写真家が見ているもの、とは何か。
「写真とは何か」そう聞かれたら、とっさに答えられる人は少ないだろう。けれど「まなざし」と言われれば、なんとなくわかる気がするかもしれない。私たちも日常的に、たくさんのものを見ているし、スマートフォンで一日に何枚も撮る写真のなかには、私たちなりの「まなざし」で見た風景や友人や自分がおさめられているに違いない。
では、写真家の「まなざし」は、私たちのそれと何が違うのだろう。
まず写真家は、写真を上手に撮る人のことではない。むしろ自分が「何を見るか」に真剣に向き合い、問い続けている人、と言えるかもしれない。何に心を動かされるのか。なぜその瞬間を切り取るのか。何を写して、何を写さないのか・・・。作品になった写真の背景には、その人だけの価値観や体験、そして時間をかけて育まれた世界の見方、追いかけつづけたテーマが息づいているのだ。

この夏、渋谷のヒカリエホールで、30人の写真家たちの、30通りの世界の見方に出会える展覧会「まなざしの奇跡 日本女性写真家の冒険」が開催されている。
これは2024年、フランス・アルル国際写真祭を皮切りに、ハーグ、フランクフルトと世界を巡回し、14万人を動員した展覧会「I’m So Happy You Are Here」の凱旋記念展として、規模を拡大して日本で企画されたもの。1950年代から現在まで、日本の写真表現を切り拓いてきた30人の女性写真家による約200点の作品が一堂に会する、写真史上でも稀に見る大規模展だ。

そこに広がるのは、隠れてきた「もうひとつの」写真の歴史。
日本の写真表現は、フランスなどヨーロッパをはじめとして世界的に注目されている。しかし、これまでに紹介されてきた写真家は男性に偏りがちだった。実際に国内でも、写真家として歴史に名を残し、語られているのは、たとえば土門拳、木村伊兵衛、荒木経惟、森山大道など多くが男性で、まるで政治やビジネスの場のように、それが半ば当たり前のような雰囲気すらある。
けれどその傍らでは、同じ時代を生き、同じように鋭く世の中を見つめる女性たちがいた。一人一人違う写真家の個性に、ことさら性別を強調する必要もないけれど、そこにはやはり女性でなければ気づけない、そして描けない表現も多く含まれている。
この展覧会は、記憶、身体、日常、ジェンダーといった、様々なテーマを切り口に、彼女たちそれぞれの多様な写真表現に光をあてた。それは、もうひとつの写真の歴史を可視化する試みと言ってもいいかもしれない。

「写真」の概念を超えて、解き放たれた表現。
会場を歩き始めて気がつくのは、まさに写真家ごとに違う「写真を撮る」という行為と、視点の多様性だろう。第1章では、「写真」と聞いて私たちが思い浮かべる額入りの作品だけではなく、インスタレーションやコラージュ、映像など、さまざまな表現方法があることに気づかされる。天井高約7mを誇るヒカリエホールならではのスケール感のある展示も見どころだ。

以前「SUMAU」でも取り上げたオノデラユキも、写真という表現領域に挑戦する作家だ。ビー玉をカメラの中に入れて撮影したり、文字を被写体にしたり、巨大なコラージュを制作したり・・・。かつて誰かが着ていた服を、まるで人物のポートレートのように撮ったこの《古着のポートレート》は、個人の歴史やアイデンティティを服という物体に映しだす。
(関連記事:「写真の領域と可能性に挑む表現者、オノデラユキさんをパリに訪ねて」https://sumau.com/2021-n/article/161)

また、色彩豊かな作品で知られる蜷川実花は、本展ではモノクロの映像作品とプリントで登場する。おそらく美しい色の世界が広がっているだろう海の中の光とサンゴと魚たち。それが白黒で表現されることで、何か別の意味合いを私たちに提示しているように見えてくる。
目に見えないものを映しだす、「記録と記憶」をめぐる冒険。
第2章では、写真に映しだされた光景が、見えていない他者の記憶や気配、意味合いを喚起する、そんな表現がテーマだ。展示される作家に共通するのは、歴史が個人の小さな記憶の集積であることを認識し、それらの小さな声に耳を傾けようとする姿勢。それは、歴史と現在をつなぎ止めようとする写真家の取り組みでもある。


自身の出身地である広島を、ステレオタイプな「平和都市」としてではなく、そこに生きる人と街の表情として描く藤岡亜弥。米国統治下の沖縄に生まれ、そこで生きる女性たちを被写体に作品を撮り続けた石川真生。そして、亡き母の残した衣類や口紅、被爆者の遺品に浮かび上がる記憶とその手触りを、静かに写真に収める石内都。それぞれの写真家が、留めておきたかった歴史と記憶、いまとのつながりに想いをめぐらせてみたい。

「女性」である、とはどういうことか。
あるがままの自分とは何だろう?この世の中では、どうしても女らしさや男らしさといった概念に物事が規定されがちだ。特に女性たちは、見られる対象として身をさらされ、自分の身体と向き合うことを余儀なくされる機会が多い。こうしたジェンダーや身体をめぐる問題を多角度から探る第3章。やなぎみわ、片山真理など、それぞれの写真家が、自分や女性という存在をどう見つめたのか、その切実な試みが垣間見える。


日常にひそむ小さな光をとらえ、可視化する写真家たち。
そして第4章は「『日常』をめぐる冒険—見過ごされた風景の中で」と題し、日常に目を凝らし、そこに新たな価値を見出す冒険的な創作を取り上げる。たとえば野口里佳は、日常や自分の周囲にある無数の小さな謎を探求し、作品を見るものの感覚を解き放つような表現を追求する。そして川内倫子は、光の粒子や水面の揺らぎといった、つい見過ごしてしまいそうな日常の断片に、ときに永遠に近い瞬間があることを発見する。生と死、始まりと終わりが、同じ一枚のうちに静かに同居している感覚が、ほかにはない作品模様を描き出す。


さらに展覧会のラストでは、女性写真家たちの足跡が年表で記されている。初めに語った男性優位の写真界によって隠れていた「もうひとつの写真史」を実感する瞬間だ。
まだまだここに紹介しきれなかった写真家たちのまなざしと冒険を、展覧会で見ることができる。会場を出る頃には、おそらく写真に対するイメージも、より豊かで深いものになっているに違いない。そしてきっと幾人かの作家の「まなざし」が、観る人の感覚と呼応して、新たな世界の見え方を教えてくれることだろう。
会期中は、新たな出会いや対話を生み出す連動イベントも、渋谷を中心に多数開催される。この夏は、「写真」という、とても身近でありながら、深く、未知の領域をもったメディアについて、いろいろと考え、体験してみるのもいいだろう。
まなざしの奇跡 日本女性写真家の冒険
会場:ヒカリエホール(渋谷ヒカリエ9F)
会期:2026年8月26日(水)まで (会期中無休)
開館時間:10:00–19:00(最終入場は18:30まで)
詳しくは展覧会ウェブサイトへ
https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/26_kiseki/
出展作家(50音順): 石内都/石川真生/今井壽惠/岩根愛/潮田登久子/岡上淑子/岡部桃/オノデラユキ/片山真理/ 川内倫子/小松浩子/今道子/澤田知子/志賀理江子/杉浦邦恵/多和田有希/常盤とよ子/ 長島有里枝/楢橋朝子/西村多美子/蜷川実花/野口里佳/野村佐紀子/原美樹子/ヒロミックス/ 藤岡亜弥/やなぎみわ/山沢栄子/米田知子/渡辺眸 島隆(※特別出品)
※記載情報は変更される場合があります。
※最新情報は公式サイトをご覧ください。
(文)杉浦岳史/文筆家、アートナビゲーター
広告コピーライターとして活動しながら2009年に渡仏。美術史やアートマネジメントを学ぶパリ芸術高等学院(IESA)を修了。パリで独自の展示企画やコーディネートに携わる。現在は京都を拠点に、15年間のパリ滞在をもとにポッドキャスト配信、アート・工芸の学びと実践の場「Curiozika」の運営に携わる。
Instagram : @paritore_podcast














