パリに秋のファッションウィークがやってきた。バカンスが明ける頃に早くも冷え込みが訪れたパリだったが、そのあとは夏の陽射しが舞い戻り、結局2020年の9月は記録的な暑さだったと後世に記憶されそうだ。それでも少しずつ、街の風景は秋の気配が濃くなってきている。
緑が美しいルーヴル美術館の界隈も木々が色づいてきた。この美術館はご存じの通りその昔ルイ14世など歴代の王が宮殿としてきた「ルーヴル宮」の中にある。当時まだ建物は不完全な形だったが、その後ナポレオンなどによって増築され、大規模な火災で建物の一翼すべてが焼失するなど紆余曲折を経ながら、壮大な現代の姿へと発展した。
このルーヴル宮の中には、ルーヴルとは別のもうひとつの美術館がある。それが「装飾芸術美術館」だ。中世から現代までの装飾品、宝石、家具、モードなど、人々の暮らしにまつわるデザインやオブジェ、ファッションの芸術が主役になったミュゼ。常設展ではそれらの歴史が一堂に見られるほか、企画展では話題になる展覧会が多く、約70万人もの入場者数を集めた2017年の「クリスチャン・ディオール展」が世界的な反響を得たのは記憶に新しい。
モードに敏感な人々はもちろん、デザイナーやクリエイター、あるいはそれを目指す学生たちにとっては宝箱のような場所。その中のメイン展示室のひとつ「モードのギャラリー」が今回リニューアルされたのにあわせて開催されているのが『Harper’s BAZAAR ハーパーズ・バザー展』だ。
本来なら9月は上旬にデザインウィーク、下旬にファッションウィークと、それぞれの関係者でパリが埋めつくされる時期。この展覧会も彼らが多数訪れることが予想されていたと思うが、これまでのところは静けさと穏やかさが美術館を包み込んでいる。
大きく表紙に「BAZAAR」と書かれたマガジンは、日本版も発行されているので知っている方も多いだろう。米国版の元祖「Harper’s BAZAR」(創刊時はAが一つ少なかった)は世界最古の女性ファッション誌で、ニューヨークで創刊されたのは150年以上も前の1867年。この年はフランスでパリ万国博覧会が華々しく開催され、装飾やモードの文化が市民のあいだに一般化しつつあった時代にあたる。ちなみに日本でいえば江戸から明治に入る大政奉還の年、といえばその時間的距離感が少しわかりやすいだろうか。
なぜ米国のファッション雑誌の展覧会をパリで?と思うかもしれないが、実はこの雑誌は当初からパリとの関係が深かった。それもそのはず、初代編集長のアメリカ人ジャーナリスト、メアリー・ルイーズ・ブースはフランス文学の有名な翻訳家。当時から流行の先端を走っていたフランスのトレンドを、いち早く知るモード誌として「ハーパーズ・バザー」は歩み始めたのだった。
「ファッション、趣味、知識の提案」をテーマに掲げたその内容は、衣服のトレンドに留まらず、読者となる女性たちに「社会」「アート」「文学」の潮流まで幅広く伝えるような<総合文芸誌>と呼べる充実ぶり。現代の私たちから見れば、欧米の文化の歴史がつまった貴重な資料だ。この展覧会では、雑誌そのものはもちろん、そこに登場してくるドレス、宝飾品、イラストのオリジナルなどまで、装飾芸術美術館ならではのコレクションとともにそのヒストリーを探訪できる。
それぞれの時代で、一流の文化人やアーティストたちがこの「ハーパーズ・バザー」に集結した。たとえば文学のジャンルなら、女性哲学者のシモーヌ・ド・ボーヴォワールや、小説『悲しみよこんにちは』で知られるフランソワーズ・サガンなどフランスを代表する作家がテキストを寄せている。英語圏の作家でもチャールズ・ディケンズ、ヴァージニア・ウルフ、トルーマン・カポーティなど、錚々たる文豪が執筆に加わってきた。
アートの世界では、パブロ・ピカソやアンリ・マティス、ジャン・コクトー、サルバドール・ダリ、アンディ・ウォーホルといった名だたるアーティストがその才能を誌面に花開かせた。ファッション誌におさまらない作り手の意気込みが伝わってくる。
そして「ハーパーズ・バザー」といえば、写真家たちの活躍を語らないわけにはいかないだろう。この雑誌の黄金時代を築いた編集長カーメル・スノーのもと、わずか21歳でここからデビューした写真家リチャード・アヴェドンもそのひとり。彼はモデルや服、構図を大胆に使い、新しい写真の時代を築いた。
このリチャード・アヴェドンの助手を務め、のちにみずからも「ハーパーズ・バザー」の表紙を飾るようになった日本人写真家ヒロ(若林康宏)も、この展覧会の主役のひとりだ。1930年に上海に生まれた彼は、第二次大戦後に東京に移住。そこで日本を取材するアメリカ人報道写真家たちの姿を見て、写真に興味をもったという。
1954年にニューヨークに渡り、57年にはアヴェドンの助手に。同時にアートディレクターだったアレクセイ・ブロドヴィッチとも親交を持ち、58年には「ハーパーズ・バザー」の契約写真家となり、一気にスターダムに登りつめた。1940年代から50年代にかけて、すでに雑誌の概念を変える斬新なデザインを次々に開拓してきた「ハーパーズ・バザー」にとって、あらゆる写真技法と実験的なテクニックを駆使しつつエレガンスを放つヒロのイメージは、うってつけの素材だった。
ヒロをはじめとする「ハーパーズ・バザー」独特のビジュアル観は、ファッション界にもインスピレーションを与えてきたという。その後、写真家ピーター・リンドバーグに代表される80、90年代のモデルや女優全盛の時代を経て、2001年にはグレンダ・ベイリーが編集長に就任。ジャン=ポール・グード、サイモン・プロクターらを写真家、クリエイターに迎えたことで、スペクタクルかつ前衛的な世界観の扉がまた開かれることになった。
ここまで見てきたように展覧会では、「ハーパーズ・バザー」が単なる写真をならべただけの存在ではなく、生活スタイルや新しい考え方を世界に提案。アート、写真、文学といった芸術領域のスペシャリストたちを巻き込んで、ファッションを文化へと高めてきた歴史が語られている。
「ハーパーズ・バザー」の編集長は、創刊以来ほぼ女性が編集長を務めてきたことでも知られてきたが、2020年7月にグレンダ・ベイリーに代わり、初めての黒人女性編集長となるサミラ・ナスルが就任して話題になった。昨年のカール・ラガーフェルドの死去で衝撃が走ったフランスのモード界、そして社会のあり方をも変えようとするコロナ・ショック、ネット社会の成熟・・・。世界が大きく変わるなかでファッションという文化やアート、イメージはどこへ向かうのだろうか。
これまでこのモードというジャンルがそうしてきたように、私たち人間に希望を与えるような真新しい何かが生まれていくことを期待したい。そしてこれからの「ハーパーズ・バザー」がそれをリードする存在になっていくことも。
HARPER’S BAZAAR,
PREMIER MAGAZINE DE MODE
ハーパーズ・バザー、世界最初のモード誌 展
2021年1月3日まで開催中
パリ装飾芸術美術館
会場:107, rue de Rivoli 75001 PARIS
開館時間:11:00〜18:00(木は21:00まで、月休)
詳細はウェブサイト(英)へ
(文・写真)
杉浦岳史/ライター、アートオーガナイザー
コピーライターとして広告界で携わりながら新境地を求めて渡仏。パリでアートマネジメント、美術史を学ぶ高等専門学校IESA現代アート部門を修了。ギャラリーでの勤務経験を経て、2013年より Art Bridge Paris – Tokyo を主宰。広告、アートの分野におけるライター、アドバイザー、日仏通訳などとして活動中。