BANKSY バンクシーを知っているだろうか。

彼は、ロンドンを中心に活動しているアーティストだが、その正体は謎に包まれていて、本名も不明なら詳しいプロフィールも公開されていない。世界中のストリートの壁面や橋梁、時にはニューヨーク近代美術館やルーブル美術館などに突然作品が現れてはニュースになったりしてきた。

パリ5区に残るバンクシー作品(筆者撮影)

描かれているのが、ねずみやサルなどの動物、少年少女だったりで、一見するとキャッチーで愛らしかったり、思わずクスリとしてしまうような作品も多い。しかし、そのユーモアの裏には、社会の問題や矛盾、暴力やテロ、人種差別、行き過ぎた資本主義への風刺など、彼の強いメッセージが込められている。彼が「芸術テロリスト」と呼ばれるゆえんだ。

バンクシー展 会場風景《ノー・ボール・ゲームス》

街の壁面に描かれるグラフィティが大半なので、消されたり、上書きされたりしてバンクシーの過去作品には残っているものが多くない。そんななか、複数の個人コレクターの協力のもと、オリジナル作品や版画、立体オブジェなど70点以上が集結した展覧会が、横浜で開催されている。

2018年からモスクワ、マドリード、リスボンなどを巡回し、100万人以上を熱狂させたバンクシーワールド。新型コロナウィルスの影響で一時休館となっていたが、5月30日の営業再開後は多くの人々が来場。今年7月中旬には、ロンドンの地下鉄に彼の新作が出現し、あっという間に消されたニュースが世界を駆け巡ったこともあり、ますます注目を集めている。

これほどまでに心を引きつけるのは、彼が謎に満ちているからだけではないだろう。アートの役目は、人々に議論をうながし社会の問題を明らかにすること、と語るバンクシーだが、その社会を見つめる視線が天才的に鋭い。言葉を重ねてもなかなか伝わらないようなメッセージを、言語の壁さえ軽々と越えて私たちの心に突き刺してくる強さ。それこそが地球規模でファンを集める理由なのだと思う。

その一端を、バンクシー作品の中でもっとも有名なものの一つ《ラブ・イズ・イン・ジ・エアー》で紹介してみよう。

バンクシー《ラブ・イズ・イン・ジ・エアー》

街頭で抗議活動をして火炎瓶を投げようかというようなポーズをとる男性。しかし、その手に持っているのは花束だ。もしこれが火炎瓶や爆弾で、ひとたび何か事が起きれば、そこからエスカレートして激しい暴動や戦争さえ巻き起こし、勝者も敗者もなく暴力の犠牲を払うことになる。しかしそれがもし花束だったなら、意味は大きく変わってくる。「平和」か「戦争」か・・・。それは対立の解決のために「人が何を選択するか」にかかっている、と語っているようだ。


もっと私たちの生活に身近で、「ドキッ」とさせられる作品もある。

バンクシー《セール・エンズ》

16~17世紀頃にしきりに描かれた宗教画に登場するような、嘆きひれ伏す女性たち。その真ん中、本来ならイエス・キリストのいそうなところには赤く白抜きの文字で大きく「SALE ENDS TODAY(セールは今日で終わりです)」と書いてある。人々はセールを待ち焦がれ、始まれば買い物に明け暮れ、その終わりを心から嘆く。バンクシーは現代の暮らしにおいて、そんな神聖な存在にまでなった「消費文化」を皮肉をこめて描く。ショッピングの帰りに見たら、はっと見透かされた思いがしてしまいそうだ。

バンクシー展会場風景《ベリー・リトル・ヘルプス》

もうひとつ消費礼讃を描いた作品がこちらの《ベリー・リトル・ヘルプス》。最初は左側の写真のように、2008年にロンドン北部の薬局の壁にステンシル、つまり型抜きスプレーされた彼の得意のスタイルで描かれた作品だった。

1人の子供が高々とポールに掲げているのは、英国最大のスーパーマーケット「TESCO」の青いビニール袋。残りの2人はそれをうやうやしく見上げ、消費者としての忠誠を誓っている。こうしたコマーシャリズムを皮肉るスタイルは、バンクシーの多くのアートに通底するもの。「Every Little Helps ささいなことでも役に立つ」は「TESCO」のスローガンだが、この作品のタイトルは「Very Little Helps ほとんど何の役にも立たない」。なんと細かなところまで手の込んだ風刺だろう。

写真右側は、このTESCOのビニール袋が英国旗のパンツに置きかえられたオリジナル作品だ。

バンクシー《パンツ》

これは難民支援のためのチャリティーキャンペーンに参加するために制作されたもの。地中海を渡り、ヨーロッパを横断してくる難民たちは生活必需品を買う金がない、とりわけ下着不足は死活問題だ。キャンペーンの主催者はそれを人々に気づいてもらうために、有名人に自分の下着にサインをしてもらい、オークションで販売することでその収益を難民救済にあてた。バンクシーはパンツを提供する代わりに、このユニオンジャックのパンツを描くことで、生活物資の不足だけでなく、政治亡命が英国に認められず彼らが紛争地域に強制送還される危険性にも触れたといわれる。

バンクシー《テスコ・ペトロール・ボム》

「TESCO」といえば、バンクシーの地元ブリストルで出店する際に、それが地域の商業を壊すと反対運動が起きて暴動に発展。逮捕者まで出てしまった。上の展示写真の中央はバンクシーの作品で「TESCO」のラベルがついた火炎瓶の版画作品。彼はこの売り上げを暴動で逮捕された人々を牢獄から出すための保釈金にあてるよう申し出たという。

バンクシー展 会場風景

バンクシーの作品には、ストリートアートのシンボルともいえるネズミが頻繁に登場する。実はネズミが描かれるのは「ステンシル・グラフィティの父」として知られるフランスのブレック・ル・ラットが発端とされ、社会的に弱い立場にある庶民の思いを代弁しているともいわれる。巧妙に姿を隠しながら街を行き交うところは、まさしくストリートアーティストにも似ているし、ネズミを意味する英語とフランス語のつづりはどちらも「RAT」で、このアルファベットを並び替えれば「ART」になる。先日、ロンドンの地下鉄の作品でマスクを着用していたのもネズミだった。

バンクシー展 会場風景<アーティストのスタジオ>

展覧会では、写真や映像から再現した知られざる彼の制作スタジオや、夢の国「ディズニーランド」ならぬ、陰気な国「ディズマランド」(dismal 陰鬱な+Land)プロジェクトを紹介したコーナー。ほかにも彼の世界観を象徴するインスタレーションやマルチメディア、さらには具体的な制作をイメージさせるステンシル型やスプレー缶も展示され、バンクシーの隠された創造の領域を体感できるのもいい。

バンクシー《ガール・ウィズ・バルーン》

そしてバンクシーといえば、この代表作「ガール・ウィズ・バルーン」についてふれない訳にはいかない。この作品は最初、2002年のロンドンに突如あらわれた壁画だった。少女の手をふっと離れた赤いハートの風船の、手が届きそうにも届かなそうにもみえるその微妙な感覚。このモチーフは、のちにアレンジされて難民キャンプのイベントに使われるなど、市民の平和を願う象徴になっていった。

これが有名になり、イギリス人の好きな芸術作品で1位になるなど盛り上がったところで、2018年10月バンクシー自身の作によるこの「ガール・ウィズ・バルーン」の額作品が世界的オークションハウス、サザビーズで競売にかけられ、なんと約1億5000万円で落札した。ところがその瞬間、額の中に仕込まれたシュレッダーが作動し、集まったコレクターやオークション関係者の目の前で作品が切り刻まれていったのだ。

自分の知らないところで投機的に値段が上がったりすることに悩まされてきたバンクシーによる、美術市場への抵抗という見方が一般的だが、これでますます人気も価格も高騰してしまった。

バンクシー展 会場風景

展覧会では、それぞれの作品に関して、その背景を丁寧に語る音声解説が用意されていて、アプリを通じて無料で提供されている。ぜひ自身のスマホやイヤホン・ヘッドホンを持参し、会場でアプリをダウンロードしてこれを聞きながら会場を歩いてみてほしい。

アートにはそれを手がけるアーティストによって、さまざまな意味や役割を持っているものだが、バンクシーは多くの場合、社会へのメッセージや問題への気づきを伝える手段としてアートを手がける。その点において、彼はメッセージとアートの組み合わせ方が絶妙であり、誰にもかなわないユーモアとオリジナリティにあふれている。

バンクシーをただ話題や現象として見るのでなく、意味するものや創作の裏側まで感じながら見るとき、きっと「アートとは何か」の一端まで知ることができるに違いない。

(文・杉浦岳史)

「バンクシー展 天才か反逆者か」

会期:2020年9月27日(日)まで ※会期中無休
会場:アソビル(神奈川県横浜市西区高島2-14-9 アソビル 2F)
時間:平日 9:00〜20:30(最終入場 20:00)

   休日 8:00〜20:30

■チケットは完全事前予約制・下記公式ウェブサイトのリンク先から日時指定チケットを購入

日時指定チケット(平日) 大人 1,800円・日時指定チケット(土日祝) 大人 2,000円
展覧会公式ウェブサイト:https://banksyexhibition.jp/

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