パリのシャンゼリゼ通り沿いにある「グラン・パレ」は、数々の美術展やファッションショーなどが開催される会場。ここでフランスを中心とする世界の工芸作家を集めた2年ごとの展覧会「Révélations」が催された。

Révélations が開催されたグラン・パレ正面エントランス


陶芸、木工、ガラスや金属細工、テキスタイル、石工など、あらゆる素材を使った工芸の世界。現代アートと違うのは、主に伝統的な技術、あるいはそれを応用した手業を使って素材を加工して作品を創りあげること。この展覧会はつまり、人の技とその表現の可能性を競う場所といってもいい。

Révélations 会場内部


ヨーロッパ、特にフランスでは、アートと工芸の境界を超えた仕事をする作家が多い。伝統技法はリスペクトしながら、そこに留まることなく、時代ごとに新しい、そして作家ごとに独創的な表現を吹き込み進化させていく。

今年ここ「Révélations」にセレクトされ展示されたフランス人のMylinh Nguyen ミリン・グエンさんと日本人の杉浦今日子さんもそんな作家に属する。二人はこうした「伝統と革新」という土壌をもったフランス工芸の分野で、それぞれに活躍の場を広げてきた。

Mylinh Nguyen と杉浦今日子のブース


見る人に「驚き」を感じてほしい。

méduses (クラゲ)

まずご紹介するのはミリン・グエンさんだが、この作品が何でできているかわかるだろうか。何か特殊な素材だと想像するのか、展示を見ていく人はほぼ必ず最初に素材を尋ねる。

実は、彼女の専門は金属。しかも「旋盤加工」といって通常は工業製品の部品を作るために使う技法で、真鍮や銅などの金属を、機械を使って高速で回転させながら少しずつ削っていく。彼女の場合、ギリギリまで細く削ったものにさらに熱を加えて微妙な曲線を得る。時間と根気のいる仕事だ。

loutre (カワウソ)


フランス人の母とベトナム人の父の間に生まれ、ブルターニュ地方に育ったグエンさんは、18歳のときパリの工芸学校にやってきた。そこである先生に出会ったことが、人生を決めるきっかけになる。

「金属工芸の先生だった彼は多くの技術を持っていると同時に、それを惜しみなく私たちに伝えてくれました。彼が授業の最初に言ったのが、『技術を学び、磨きなさい。しかし常にかならず自分だけの創作、自分だけの表現の言語を探しなさい』と。その考え方と創作に対する姿勢に共感して、自分はこの道で行こうと決めたんです」

そして彼女は金属の作家へ向かう道を歩みはじめる。溶かしたり、叩いたり、金属の加工にもいろいろあるが、彼女は旋盤にのめりこんだ。旋盤は工業製品に使うことが多く、工芸や美術で使う人はあまりいない。何かを思いのままに表現するにはいささか無理のある技術に見えるが、彼女はあえてそこから生まれる金属表現の可能性を広げたいと思った、と語る。

「旋盤の金属加工は、すごく難しくて制約が多い。でもその制約の中にこそ実は自由があるんです。もし制約がなかったら逆に私は創作の自由を掴めないと思う。難しいからこそ、それを乗り越えたり、違う発想でアプローチしていく中で新しい境地や可能性を見つけることができる。そういうところに『芸術』を生みだすアイデアが出てくると信じています」

彼女の創作は時にとてもコミカルだ。


恩師との出会いから17年の歳月をかけた彼女の試行錯誤は、旋盤の金属加工で作ったとは思えない、しなやかで美しい曲線を作品に描き出す。しかも彼女はまるで限界に挑戦するかのように、クラゲや深海生物や植物など繊細なものをモチーフに選ぶ。それはなぜだろう。

「それは、ある種の『イリュージョン(幻視)』を作りたいから、でしょうか。金属という固い素材で、しかもとても制約のある技術で軽さや柔らかさを表現する。そんな矛盾をはらんだものは、見る人に驚きを与えると思うんですよね。私もそんな驚きに出会いたいし、それって私たち人間の暮らしに必要なものだと思うんです」

2015年、彼女は京都にあるフランス政府の文化機関「ヴィラ九条山」での滞在アーティストに選ばれた。フランスの自分の工房にある重さ約500kgの旋盤工作機から遠く離れ、まったく違う環境で自分に何ができるかを試したかったという。何もないところから材料を探して、方法を考えて展示までこぎつけた。そこでもやはり「制約」から新しい可能性を見いだす彼女の意地が力を発揮。ホームセンターで見つけた「粘土」が突破口になった。

「粘土といえば、子どもの使うもので、美術の材料とはあまり思われない。その落差にも私には興味があった。誰でも使えるもので、誰にも作れないものを作る。それが見る人に不思議な感覚や驚きを与えてくれるのではないでしょうか」

粘土から生まれた小さな生き物たち


いつもの環境を離れても、新しいものを生みだせた経験が、またさらに自分を成長させた。いま彼女は、金属と粘土という何の変哲もない素材から、人に驚きを与える作品を造り続けている。


誰にもできない刺繍を目指す。

ミリン・グエンさんが「金属」なら、杉浦今日子さんは「糸」という素材から美を生みだす名手だといえるだろう。

いま彼女は、自分の作品を創り発表する一方で、世界の服飾界の最高権威であるフランス・オートクチュールの刺繍職人として年に2回のファッションショーに合わせてパリの刺繍工房で仕事をする

杉浦今日子さんのアトリエにて


すでに東京でも刺繍作家として活動していた2009年に渡仏を決める。初めは忙しすぎた暮らしに一旦ピリオドを打ち、2年だけ新しい空気を吸いに行こう、くらいの気持ちだった。まずは語学留学、2年目からはオートクチュールの刺繍技術を学ぶ学校に通い、クロッシェ・ド・リュネビルと呼ばれる極小のかぎ針を使う独特の刺繍技法を習得。手刺繍のフランス国家資格も取得した。

そこまででちょうど2年。ようやく言葉や生活に慣れたのだからもう少しだけいたいと、優れた才能を持つ外国人にフランスでの活躍のチャンスを与える滞在許可証を申請し、取得。そのあとは、滞在許可の条件である「成果」を上げることにがむしゃらに向き合う日々が続いた。

新シリーズ「Sleeping」で初めて人物を立体的な刺繍に。針を刺す位置がほんの少し違うだけでまったく違う表情になるという。


幸いにも、研修に行ったパリの刺繍工房から誘いがかかった。そこは「オートクチュール」という優雅な響きとは対照的な、スピードと技術力が求められる世界。精鋭の職人たちが切磋琢磨しながら自分を磨いていく。杉浦さんが自分の創作がありながら約8年ここを離れられないのは、ここが自分の技術の「鍛錬」の場と捉えるからだという。

「同じ刺繍でも、オートクチュールは使う素材も違えば、ブランドやそのデザイナーによって表現も違い、それは常に進化していきます。その刺激は代えがたいものがありますね」

日本にいた頃は、日本刺繍も学んだ。こちらは縒(よ)りのない絹糸を使ったごまかしのきかない技法。ここから得たのは刺繍の「正確さ」だという。言い換えると、日本独特の気遣いやディテールへの徹底的なこだわり。「心構え」がないと刺繍ができないような、ある種の精神性に学んだところも大きかった。

こうして身につけたさまざまな技法に、自身の表現力、そして根気を掛け合わせて、杉浦さんの創作が生まれる。糸もさまざま、ビーズやスパンコールはもちろんのこと、金箔、植物の葉も使い、時には自分で画布を染めるなど頭に思い描く世界観を形にするためのあらゆる方法がとられる。意識しているのは「誰かと同じことはしない」という作家としての信念だ。

シリーズ「micros」から。素材を幾重にも積み重ねていく技法は杉浦さんならでは。


「刺繍は針と糸と布があれば、誰にでもできます。私がしていることも広い世界のどこかで同じことをしている人がいるかもしれないけれど、少なくとも自分が今まで見たことのないものを作りたいですね。刺繍を使った自分だけの表現とは何か?ということをいつもすごく探しています」

フランスの工芸界はそんな「挑戦者」を評価する。オートクチュール刺繍が今も現役のビジネスとして成立している国。工芸の革新に対して世間のリスペクトがあって、作ったものが「いい」と認めてもらえるという環境も、作り手である杉浦さんの思いを後押しするのだろう。

シリーズ「Sleeping」は一本の糸だけでどれだけのことができるかに挑んだ作品でもある。


そんな彼女に「なぜ刺繍を仕事に選んだのか」と尋ねると、少し困った顔をされた。

「パリの刺繍仲間とも『なんで刺繍なのって聞かれると困らない?』という話をするんです(笑)。実をいうとあまり理由はなくて、ずっと好きでやっていられること、というほうが近い。オートクチュールのショーの直前は、朝9時から夜中までほとんどずっと座ってほぼ同じ作業をしている。これが不思議とレース編みだときっとできない。絵を描くとか文章を書くとか、いろいろと創造する仕事がありますけど、それをたとえば10時間続けてもできる人がきっとプロになるんじゃないかと。私の場合はそれが刺繍だったんです」

「Sleeping Rabbit」

自分にとって大事なものをキャッチする力。

ミリン・グエンさんと杉浦今日子さんのふたりに共通していることがある。それは、確かな技術を超えた先で「自分だけの表現」を追い求める姿勢。誰にも真似のできないことという、ある意味もっとも高いハードルに彼女たちはトライする。でもその挑戦があるからこそ、新しい境地は開拓され、それが人の心を動かす作品になる。

そんな自分らしい表現を探すための「コツ」はあるのだろうか。杉浦さんに聞いた。

「自分のアンテナを立ててしっかりと見る、ということでしょうか。たとえば美術館に行ったとき、すべてのものが自分にとって大事なわけではない。作品を見ていきながら、自分の心の奥の感性を呼びさましてくれるもの、刺激を与えてくれるものなど、<自分にとって>大事なものが来たときにそれをキャッチできる感性を磨いておくことが大事だと思うし、そうありたいと思っています」

常に新しい可能性を探して、自分の感性と技術を磨いていく。それが輝く二人の女性のスタイルだ。グエンさんの言葉が忘れられない。「17年間この仕事をしていますが、まだまだできていないことがたくさんあると思える。たぶん半分もできてない。だから続けているんでしょうね」


Mylinh Nguyen ミリン・グエン
ウェブサイト(仏語)
https://www.mylinh-nguyen.fr/

杉浦今日子 ウェブサイト
www.kyokocreation.com

杉浦今日子展覧会(東京)
2019年10月30日〜11月5日(予定) エスパス・ビブリオ(東京・神田駿河台)



(文・杉浦岳史)

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