白くなる。




(文)杉浦岳史/パリ在住ライター
コピーライターとして広告界で携わりながら新境地を求めて渡仏。パリでアートマネジメント、美術史を学ぶ高等専門学校IESA現代アート部門を修了。2013年よりArt Bridge Paris – Tokyo を主宰。広告、アートの分野におけるライター、アドバイザーなどとして活動中。ポッドキャスト番組「パリトレ」始めました。

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