私たちの心に直接飛び込んでくるような強さをもった黒く鋭い線。まるで人物の内面や物事の本質をえぐり出すような表現。そしてどこか不穏な何かを漂わせる空気・・・。この独特な絵を生みだしたのは、戦後、20世紀後半のフランスを代表する具象画家となったベルナール・ビュフェだ。いま、東京・渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムでその回顧展が開催され、話題を集めている。

展示風景

彼がその早熟な才能を花開かせたのは、ナチス・ドイツに占領されていた第二次世界大戦下のパリ。絵が好きだった若きビュフェは、占領下にあったパリ市の夜間講座で絵を学び、なんと15歳にしてフランス美術界の名門、パリ国立高等美術学校の入試に合格。すぐに頭角を現した。20世紀の初頭にアート界を席巻したキュビズム、あるいは画家スーチンの激しい描写などに影響を受けながら、彼はそれまでになかった独自の表現を創りあげていく。

ベルナール・ビュフェが絵画を学んだパリ市夜間講座のあったヴォージュ広場

戦争が終わってフランスは勝利したものの、荒廃した暮らし、そして戦いや占領の重苦しさに傷ついた人々の心は簡単にいやせるものではなかった。そんな不安や虚無感に満ちた厳しい時代の雰囲気を、ビュフェは作品に反映し、モノトーンに近い抑制された色彩と多数の鋭い線でストイックに描写。1948年、20歳の時にはフランスにおける若手画家の登竜門だった「批評家賞」を受賞して一躍脚光を浴びることとなった。当時、若者のあいだでブームになった思想家ジャン=ポール・サルトルの実存主義や、『異邦人』や『ペスト』で知られる小説家アルベール・カミュの不条理の思想とも呼応して、ビュッフェの作品は「悲惨主義(ミゼラビリスム)」と呼ばれ、観る人を圧倒し、大きな共感を得たという。

展示風景

しかし、この時代のアート界では抽象絵画が主流になりつつあった。具象を中心にしたビュフェの作品は時に批判も受けながらも、彼はその独自性を貫きつづけた。

1950年、彼はパリを離れ、南仏を訪れてプロヴァンス地方の生活や風景を描きとめた。このとき共にいたのは、パートナーのピエール・ベルジェ。のちにファッションデザイナー、イヴ・サン=ローランのパートナーとなり、歴史的なクチュリエに彼を仕立てた立役者だ。ビュフェとベルジェの2人は南仏に農場を借り、画家はそこで戦争の傷跡をひきずったパリの不安や虚無を離れ、明るい色調をともなった代表作の数々を生みだしていった。

展示風景 ビュフェの妻となったアナベルをモデルにした作品が多くなる

ギャラリーとの契約で始まった毎年恒例の個展、あるいはジャン・コクトーなど文学者との交流、舞台装飾の仕事などを通じて確かな名声を獲得したベルナール・ビュフェ。1958年の大規模個展は、観客10万人が押し寄せる快挙となった。そしてこの年の6月、訪れた南仏のサン=トロペで、彼はある女性と出会い、ひと目惚れで恋に落ちる。それは歌手やモデルとして活躍していたアナベルだった。ちょうどパートナーのピエール・ベルジェと別れたばかりだったビュフェは彼女に夢中になり、わずか半年で2人は結婚。その神秘的な容姿からインスピレーションを受け、まさに「ミューズ」として彼女をモデルにした多くの作品を発表した。

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彼の人生に大きな出来事があったこの年を境に、作品にもモチーフや色の鮮やかさ、より激しい輪郭など変化が起こった。1960年代には「自然誌博物館」、「皮を剥がれた人体」、「闘牛」、「狂女」などのシリーズで数多くの作品を手がけ、内から沸き起こる激情を力強い描線に現すような、表現主義的な傾向を強めていく。

その後、批評家たちを驚かせた彼の写実的な風景画や、感情を排除した平面的な筆遣いの作品、さらには90年代に入り攻撃性と自虐性が共生するような人物描写が見られるなど、時代ごとにさまざまな表現をキャンバスに描いてきたベルナール・ビュフェ。その変化の中で一貫していたのは、絵を描くことにすべてを捧げてきた彼の姿勢だった。1997年にパーキンソン病を発症し、体力や身体の自由を失いながらも、2000年に予定された個展に出品する「死」シリーズに取り組んだビュフェ。1999年5月にそれを完成させると、6月には絵筆が取れなくなり、画家としての人生の終わりを悟った彼は、10月4日にアトリエで自ら命を絶った。

展示風景

ベルナール・ビュフェは、一度見たら忘れられないような黒く鋭い線と色彩のコントラストに、何を込めようとしたのだろうか。戦争の中で絵を描き始めた彼は、漂う不安やうねりのような社会の変化を敏感に感じとり、翻弄されながらも、心の内面を作品に映しだしてきた。展覧会は、約80点の展示作品に投影されたこうした「時代」に焦点をあてる。

いま私たちは世界的な疫病の不安にあって、まさにこの時代は何なのか、ここからどこへ向かっていくのだろう、という問いの中に生きている。ひとつ前の時代に、その「問い」に向き合いつづけた画家の志は、それを見る私たちにひとつの視座を与えてくれるのかもしれない。


ベルナール・ビュフェ回顧展 私が生きた時代

会場:Bunkamura ザ・ミュージアム

会期:2021年1月24日(日)まで(1月1日のみ休館)

開館時間:10:00〜18:00 ※入館は17:30まで、夜間開館なし

※1月9日以降の土日祝のみ入場日時予約制

チケット購入へのリンク・詳細はウェブサイトへ

https://www.bunkamura.co.jp/museum/

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