「モードはひとつのアートだということを示したかった。自ら時代を創り、明日がどうなるかを予見しようとした」


そう語ったのはイヴ・サンローラン。パリが生んだモードの帝王であり、20世紀のファッションを革新し、女性たちの新しい生き方までも切り拓いたデザイナーだ。クリスチャン・ディオールの後継者として電撃的なデビューを遂げた彼が、自分のメゾンを立ち上げ、26歳で初のコレクションを発表した1962年から今年で60年。いま、パリにある6つの美術館では、彼のクリエイションを刺激しつづけたアートとの関わりにフォーカスした展覧会『美術館のイヴ・サンローラン』が開催されている。

アンリ・マティス《La Blouse roumaine ルーマニアのブラウス》とイヴ・サンローラン1981秋冬発表の衣装(ポンピドゥーセンター)


20世紀以降、モードとアートあるいは文学は互いに影響しあって新しいムーブメントを生みだしてきたが、イヴ・サンローランほど強くそれを意識したファッションデザイナーも他にいなかっただろう。彼は、美術界が生みだしてきた自由で多様な表現にインスピレーションを受け、それをモードのデザインとして再構築することで、ファッションに新しい風景をもたらした。


今回の展示の舞台は、ルーヴル美術館、オルセー美術館、ポンピドゥーセンター、パリ市立近代美術館、ピカソ美術館、そしてイヴ・サンローラン美術館というパリでも人気のミュゼばかり。イヴ・サンローランが創造の源泉とした実際の美術館所蔵作品と、そこから生まれた彼のデザインとを対話させることで、時代やジャンルを超えてクロスオーバーする文化と創造のあり方をひもとく。名作を数多く携えたこの街ならではの企画といえる。

イヴ・サンローラン美術館入口


まず見ておきたいのが、イヴ・サンローランの創作の場、そしてコレクションの発表の場でもあったメゾンの本拠地。1974年から最後のコレクションを開催した2002年まで約30年にわたってアトリエとして使われてきたマルソー大通り5番地、現在の「イヴ・サンローラン美術館」だ。


ここではイヴ・サンローランが初めてピーコートをデザインした1962年から、引退した2002年までに描いた300枚のドローイングやパターン、帽子の型など制作のプロセスが紹介され、上階では2014年の映画『イヴ・サンローラン』でも登場する彼の仕事場を見ることができる。ドローイングや素材、筆記具、当時の電話機そして書籍などが現役のアトリエさながらにおかれ、ファンを魅了する。書棚に彼がデザインの参考にしたかもしれない日本の図鑑、図録があるのも興味深い。

イヴ・サンローランのアトリエ(イヴ・サンローラン美術館)


ここに展示されているのは、ピカソとともにキュビズム派として知られた画家ジョルジュ・ブラックへのオマージュを込めたトワル(仮縫い)のデザイン。1988年春夏のコレクションで発表されたものの原型だ。別の部屋には、ブラックが好んで描いたギターや鳥などのモチーフがトワルに映され、そのまわりにはサンローランの流麗なドローイング群が並ぶ。


次に訪れたいのが、このイヴ・サンローラン美術館から歩いて5分ほどの場所にあるパリ市立近代美術館。ここはかつてパリ万国博覧会が開催された際のパビリオンとして建てられたモダンアートの殿堂。20世紀前半を中心にした名作がずらりと並び、イヴ・サンローランにインスピレーションを与えた作品も多く所蔵されている。ここでは彼が求めていた色彩のリズムをテーマに作品と服が競演。見ているだけで楽しい展示がつづく。

ラウル・デュフィ《電気の妖精》(1937)の展示室(パリ市近代美術館)


印象的なのは250枚のパネルを巨大な壁画に仕立てた画家ラウル・デュフィの作品《電気の妖精》と呼応するように展示された、イヴ・サンローラン1992年秋冬のイヴニングドレス。鮮やかに残されたデュフィの絵の色彩に、サテンドレスの輝きが美しく映える。

ピエール・ボナールの絵画の前に展示された2001年春夏の作品(パリ市近代美術館)


ナビ派の画家として知られるピエール・ボナールの作品、とりわけ庭園の風景にインスピレーションを得たとされるこの衣装も色鮮やかさが印象的だ。《庭》(1936頃)、《昼食》(1932頃)、《身繕いする女》(1934頃)の3点を前に、まるで絵画の彩色をパレットに使ったかのような華やかさとオーガンジーを素材に使った軽やかさが絶妙に調和する。

イヴ・サンローラン《Blouse Normand》(1962) (パリ市立近代美術館)


文学をこよなく愛したイヴ・サンローランはフランスの小説家マルセル・プルーストのファンで、20世紀のヨーロッパ文学を代表する傑作『失われた時を求めて』が愛読書だったという。1971年に大富豪ロスチャイルド男爵夫妻はパリ郊外のフェリエール城で後世に記憶される「プルーストの舞踏会」を開いたのだが、この時にイヴ・サンローランは、主催者の男爵夫人マリー・エレーヌと、招待客の一人ジェーン・バーキンのドレスを担当する。


オルセー美術館の展示は、このプルーストの舞踏会にインスピレーションを得たもので、美術館のシンボルでもある大時計の部屋に舞台がしつられられた。衣装は1966年秋冬コレクションで初めて登場したイヴ・サンローランの代表的なデザインとなった「スモーキング」。男性用のタキシードスーツを女性向けにアレンジした斬新なスタイルは、写真家ヘルムート・ニュートンやエディ・スリマンのビジュアルでも知られるが、その歴代のスモーキングが並ぶ。

1966年から2001年の間に発表された「スモーキング」のシリーズ(オルセー美術館)


2002年1月、イヴ・サンローランは記者会見で引退を表明。1月22日に開催された最後のオートクチュールコレクションでは、40年にわたるクリエイションを振り返る約300ものモデルが披露された。世界中のモードファンを感動で包んだそのショーが開催されたのが、実はパリが誇る近現代アートの殿堂、ポンピドゥーセンターだった。それはまさにイヴ・サンローランとアートの関係を象徴するかのような出来事だったといえる。この「思い出の地」に今回展示されたのはアンリ・マティス、フェルナン・レジェ、ソニア・ドローネー、ピート・モンドリアンなど名だたる芸術家の作品との共演。あるいはポップアートやミニマリスム、キネティックアートといった現代アートのエッセンスをいち早く採り入れた作品群。合わせて13のインスタレーションがポンピドゥーセンターの常設展示室に華やかな色を添えた。

フランスの画家フェルナン・レジェへのオマージュが捧げられた1981秋冬の作品(右)


ポップアートの旗手、トム・ウェッセルマンに捧げたドレス(右)と同じくウェッセルマンに影響を受けた英国の芸術家ゲイリー・ヒュームの作品「月」(2009)


イスラエルの芸術家ヤコブ・アガムの作品《ポンピドゥー大統領のためのエリゼ宮のプライベートアパートメントの控え室整備》とイヴ・サンローラン1968年秋冬コレクションの衣装他


ピート・モンドリアン《赤、青、白のコンポジションII》(1937)とイヴ・サンローラン1965年秋冬コレクション発表のドレス


最後にご紹介したいのは、イヴ・サンローランとアートの関わりにおいて代表作ともいえるこの作品。直線と色だけで構成される「コンポジション」シリーズで知られたピート・モンドリアンへのオマージュが捧げられた1965年秋冬のドレス、いわゆる「モンドリアン・ルック」だ。


膝まで見せる短い丈で、襟と袖はカットされ、当時はまだ斬新だったジャージーが素材として使われた。モンドリアンが「形」というものを徹底的に単純化していくことで辿りついた表現を、イヴ・サンローランもまた装飾的な要素を究極まで削ぎ落とすことで衣服のデザインに昇華。そこには、軽快で自由、スポーティなシルエットという、新しい時代の人々が求めた要素が織り込まれていた。「クレージュ」に代表される60年代のミニマルデザインを、イヴ・サンローランはオートクチュールというジャンルで、しかも誰も思いつかなかった大胆な構図と色彩で展開し、世間をあっと言わせたのだった。


雑誌「ヴォーグ・パリ」で表紙を飾ったこのデザインは一世を風靡し、これによって画家ピート・モンドリアンの名も一般に知られるようになる。アートから生まれたスタイルがファッションの世界を変え、オリジナルのアートに向けられる視線までも変えていく・・・。自分がいる時代の空気を鋭敏に感じとりながら、ジャンルを超えた文化の素養、それをデザインへと展開する力で新しい地平を生みだしていったイヴ・サンローランらしい逸話ではないだろうか。


「僕の武器は、僕が生きる時代とそのアートに向けた視線だ」


そう語ったイヴ・サンローランは、アートをその分野に閉じ込めず、ファッションも既成の価値観に閉じ込めることなく、彼の自由な目でそれを行き来することで新しい時代を創った。そんな彼の思いと業績を、芸術の殿堂である美術館で再現したパリという街は、やはり見どころがある。






(文・写真)杉浦岳史/パリ在住ライター
コピーライターとして広告界で携わりながら新境地を求めて渡仏。パリでアートマネジメント、美術史を学ぶ高等専門学校IESA現代アート部門を修了。2013年よりArt Bridge Paris – Tokyo を主宰。広告、アートの分野におけるライター、アドバイザーなどとして活動中。ポッドキャスト番組「パリトレ」始めました。

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