上野の東京国立博物館で開催中の特別展「ポンペイ」が大きな人気を集めている。

今から1900年以上前、西暦79年に起きた大規模なヴェスヴィオ山の噴火で流れ出した火山噴出物によってまたたく間に飲み込まれ、文字通り街ごと「封印」されてしまった地中海沿岸の都市、ポンペイ。それが18世紀になって火山灰に埋もれた美しいフレスコ画や精巧なモザイク画、工芸品や日用品の数々が発掘され、整備された街並みとともに姿を現した。世界中に知られるその奇跡の物語の遺物が、海を越えてはるばるこの日本に来ているのだ。私たちが魅了されるのも無理はないだろう。


その「ポンペイ」は地中海に面したイタリア第三の都市、ナポリの近郊にある。眩しい太陽の光と蒼い海、色彩豊かな街並み、そしてナポリピッツァやシーフードなどに代表されるイタリア屈指のグルメな街は、ポンペイをはじめとする南イタリア観光の拠点として、世界のツーリストたちのあこがれを集める。

サン・マルティーノの丘から見るナポリ市街地。右手にヴェスヴィオ山、左端にはナポリ国立考古学博物館も見える。ポンペイはヴェスヴィオ山のふもとに位置する(筆者撮影)

ナポリ国立考古学博物館 Photo ©Luciano and Marco Pedicini

このナポリの中心部にある「ナポリ国立考古学博物館」は、このポンペイ遺跡から発掘された膨大な遺物を収蔵・保存している。今回の展覧会はこの博物館が誇る貴重な名品がかつてない規模で出品された「ポンペイ展の決定版」と言ってもいい。

ヴェスヴィオ山と遺跡全景 Photo ©Luciano and Marco Pedicini


発掘されたポンペイの街並み(筆者撮影)

古代ギリシャの植民地として紀元前から発展し、その後はローマ帝国の都市として豊かな市民生活を育んだポンペイ。その当時の生活風景を少し想像してみてほしい。

石畳が敷かれた碁盤目状の道を行き交う馬車や人。街角や邸宅の室内を飾る彩りあふれる絵画やモザイク画。細工の施された美しい生活用具や美術品。人々はレストランで地中海沿岸ならではの食事を楽しみ、劇場で演劇や闘技に沸き、水道がゆきわたった街の浴場で疲れを癒す・・・。ただそこに街があったというだけではない。ギリシャ・ローマ文明の成熟した文化をもとに、ポンペイには現代の私たちでさえうらやむような暮らしがあった。

今回の展覧会では、邸宅の一部を再現、あるいは臨場感あふれる3D映像によって、こうしたポンペイの生活と風景を体感することができるのも魅力だ。


特別展「ポンペイ」展示風景


まず第1章と第2章では、古代ローマの都市に欠かせないインフラや公共施設を整えたポンペイの街の姿、そしてそこで活躍する人々と社会について語る。

当時ポンペイの人口は1万人ほど。そこにはフォルム(中央広場)、劇場、円形闘技場、浴場、運動場などの公共施設が揃っていた。街には裕福な市民たちが暮らし、高い教養を身につけ、ビジネスの才覚さえあれば、解放奴隷や出自の低い女性でさえも一発逆転。資産家としてのし上がることができたという。

邸宅の中庭を囲む列柱廊を飾ったこのフレスコ画には、左側に哲学者、そして右側上には盾の紋章と独特な帽子からマケドニアの王族と思われる人物が描かれる。これはこの家の持ち主がギリシャ文化への素養があることを物語る。


喜劇の仮面をかぶり、楽器を演奏する小さな楽団がある家を訪問する様子を描いた《辻音楽師》。近づいて見ると、小さなドットのような微細なモザイクを貼り合わせて絵が構成されていることがわかる。ギリシャ人のモザイク作者ディオスクリデスの署名がある極めて優れたモザイク画。街の劇場のにぎわいが目に浮かぶようだ。




冒頭にもご覧いただいた女性像は、その知的な美しさから古代ギリシャの女性詩人であるサッフォーという通称名で呼ばれ、ナポリ国立考古学博物館で最も有名な肖像画の一つだ。書字板と尖筆を持って思索にふけるような仕草に、こうした分野で女性たちが活躍したポンペイの自由な社会を想像させる。


こちらはカメオ・ガラスと呼ばれる技法で制作された通称「青の壺」。紺青色ガラスに白色ガラスを重ね、ワイン造りに勤しむクピド(キューピッド)の姿などが描かれた精緻な浮き彫りは、ポンペイ市民の豊かな文化を映す。完全な形で現存するカメオ・ガラスはとても貴重。これもまた必見の作品だ。


ポンペイの街中には、パン屋やテイクアウトのできる料理屋があって、現代と同じように手軽に食事をとることができた。また裕福な家には台所があり、使用人たちが調理し、食事を供したという。展覧会の第3章ではこうした食の文化や食器類、発掘で出土したパンなどを展示。ポンペイの食生活に迫っている。当時の人々の日常を垣間見るようで楽しい。

ポンペイのパン屋の店先。街にはこうしたパン屋が30軒ほどあったという。展覧会ではここに描かれたのと同じ形のパンの出土品も展示されている。


ポンペイには、古代の地中海文明の数百年にわたる歴史が刻まれている。第4章では、遺跡の中でも代表的な3軒の邸宅「ファウヌスの家」「竪琴奏者の家」「悲劇詩人の家」に着目。会場内に邸宅の一部を再現しつつ、モザイクや壁画の傑作と生活調度品によって、いにしえの邸宅の様子を感じることができる。「ファウヌスの家」は紀元前2世紀にさかのぼる古い邸宅だが、古代ギリシャの後期、ヘレニズム美術のモザイク装飾が残されている。下はポンペイで最も広い邸宅の一つ「ファウヌスの家」の入口に配された床モザイク。ギリシャ悲劇の仮面はヘレニズム・ローマ世界で人気があった題材だという。



ファウヌス家の談話室の敷居の床に配されたモザイク


「竪琴奏者の家」では、ポンペイがローマ化して、やがて帝政期になってローマ文化が黄金時代を迎えた頃のフレスコ画、また「悲劇詩人の家」では噴火直前に描かれたとされるフレスコ画が知られる。順を追って展示を見ることで、こうした変遷をたどることができるのも興味深い。


家の入口の床に、訪問客に番犬がいることを知らせる「猛犬注意」のモザイク画。ポンペイ遺跡の数ヶ所に同じようなモザイクが見つかっている。

ところで世界史の授業で必ずと言っていいほど出てくるマケドニア王国の「アレクサンドロス大王」の姿は覚えているだろうか。馬に乗って雄壮に戦うあの姿は「ファウヌスの家」談話室の床にあったモザイク画だ。現在この作品はナポリ考古学博物館で修復作業中。展覧会には出品されていないが、この「ファウヌスの家」の様子が、3DCG映像とともに展示室に一部しつらえられ、当時の邸宅の雰囲気を感じることができる。


アレクサンドロス大王とダレイオス3世の戦闘場面を描いた〈「アレクサンドロス大王のモザイク」(再現)〉が床にしつらえられた特別展「ポンペイ」展示風景

展覧会第5章では、このアレクサンドロス大王のモザイクのように、今も終わらないポンペイの発掘と修復の歴史が伝えられる。実は西暦79年の噴火で埋没したのはポンペイだけではない。付近にはエルコラーノ、ソンマ・ヴェスヴィアーナといった遺跡があり、これらの発掘作業の映像なども展示で見ることができる。

すでに硬くなった灰色の火山灰の地層から、人々が噴火の寸前までそこで豊かな暮らしを育んでいたことを証明する色鮮やかな絵画が現れる瞬間は、私たちの心を打つ。

数多くの遺物が集結した特別展「ポンペイ」。それは単に世界に名だたる遺跡の痕跡を見るだけではなく、現代の私たちと同じように暮らしを楽しみ、音楽や芸術といった文化を愛好した古代の生活に思いを馳せる機会になるだろう。







特別展「ポンペイ」

会期:2022年4月3日(日)まで

会場:東京国立博物館 平成館(上野公園)

開館時間:9:30〜17:00

休館日:月曜日、3月22日(火)※3月21日(月・祝)、28日(月)は開館

料金など詳しくは展覧会公式サイト:https://pompeii2022.jp/

※本展は事前予約(日時指定券)を推奨します。詳細は展覧会公式サイトをご確認ください。

※開幕の日程、開館時間などの最新情報は展覧会公式サイト等で事前にご確認ください。


(文・杉浦岳史)

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