パリには、著名な芸術家の住居やアトリエがそのまま美術館になったところが多い。今回ご紹介する「ギュスターヴ・モロー美術館」もそのひとつだ。

かつてパリで芸術家たちが集まったエリアといえば、モンマルトルやモンパルナスがよく知られている。しかしそれ以前、19世紀の前半から後半にかけて芸術家や文化人が多く住んだのは現在のパリ9区、オペラ座やギャラリー・ラファイエット百貨店から北側の高台だったことを知る人は、それほど多くないかもしれない。

東京やニューヨークなど、世界の多くの都市で時代の寵児を自認する文化人たちが「村」をつくってきたけれど、その時代のパリはここ「サン=ジョルジュ」地区に芸術家村と呼べるような雰囲気があった。

かつてパリの芸術家村でもあったサン=ジョルジュ地区の現在の街並み

集まったのは、音楽家のショパンやその愛人で女流作家の先駆けになったジョルジュ・サンド、そして画家のドラクロワなど。いわゆる「ロマン派」のアーティストたちが主役だった。「ロマン派」あるいは「ロマン主義」は、1800年代前半のアートや音楽、文学の潮流で、わかりやすく言えば、個人の感情や異国への憧れ、恋愛や憂鬱、不安などを自由に表現しようという運動。今では当たり前の「個人主義」が、本格的に文化の主流になり始めた時代、と言ってもいいかもしれない。

そんなロマン派に影響を受けて育ちながら、独自の作風を創りあげていったのが、画家ギュスターヴ・モローだった。

ギュスターヴ・モロー自身による自画像

1826年、パリで生まれたギュスターヴ・モロー。20歳でエコール・デ・ボザール(国立美術学校)に入学するものの、その当時画家の憧れだったローマ賞に2度落選したこともあり自主退学。しかしその才能は早くから画壇で評価されて、1855年にはパリ万博に出展し、念願のローマにも私費で留学する。イタリアを周遊して多くのものを吸収した彼は、帰国するやその頭角を現した。

ギュスターヴ・モロー美術館内部

モローは「象徴主義」の画家と呼ばれる。「象徴主義」とは抽象的な言葉だけれど、先ほどのロマン派にも似た心の内面、生と死、宿命のような目に見えないものを、何かに象徴させて目に見えるものにする、といえばわかりやすいだろうか。主に神話や聖書などの物語を通じて、登場人物らが繰り広げる世界にひそむ奥深いテーマを描こうとしたという。彼は「宝石」とも言われる繊細な筆致と神秘性を帯びた幻想的な情景が特徴で、いまも人々の心を惹きつけてやまない。

ギュスターヴ・モロー《出現》(部分)

1852年から72歳でこの世を去るまで彼が住んだパリ9区ラ・ロシュフーコー通り4番地の屋敷は、遺言により約1,200点もの油彩や水彩、約4,000点以上ともいわれる素描とともに、国立のギュスターヴ・モロー美術館として公開されている。スケッチなども含めると約9,000点が所蔵されているというから、作家の創作への情熱がうかがえるというものだ。

ギュスターヴ・モロー美術館内部

彼は亡くなる2年ほど前から、彼はここを国に遺すための準備を始める。それまで60年におよぶ創作活動で生まれた作品を整理し、セレクトし、時には絵画やドローイングを完成させるために最後の手を加えたという。1898年4月18日にモローは逝去。その意志を継いだ弟子であり友人のアンリ・リュップは、この館の壁を使って作品をレイアウトする。フランス政府が取得を受諾し、美術館としてその扉を開いたのは1903年のことだった。

上階2つのフロアを結ぶらせん階段

美しい建物の低層階は画家の書斎や応接間、居間など、暮らしを感じさせるスペース。圧巻は上階の2フロアで、外からは想像もつかないほどの高い天井をもった空間だ。モローは晩年になってこの地を自分の世界観を一体的に表現する場として遺すと決めてから大がかりな増築をし、アトリエ兼展示室とした。

今は所狭しと絵が展示されて、まさにギュスターヴ・モローが夢想したイメージで埋めつくされ、世界中からパリに集まるアートファンを魅了する。

ギュスターヴ・モロー美術館内部

当時の生活空間を膨大な芸術作品とともに知る・・・。大切な歴史の証人として、これほどふさわしい場所もないだろう。しかもここは同じく住居が美術館になったロダン美術館やピカソ美術館と違い、画家やその家族が手間をかけて揃えた部屋の調度品やコレクションも当時の雰囲気のまま残されている。取材の日も、美術の校外授業として学生たちが訪れ、絵を鑑賞し、素描がおさめられた展示ケースを引き出しては食い入るように見つめながら模写にいそしんでいた。芸術家が実際に住んだ場所で、本物の作品を目の前で見ながら美術を学ぶことができるとは、なんて贅沢なことだろう。

素描・ドローイングの数々は一枚ずつ可動式の額に納められ、自由に引き出して見ることができる。

2階の寝室スペースには家族の肖像画など親密な雰囲気が漂う。

いまこの周辺は、オペラ座から連なる繁華街と高級住宅街の入り交じったところで、レストランやカフェ、ホテル、アパルトマンが並ぶ人気エリア。著名な俳優陣が出演する芝居の劇場や映画館なども点在し、19世紀とはまったく違った意味合いで文化の街の風景が広がる。

画家がその生涯をかけて追い求めた芸術世界を体験できる、いわば究極のアートレジデンス。観光でオペラ座周辺に出かけるなら、ぜひ見ておきたいパリのスポットだ。

ギュスターヴ・モロー美術館ファサード

Musée National Gustave Moreau

国立ギュスターヴ・モロー美術館

住所:14 rue de La Rochefoucauld, 75009 Paris

開館時間:10:00〜18:00(火曜および1月1日、12月25日は休館)

料金:一般7€

URL:https://musee-moreau.fr/


杉浦岳史/ライター、アートオーガナイザー
コピーライターとして広告界で携わりながら新境地を求めて渡仏。パリでアートマネジメント、美術史を学ぶ高等専門学校IESA現代アート部門を修了。ギャラリーでの勤務経験を経て、2013年より Art Bridge Paris – Tokyo を主宰。広告、アートの分野におけるライター、キュレーター、コーディネーター、日仏通訳などとして幅広く活動。

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