パリはもう冬の装い。クリスマスに向けたイルミネーションが街のいたるところで点灯し、陽射しの少ない季節を温かな「光」が満たしはじめた。そんなパリの真ん中にあるこの街の象徴・ルーブル美術館が、いまいつも以上に大きな話題を集めている。

ルーブル美術館(筆者撮影)

世界で最も偉大な美術館といわれ、2018年には年間入場者数1,000万人を超える新記録を打ち立てたルーブル美術館。エジプトをはじめ古代から主に1800年代までの芸術品約35,000点が展示され、約55万点とも言われる膨大な所蔵品は今も増え続けている。

そのルーブルの所蔵品で最も人気のある作品といえば、誰もが知る最高傑作《モナ・リザ》だろう。レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた究極の絵画にして、これまで数多くの話題とミステリーを生みだしてきたインスピレーションの源泉。人類の至宝と言ってもいいこの作品を所有するルーブルがいま、10年をかけて準備してきた「レオナルド・ダ・ヴィンチ」展を開催中。美術ファンはもちろん世界中からの熱い視線を浴びている。

レオナルドの弟子、フランチェスコ・メルッティ画とされるレオナルド・ダ・ヴィンチの肖像スケッチ Attribué à Francesco Melzi, Portrait de Léonard de Vinci © Veneranda Biblioteca Ambrosiana_Gianni Cigolini_Mondadori Portfolio

レオナルド・ダ・ヴィンチは今年でちょうど没後500年になるが、亡くなったのは生まれ故郷のイタリアではなく、実はフランスだ。晩年、彼の芸術を愛したフランス国王フランソワ1世の招きで、レオナルドはロワール地方のアンボワーズ城に迎えられる。そのときローマからロバで大切に運んできた《モナ・リザ》《聖アンナと聖母子》《洗礼者ヨハネ》の3点に、彼は1519年5月2日に亡くなる直前まで手を入れ続けた。

ルーブル美術館がこれらの名作を所蔵しているのはこのためで、ほかに《岩窟の聖母》《ミラノの貴婦人の肖像(ラ・ベル・フェロニエール)》の2点をあわせ、5点の絵画がルーブルに常設展示されている。

レオナルド・ダ・ヴィンチ《洗礼者ヨハネ》Léonard de Vinci, Saint Jean Baptiste © RMN-Grand Palais (musée du Louvre)_Michel Urtado

レオナルドの真筆と認められる着彩画で現代まで残されているのはおよそ15点。今回はロシアのエルミタージュ美術館や英国ナショナル・ギャラリー、ヴァチカン宮殿美術館などから貸与の許可を得た作品が集まり、このうち10点がルーブルに揃うという空前の出来事となった。

《岩窟の聖母》(左の絵)とミラノから来た《若い男の肖像》(右の絵)Exposition Léonard de Vinci 2019 © Musée du Louvre_Antoine Mongodin

ほかにもドローイング、彫刻、手稿など合わせて約180点を展示。ただし、分厚いガラスケースに守られ厳重に展示される《モナ・リザ》だけは、特別展会場には移されることなく、いつもの展示室で観客を待つこととなった。


「ルネサンス」という価値観の革命を、

徹底的に実践したレオナルド。


レオナルド・ダ・ヴィンチは、14世紀頃から始まったイタリア・ルネサンスが最も栄えた時期に芸術家となった。ルネサンスの定義は幅広く、一言では表せないが、わかりやすく言うなら人間性の重視、そして芸術のジャンルでは特に自然を中心とした現実の世界を忠実に表現することに重きが置かれた。

さて、あなたがもし画家だとして、人物や自然を写実的に描くとしたらどうするだろうか。きっと眼に見えるありのままを一生懸命に観察しようとするに違いない。

レオナルド・ダ・ヴィンチの場合、それだけでは済まなかった。この世界を絵画や彫刻に閉じ込めるには、人物ならその動作のもとになっている筋肉や骨の動き、自然の風景なら風の起きる原因や光の効果、水の粒子の動きまでも研究しなければ完璧な表現に到達できないと思っていたようだ。

Léonard de Vinci, Déluge_Royal Collection Trust © Her Majesty Queen Elizabeth II 2019

その探求心と好奇心は留まるところを知らず、彼を単なる芸術家ではなく「万能の天才」と呼ばれるほどの人物に育てあげる。とりわけ絵画の世界で彼はあらゆる知識と技とこだわりを注ぎ込み、動きや表情、肌のきめ細やかさや空気の存在感まで計算して、時間をかけて作品を創りあげていったのだった。

Léonard de Vinci, Draperie Saint-Morys. Figure assise© RMN-Grand Palais (Musée du Louvre – Michel Urtado)

たとえばドレープのひだの光と影の微妙な効果を研究するために、彼は石膏をひたした実際の布を使って立体模型のようなものを作った。そして動きや構図が持つ強さを研究するために数々のドローイングを描き、一生をかけて膨大な手稿を書き続けた。その多くは散逸してしまったが、約6000枚といわれる遺された手稿は「世界の成り立ちを知りたい」という彼の野心を物語っている。

Léonard de Vinci, Études de personnages pour l’Adoration des Mages (verso) © RMN-Grand Palais (Musée du Louvre) Michel Urtado

レオナルドにとっては、1枚の絵画はこうした長い時間をかけた研究で得られた知識や技の結果として生まれるものだった。この展覧会では完成した作品ばかりでなく、こうした試行錯誤の過程が同時に見られるのも興味深い。世界的に知られ、小説『ダヴィンチ・コード』をはじめとした数々のミステリーなどにインスピレーションを与えた名作《最後の晩餐》もその一つ。ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院のフレスコ画本体はもちろん運べないが、弟子のマルコ・ドッジョーノが1520年頃に描いたとされる模写作品がルーブル入り。損傷が激しい元の壁画では読み取れない細部も再現されており、レオナルドのコンセプトがわかりやすいとも言われる。

《最後の晩餐》を含む展示風景 Exposition Léonard de Vinci 2019 © Musée du Louvre – Antoine Mongodin

レオナルドの意図や試行錯誤の跡、絵画技術の独創性を知るという意味では、多くの絵画作品の赤外線写真が展示されているのも見逃せない。絵の具の下に隠れたイメージには、表面からは思いも寄らない姿かたちが現れるものもある。それはぼかしなどの効果を狙ったものであったり、あとから意図を変えて描き直したもの、そしてより理想を求めて手を加えていったプロセスが浮き彫りになるものまで。比較のため、同じルネサンスの巨匠でレオナルドから大きな影響を受けたラファエロの《ベルヴェデーレの聖母》も赤外線写真がおかれているが、レオナルドの作品との差は一目瞭然だ。

赤外線写真のおかれた展示風景 Exposition Léonard de Vinci 2019 © Musée du Louvre – Antoine Mongodin

建築、数学、音楽、解剖学、天文学、物理学、土木工学などあらゆる分野で、後世に多大な影響を与える業績を残したレオナルド・ダ・ヴィンチ。それぞれの研究やアイデアはジャンルごとに違って見えても、すべては彼の中で関係していて、それはひとつの目的のためにあった。それは自分がいるこの世界の成り立ちを知ること、そして彼の芸術を豊かにし、命を与えること。レオナルドにとって、絵画はすべての科学の中でも最も重要なものだったという。なぜならそれは唯一、美を表現し、この世の神秘を表現する手段だったからだ。

Léonard de Vinci, Étoile de Bethléem, Anémone des bois, Euphorbe Petite Éclaire © Royal Collection Trust © Her Majesty Queen Elizabeth II 2019

レオナルドがフランスに向かう旅に携えた3点の絵画《モナ・リザ》《聖アンナと聖母子》《洗礼者ヨハネ》は、こうした理想を追求するための大切な存在だったのだろう。私たちから見たら完璧に見える絵も、彼にとってはいつまでも未完の作品だったに違いない。なにしろ彼がとらえ、映し取ろうとしたこの世界の神秘はあまりに壮大で深遠すぎる。

レオナルドが《モナ・リザ》と共に最後まで手元に残した絵画作品《聖アンナと聖母子》Léonard de Vinci, Sainte Anne, la Vierge et l’Enfant Jésus, dite La Sainte Anne © RMN-Grand Palais (musée du Louvre)_René-Gabriel Ojéda

レオナルド・ダ・ヴィンチは最後の最後まで絵に筆を入れ、理想を追い求めた。展覧会が教えてくれるのは、単なる作品の素晴らしさだけでなく、真理を描こうともがき続けた一人の人間の、途方もない努力と研鑽の積み重ねでもある。


展覧会『Léonard de Vinci レオナルド・ダ・ヴィンチ』

ルーブル美術館(フランス・パリ)

2020年2月24日(月)まで

9:00〜18:00(水曜・金曜は21:45まで)火曜・12月25日、1月1日は休館

展覧会ウェブサイト(英) ※特別展チケットは前売予約制17€(常設展含む)

https://www.louvre.fr/en/expositions/leonardo-da-vinci


杉浦岳史ライター、アートオーガナイザー

コピーライターとして広告界で携わりながら新境地を求めて渡仏。パリでアートマネジメント、美術史を学ぶ高等専門学校IESA現代アート部門を修了。ギャラリーでの勤務経験を経て、2013年より Art Bridge Paris – Tokyo を主宰。現在は広告、アートの分野におけるライター、キュレーター、コーディネーター、日仏通訳として幅広く活動。

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