オートクチュール刺繍のアトリエで仕事をする傍ら、ご自身の作品の制作も行う刺繍家の杉浦今日子さん。そして、気軽にアートについて話せる社会を目指すガールズアートークの代表を務める新井まるさん。モリモト代官山オフィスにて、お2人によるトークショーを行いました。アートに対する考え方や、杉浦さんの作品についてのお話、そしてデモンストレーションと、アートを身近に感じられる特別な時間となりました。

オートクチュールの世界と作品作り

新井「刺繍というと私は小学校の家庭科の授業で習った知識しかないんです。フランスでの刺繍とはそもそもどういった位置づけなのでしょうか」

杉浦「パリには手刺繍のアトリエが10か所くらいあってオートクチュールのコレクションの時期になると大勢の刺繍の職人がそこで働くんです。フランスでは高校が普通科と職業科に分かれていて、そこに刺繍科というのもあるんですね。生徒たちは企業研修を受けて洋服のメーカーや工房で働くようになる。国家資格もあって、刺繍が職業として成り立つようになっているんです」

新井「それは日本とは違うところですね。杉浦さんは現在どういった活動をされているんでしょうか」

杉浦「パリでは大きなファッションショーが年6回あって、そのなかで刺繍が多く使われるオートクチュールのショーは年2回。その時期は刺繍のアトリエで働いて、それ以外は自分の作品を作ったり、ファッション系のアクセサリーや小物のデザインをしたり、ファッションスクールで刺繍の講師もしています」

新井「パリに行くことになった経緯を教えてください」

杉浦「もともとパリが好きで、主人と2年くらい休んでゆっくり行こうか、という感じだったんですよ。でも、行ったらそのまま居ついてしまいました(笑)」

新井「最初はお休みのつもりだったんですね! でもパリで暮らすことができるなんて羨ましいです」

杉浦「ファッションって流行り廃りがあると思うのですが、私が企業研修に行った時がちょうど刺繍の波が来ていたこともあって、アトリエに雇われた人が多く、そこにたまたま入ることができました」

新井「ご自身の作品を作るきっかけは何でしたか」

杉浦「オートクチュールも楽しいのですが、自分のオリジナルも作りたいと思って。最初に技術をいかしながらオートクチュールとは違うことをやりたいなと考えたんです。同じことをやってしまったらその延長でしかないので」

新井「具体的にはどういったことがオートクチュールとの違いなんでしょうか」

杉浦「オートクチュールの刺繍は、デザイナーが選んだ柄をそのまま刺して作っていくものなんです」

新井「決められたことを正確にやるものなんですね」

杉浦「正確で早く…なので、根性の世界でもありますね(笑)。また、触れたら壊れてしまうような例えば花びらのような繊細なものや、ものすごく重いものは取り入れることが難しい。私の最初のオリジナル作品を見ていただくとわかりやすいかと思うのですが、有機と無機をテーマにした作品で、これはビーズが何層にも重なって盛り上がっているんです。こういったことは、オートクチュールではあまりしないんです。」

Minéraux et Végétaux

Minéraux et Végétaux(拡大)

新井「最初の作品としてこのモチーフを選んだのにはどういった理由があるんですか」

杉浦「実はもともと理系で、植物や鉱物に興味があって顕微鏡を覗いていたりしていたんですよ」

新井「もしかして杉浦さんの刺繍の原点はミクロの世界にあるのかもしれないですね。作品の写真を見せていただいたとき、盛り上がっているビーズが雪の山のように見えたんです。ミクロでもあるけどマクロでもある、と感じました」

2人から見たフランスと日本のアート事情

杉浦「新井さんにアートについてお伺いしたいのですが、フランスではアートはとても身近なんです。大きな合同展示会へ出品する機会もあるし、アートをコレクションしている方も買ってくださる方も多いんですが、日本ではどうですか?」

新井「会場の皆さんはアートを買ったことがありますか?(手を挙げて)すごい、たくさんいらっしゃいますね! 私の周りではまだまだアートを買えることを知らない人も多くて。メディアを立ち上げて7年目になるんですが、ニュースでアートが話題になることもあって、今やっと浸透してきたのかなというところです。まずは高くないものでいいから好きな作品を1点買っていただくことで、もっと身近なものとして広まっていくんじゃないかと考えています」

杉浦「好きなものを買うって大切ですよね。でも自分が好きなものを見極めるのが難しいと感じる方も多いんじゃないでしょうか」

新井「それは、もう見まくるしかないですね。美術館や展覧会で絵を見るときに、自分だったらどれを家に飾るか、と考えながら見てみるんです。それを何度も重ねていくうちに共通点が見えて、好きなものが何かわかってくる。専門家の評価が高いものと自分が好きなものは違うはずなんです」

杉浦「フランスでは、共感しあうというよりは、個人個人で好き嫌いをはっきり言いますよ。私としては、どっちでもないときもあると思うんですけど(笑)」

新井「日本人は優しいから、ノーと言わない、主張しないという文化もありますよね。そのなかでも好きなものを好きということはもっと言っていいんじゃないかと思います」

杉浦「新井さんはアートに関するメディアを立ち上げていますが、新井さんにとってアートってなんですか」

新井「“視点”とか“気づき”なんじゃないかな、と。ただ美しいだけじゃなくて、何かしら気づきや発見があり、それを私生活にいかせたり発展できたりするのがいい作品だと感じています。新しい眼鏡をかけるとか、美味しいものを食べて自分の栄養になるということに近いイメージですね。 栄養が血となり骨となり自分の身になる。そして人と話しあって深めていけるのがいいですよね」

杉浦「コミュニケーションの道具になりますよね。例えばナスは野菜だとか飛行機は飛ぶものだってはっきり決まっているけど、アートは人によって感覚が違うからこそ話題として面白いんです。好き嫌いが人それぞれだし、みんなが集まって話をしたら、もっともっと面白くなりますよ」

新井「杉浦さんはパリにお住まいで、アートに触れる機会が多いと思いますが、普段の生活ではどんなふうにアートと関わっていますか」

杉浦「オルセーとかルーブルとか主要な美術館には年間パスがあるんです。今はルーブルの年間パスを持っているので、頻繁に行っていますね。常設展示なので、今日はこの作品を観に行こうとか、このフロアの一連を見直そうとか、親しいものに会いに行く感覚です」

新井「日本の場合、今日は美術館に行くんだ、とあらかじめ決めていく方が多いと思うので、その感覚は違いますね。美術館で作品に触れることで、ご自身の作品への影響はありますか?」

杉浦「実際のデザインのインスピレーションではないんですけど、精神的にいい影響がありますね。勝手な思いですけど、いくつかの作品と、つながっている感覚があるんです。古代エジプトのコーナーに大きな船にのった女性の彫刻があって、よく見に行きますね。またフラ・アンジェリコの向かい合った天使の絵には、いつも心のなかで話しかけています」

新井「作品とつながっているという感覚はわかります。展示を見た後に気になった作品は、最後に戻ってもう一度見直すことがよくあります。そういった作品が家にあると毎日会うことができますよね!」

杉浦「そうなんです。私は小さい彫刻をいくつか買って飾っているのですが、愛情が湧くし、彼らが家を守ってくれているような感じもするんです。ただ、不思議なことに自分の作品となると客観的になって、自分が作った感覚があまりないんです。作ったあとに少し経ってから見ると、よく作ったなあって思うんですよ」

新井「面白いですね。アーティストの方は、作品を我が子のように思っているとおっしゃる方が多いですけど」

杉浦「私の場合、それはないですね。自分の手を離れて、誰かとつながってほしいという気持ちのほうが大きいです。作品にアンジェガルディアンというシリーズがあるのですが『守護精霊』という意味なんです。これは牛で、収穫を守る精霊なんですが、この作品と“収穫”という言葉から得る自分なりのイメージが浮かぶ方は、きっと気持ちのなかでつながっているはずなので、そういう方のところに行ってほしいんです」

Gardien de la récolte

クロッシェを使った刺繍を目の前で

新井「作品についてたくさんお話を伺ったところで、今日はデモンストレーションを見せていただけるんですよね。皆さんもぜひ近くで見てください」

杉浦「針じゃなくてクロッシェというかぎ針を使います。これは裏面で表側のビーズは見えないので、手の感覚でビーズをつけていきます。針だとチェーンステッチは大変ですよね。針を刺して、針に糸を回して…と。クロッシェだと、糸を回しながら引き上げればチェーンステッチが簡単にできるんです」

新井「裏側から見るとよくわかりますね。本当に作業が早くて驚きました」

杉浦「これに針の刺繍を足したりして仕上げていきます」

新井「絵筆を変えるように針を変えるんですね。ビーズや糸なども素材が様々ですが、何を作るか決めたうえで、材料を探すんですか?」

杉浦「それもありますし、逆に素材を見て作品に使ってみることもあります。例えば女の子が向き合っているこちらの作品は、アジサイの花びらを使っています。天然の素材にはそのものが持つ独特のパワーがあると思います」

新井「アジサイはオートクチュールでは使えないですよね。この女の子たちは、写真で見るよりも、もっと立体感がありますね」

杉浦「布を貼っているの?と聞かれることもありますが、糸だけですよ。すっごく細かいので、これを作るときにハズキルーペを買いました(笑)。特に人間の顔って一刺し変えるだけで、ものすごく表情が変わるんです。だから、多くのアーティストが人間をモチーフにしているんだと思いますね」

好きなものを好きと言える社会へ

新井「今日は事前にたくさん質問もいただいていたので、お答えしていきたいと思います。『パリで杉浦さんが一番好きな風景はどこですか』」

杉浦「わたしは引きこもりなので、あまり外に出ないんですよ(笑)。だから遠出はせずによく近所の広い公園に行きますね」

新井「続いて、『お2人はやることを選択するときにどうやってきめますか』。直観ですね。私は勢いで行動してしまうタイプで、独立したのも勢いだったので後から大変だって気づいたんです(笑)」

杉浦「私も直感なんですけど、直感がひとつにまとまるのに時間がかかりますね。作品のことが多いのですが、バラバラといろんなところから降りてくるので、まとめるのに長いと何ヶ月もかかってしまうんです」

新井「次の作品のアイデアもありますか?」

杉浦「ありますね。実現できるかどうかもわからないのですが…模索するところからですね」

新井「楽しみにしています! アトリエに関しても質問をいただいていましたね」

杉浦「『オートクチュールは体力勝負の世界だと思いますが、高齢の職人さんの顔も浮かびます。どの様な方々と一緒にお仕事されているのか、現場の様子を知りたいです』。アトリエには学校を卒業したばかりの20代から、定年前の60に近い方までいますね。研修生なら10代の子もいますよ。刺繍って優雅な仕事ねって言われることもありますが、全然そんなことなくて、長時間同じ姿勢でいないといけないのが大変ですね。私の場合、肩こり、腰痛、目の疲れ、ぜんぶ来ます(笑)。ただ、ファッションに限らず、なにか作るのって楽しいですよ。手と頭を使いながら何かを生み出せるのは人間だけですから」

新井「私も手仕事って本当に素晴らしいと思います。伝統的な工芸や技術がいま見直されてきているし、手仕事が今後はもっとフォーカスされていくんじゃないでしょうか。ほかに質問はありますか?」

来場者「作品に落款が入っていて、それだけ和風だったんですが何か理由はありますか?」

杉浦「それまではあまりサインを入れたくないって思っていたんですが、2017年に個展を開くときにギャラリストに入れて欲しいと言われて。それなら、和モノがいいなと思ったんです。実は時代劇や時代小説が大好きでなんですよ! 手書きのものは日本画に使われている金泥で書いて、刺してあるものは24金の糸を使っています」

杉浦「最後に、今後についてお話して終わりにしたいと思います。東京で2020年11月、2021年3月に個展が予定されています。そして、イベントが始まる前に新井さんと話をしていたんですが、日本でもパリのように好きなアートを好きと話ができる場を作れたらいいなって。今後何かコラボをしたいと考えています」

新井「そうなんです。じつは今、アート的な視点から着想を得た教育のプログラムを準備しているところで。一人ひとりが感じられる心や感覚をもって、豊かな社会を作っていく。そういうきっかけとなるコミュニケーションツールのようなものになる予定で、そこで杉浦さんとご一緒できたら嬉しいですね」

新井まるさん インスタグラム:@marumaruc

杉浦今日子さん インスタグラム:@kyoko_creation_broderie

(取材&文・SUMAU編集部 撮影・古本麻由未)

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