その彫刻作品に刻まれたのは、ぴったりと向き合い抱き合う二人の人間。お互いの腕は優しくしっかりと絡み合い、ひとつに融け合うかのように身体を寄せ合いキスをする・・・。これ以上はないほどの究極的な愛の表現に、世界中の人々が魅せられてきた。
これを生みだしたのは、彫刻家コンスタンティン・ブランクーシ。作品のタイトルはまさにその姿を表す『The Kiss(接吻)』(1907-10年)。1876年にルーマニアで生まれた彼は、フランスのパリで才能を華開かせ、20世紀彫刻の新しい領域を切り拓いた。いま東京・京橋のアーティゾン美術館では「ブランクーシ 本質を象る(かたどる)」展が開催中。意外にも日本の美術館では初めてというこの偉大な彫刻家の大規模な展覧会に注目が集まっている。
よく知られた彼の作品の特徴は、純粋で研ぎ澄まされたフォルムだろう。「本質を象る」という展覧会タイトルの通り、それは物事の根源に迫り、私たち人間の心の深いところに届くような強さと優しさを持っている。ブランクーシ本人も「真なるものとは、外面的な形ではなく、観念、つまり事物の本質である」と語る。国境や文化の違いを越えて伝わる「本質」の形に、彼はどうやってたどりついたのか。この展覧会はこうしたブランクーシの秘密に迫っていく。
そんなブランクーシも、最初からその境地に達していたわけではない。
ルーマニアの美術学校で彫刻を学んだ彼は、1904年に当時芸術の都として世界の若きアーティストたちを惹きつけていたパリに出て、名門の国立美術学校に学び始めた。この頃の作品は上の《苦しみ》のように、むしろ写実的でアカデミックな様式も感じられる。しかし表面は滑らかに処理され、すでに外面的な細かさよりも彫刻の表面とフォルムの美しさに関心があることがわかる。
このブランクーシの才能を高く評価した彫刻家がいた。それは《考える人》《地獄の門》などで知られるオーギュスト・ロダン。1907年3月、31歳になるブランクーシは下彫り工として、すでに巨匠となっていたロダンの工房で働くようになる。しかし一ヶ月ほどでそこを離れることに。「大きな樹の陰では何も育たない」とその理由を語ったとされるが、彼の中でロダンの力強い造形とは方向性の違う自分の「道」がそのとき見えてきたのかもしれない。
この時期からブランクーシは石の塊に直接手を入れてフォルムを彫り出す「直彫り」の技法で作品を作るようになる。《接吻》のシリーズはこの直彫りの最初期のもので、展示された作品はそれを基にした石膏の作品。ロダンの場合、彫刻制作は粘土でモデルをつくる塑造が中心で、そこから型を取り、職人によって鋳造されるという「分業制」であることも多かった。ブランクーシは、ロダンのリアルで力強い表現や作法への違和感、そして素材そのものへの鋭い感性や、彼が親しんだ原始的なアフリカ彫刻などの影響から、自らの表現を探求。やがて、対象となるフォルムをより本質的な形へと昇華させていく、独自のスタイルをもった「彫刻家ブランクーシ」が生まれていった。
またブランクーシは頭部を水平に置く「眠り」のイメージでも、人々に新しい彫刻のあり方を見せた。「眠り」の状態を通じて重力から解放されたその像は、頭・顔といった外形の特徴をとどめつつ、表現は抽象化されている。ブランクーシはさらに素材を磨くという作業を加え、道具の痕跡、彫刻家の動作さえも消していく。こうして、観る私たちは見た目の形よりも内に秘めた思念や夢想、存在の本質をそこに感じることになる。
こうした人体の抽象化、本質的な形を探求する中で描かれたドローイング《スタンディング・ボーイ》も興味深い作品。泣き声を上げる子どもの一瞬をとらえたその姿は、彫刻のように抽象化されていても声の大きさや内に秘めたあどけない悲しみが伝わってくるよう。本質を巧みにつかむブランクーシの感性を象徴しているかのようだ。
1907年からパリ左岸のモンパルナスを拠点にしていたブランクーシは、1916年には同じエリアの西寄りにある「ロンサン小路」の集合アトリエに入居する。エコール・ド・パリの全盛期で世界各国から芸術家が集まっていたモンパルナスで、ブランクーシは独自の道を歩みながらも、画家アメデオ・モディリアーニら多くの芸術家たちとも交流を重ねていた。
天井の高いそのアトリエは、約40年にわたるその後の生涯の仕事場に。積み重なる作品や台座、石材、木材などの素材に埋めつくされ、ブランクーシの創造活動の象徴になっていった。
彼は自分の到達点を確認するかのように、自らカメラを構えてその空間を日常的に写真に残してきたという。自分の彫刻の写真も撮ってきたブランクーシは、それによって肉眼では気づけないような潜在的な作品の側面を引き出そうとしていたという。今回の展覧会では彫刻のみならずこうした写真作品や絵画作品などから、ブランクーシの創作者としての多面的な足跡もたどっている。
「鳥」のモチーフは、彼が生まれたルーマニアの伝承の民話にもとづくもので、ブランクーシにとっては自由と上昇を表すシンボルでもあった。彼はちょうどこの時代に発明され進化を遂げた航空機にも関心を持っていたといわれ、1920年ー30年代にかけて「飛翔」をテーマにした作品は発展を遂げていく。あまりにも純粋化したフォルムと金属の素材により、アメリカに作品発送の際には《空間の鳥》が美術品と見なされず、工業製品だとして関税をかけられたため裁判になったというのは有名な話だ。
同時代の詩人ギヨーム・アポリネールに「偉大な洗練」の芸術家と評されたコンスタンティン・ブランクーシの独創的なスタイルは、後世のアートシーンに大きな影響を及ぼした。たとえば彫刻家のイサム・ノグチは、パリへの留学時に彼のアシスタントとして運命的な出会いをし、自然と通底する抽象表現へと大きく舵を切るきっかけとなった。また朴訥で真摯な人柄からマルセル・デュシャンやマン・レイなど名だたる芸術家の友人も多く、フランスではその芸術への貢献度から高い評価を得ている。アーティゾン美術館とほぼ同時期に開催されるポンピドゥー・センター国立近代美術館での「ブランクーシ展」は大きな話題を集める。
国や文化を越えて人間の心をつかむ力をもったブランクーシの作品たち。これから時代が変わっても、きっとその本質を究めた表現は変わることなく人々を魅了し続けるのだろう。彼が大切にした素材の性質や、磨きあげ洗練されたフォルムを肌で感じるためにも、ぜひ実際に美術館を訪れてみたい。
ブランクーシ 本質を象る
会場:アーティゾン美術館(東京・京橋)
会期:2024年7月7日(日)まで
開館時間:10:00〜18:00
※金曜日は20:00まで ※入館は閉館の30分前まで
休館日:月曜日
詳しくは美術館ホームページへ
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