ヨーロッパ絵画の歴史に大きな変革が起きた19世紀。その変化に一役買ったものの一つに「写真」の発明があった。
1827年にフランス人のニエプスによって初めての写真が撮影されると、それにつづく発明家たちがさまざまな手法を考え、1800年代の半ばから後半にかけて急速に普及。まずは自分の姿を後世に残したいブルジョワジーたちが肖像写真に飛びついた。
この肖像写真の人気で、肖像画を描いていた画家たちはピンチを迎える。同時に画家たちの関心は、産業革命で進化し、輝きやスピード感を増していく都市の文化や暮らしへと移っていく。とりわけ急速に華やかな時代を迎えたパリで、画家たちが新しい被写体やスタイルを求めて変化していったのは当然だったのかもしれない。
そんな変化の最中に生まれた二人の画家がいた。それはエドガー・ドガ(1834~1917)、そしてアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック(1864~1901)。フランスにおけるモダンアートの先駆者である彼らに焦点をあてた2つの展覧会が、現在パリのオルセー美術館とグラン・パレで開催されている。
二人は、同じパリの中でも違う境遇に暮らし、まったく別の世界に関心を持った。しかし彼らには共通したあるテーマがあった。それは「女性」「身体」「躍動感」、そして何よりも彼らが生きる時代をありのままに描く姿勢だった。
オペラ座、そこにはドガの描きたいものすべてがあった。
パリの中心部にある「オペラ座」。1875年に完成した国立の歌劇場は、ネオバロック様式の豪華絢爛な姿を今に残す街のシンボル的存在で、観光客が真っ先に訪れる場所。建築家シャルル・ガルニエの設計が採択されたので「ガルニエ宮」とも呼ばれる。
日本でも高い人気を誇るフランス国立バレエ団は、まさにここオペラ・ガルニエが拠点。建物の中には、舞台はもちろん、稽古場や楽屋があり、さまざまな舞台裏のドラマが今も繰り広げられている。
19世紀の終わり、完成したばかりのそんなオペラ座の人間模様を、密着映像ならぬ絵画の世界で描いたのが、ドガだった。
ドガは、カフェやミュージックホール、競馬場など、変わりゆく都会パリの現実とその人々を描いていた。とりわけガルニエ宮を彼は「自分の実験部屋」と呼んで幾度となく訪れ、舞台はもとより、舞台上から袖に息を切らせて帰ってくるダンサーや楽屋、一般の人々の目に触れることのないレッスン風景など、いわば「舞台裏」の一瞬一瞬を切り取って数々の絵に仕上げていった。
なぜドガはそういった場にいられたのだろうか。実は、当時のオペラ座は上流階級の社交場でもあって、年間契約で座席を購入していた会員は舞台裏や稽古場への出入りが許されていた。中にはお気に入りのダンサーを囲う者もあったという。新興ブルジョワジーの家庭に生まれたドガも、会員に居続けることで数々の「名場面」を目撃したのだった。
この展覧会が興味深いのは、ドガがただ単に踊り子達を描きたかったのではなく、オペラ座全体を彼の描きたいものが凝縮された「ミクロコスモス(小宇宙)」として捉えていることだ。
バレエダンサーや歌手、オーケストラ、観客というさまざまな人物、多様なアングルの面白さ、まばゆい光と闇のコントラスト、そしてなにより人間の肉体美とそのあらゆる動き、動作、そのスピード感・・・。「印象派」グループにありながらも、目を患っていたことで野外での写生が満足にできなかったともいわれるドガ。彼が見つけたのは、外よりも刺激的な室内の「風景」だったのだ。
生き生きとリアルな「今」の女性を描いたロートレック。
ドガが描いたのがオペラ座の小宇宙だとすれば、ロートレックが身をゆだねたのはパリ北部の下町、モンマルトルのキャバレーを舞台に繰り広げられたもう一つの小宇宙だった。
彼が生まれ故郷の南仏アルビからパリに出てきたのは1882年、18歳のとき。肖像画家として知られたレオン・ボナの画塾に学んだあと、モンマルトルにあった画家フェルナン・コルモンのアトリエに移る。ここは弟子たちの個性をのばす指導で知られ、ロートレックはここでゴッホやエミール・ベルナールなど、のちに美術史に残る画家たちと出会っている。
この街で彼は、歌手・作詞家のアリスティード・ブリュアンとの出会いもあって歓楽街に足を踏み入れた。
1889年には、あの有名な「ムーラン・ルージュ」がオープン。その界隈のキャバレーやバー、カフェにはアーティストや文化人たちが夜な夜な集まり、きらめきと頽廃が交わるパリの象徴となった。ドガのオペラ座と同じように、ロートレックはそこに自分の居場所を見つけ、ダンサーや歌手や娼婦、そして集まる男たちを描いていく。ただドガが、どちらかといえば観察者であったのとは異なり、ロートレックは自身のキャラクターや障害を持ったがゆえの不遇さから夜の世界の女性たちとも共感しあい、どっぷりとこの世界に浸かっていった。
そして彼が手がけた店やショーのポスターは、パリ中に出回り、彼は瞬く間に時代の寵児になったのだ。
ロートレックは一般的に、こうしたモンマルトルの文化、とりわけ娼婦やダンサーたちの日々を描き、広告も手がけた流行画家のイメージがある。しかしこの展覧会では、その一歩先の解釈でロートレック作品の斬新さにも目を向ける。
たとえば、写真や映画の表現を先取りするかのような「動き」や「スピード感」への関心。強調したい対象以外をあえて未完成なままに残した、被写界深度の浅い写真のような手法。そして華やかな舞台の裏で、疲れ、さまざまな思いを抱えて生きる女性たちへの優しいまなざしの存在・・・。
生活の価値観や時間の概念が絶えまなく変化していった当時のパリのリアルな「今」。そのダイナミックなリズムや躍動感を、動かない絵の中でどう表現しようとしたのか。伝統的な手法の枠を超えてそれに挑戦しつづけた芸術家としてロートレックを捉えると、それぞれの作品はまた新鮮な見え方がしてくるはずだ。
ドガとロートレック。二人はあまりに有名な画家で、描かれた対象は誰でもなんとなく知っている。しかし、彼らが活躍した時代の背景や、その手法や構図の斬新さ、それまでの絵画はなかった対象へのまなざしを知ることで、目の前にある絵の深みは違ってくる。パリを愛した二人の巨匠の展覧会は、そんな新しいアートの愉しみ方を我々に再認識させてくれるようだ。
『Degas à l’Opéra オペラ座のドガ』展
2020年1月19日まで開催
9:30〜18:00(木は21:45まで)月曜休、12月25日は休館
オルセー美術館(フランス・パリ)
1 rue de la Légion d’Honneur, 75007 Paris
https://www.musee-orsay.fr/
『TOULOUSE-LAUTREC トゥールーズ=ロートレック』展
2020年1月27日まで開催
木曜・日曜・月曜は10:00〜20:00
水曜・金曜・土曜は10:00〜22:00
火曜休、12月25日は休館
グラン・パレ(フランス・パリ)
3, avenue du Général Eisenhower75008 Paris
https://www.grandpalais.fr/fr/evenement/toulouse-lautrec
杉浦岳史/ライター、アートオーガナイザー
コピーライターとして広告界で携わりながら新境地を求めて渡仏。パリでアートマネジメント、美術史を学ぶ高等専門学校IESA現代アート部門を修了。ギャラリーでの勤務経験を経て、2013年より Art Bridge Paris – Tokyo を主宰。現在は広告、アートの分野におけるライター、キュレーター、コーディネーター、日仏通訳として幅広く活動。