丸の内の三菱一号館美術館に、
当時のパリのエスプリがやってきた。
いつの時代も、文化や芸術が育まれる背景には、それを生みだす「場」があった。古代ギリシャで人々が議論を交わした「アゴラ(広場)」、古代ローマの公衆浴場「テルマエ」、あるいはロンドンのパブ・・・。そして、19世紀のパリでは、「カフェ」がその役割を果たし、それまでにない新しい芸術を生みだしていく原動力になった。

私たちはカフェを、一人で過ごしたり、友人と静かに語らう場所など、どちらかといえば「寛ぐ場」としてイメージすることが多いかもしれない。しかし、19世紀パリのカフェはだいぶ景色が違っていたようだ。そこは芸術家、詩人、美術批評家、ジャーナリストたちが集まり、グラスを片手に酒を飲み、タバコをくゆらせながらああでもない、こうでもないと意見をぶつけ合い、そして新しい文化を生みだしていく「議論と創造の現場」だった。議論好きなフランス人のこと、さぞかし賑やかで活気があったことだろう。今でも、パリのカフェはどこか当時の雰囲気を残しているように思える。
クラシックな絵画のしきたりから解き放たれ、次から次へと新しい絵画のスタイルが生まれていった近代アートのシーン。作品だけを見るのではなく、それを生みだしたこうしたカフェと文化の関係に焦点を当てた展覧会「“カフェ”に集う芸術家——印象派からゴッホ、ロートレック、ピカソまで」が、東京・丸の内の三菱一号館美術館で開催されている。

展覧会では、いわゆるカフェだけでなく、歌とダンスのショーで沸かせた「カフェ・コンセール」、あるいは演劇や作品の展示や詩の朗読なども行われ、総合芸術の実験場になった「キャバレー」なども登場する。当時、モンマルトル地区を中心に、こうした店が続々と誕生。芸術家や文化人たちはその雰囲気に酔いしれ、新しいアートを次々と生みだす土壌が育まれた。
マネ、ゴッホ、ロートレック、ピカソなど巨匠たちの作品に加え、ふだんは見られない貴重な画家も含めた油彩、リトグラフなど約130点が集結。なぜカフェは「近代アートの揺りかご」になったのか、という視点で見ていくと、これまで見慣れたように感じていた作品も、また違って見えてくることだろう。
古い「サロン」を見限って、
カフェやキャバレーに集まった画家たち。
19世紀フランスの美術界には、アカデミーとサロン(官展)という絵画の権威と呼べる存在があった。ここで認められなければ一人前の画家とはいえない。そんな空気が漂っていた。しかし、そこで「良い」とされる絵画は、ギリシャ神話のような古典的な物語を描いたり、写実的で遠近法をきちんと守った「正統派」のものばかり。若い画家たちは、いま自分たちが生きているパリの風景や人々の生きざまを新しいスタイルで描きたいと、うずうずした気持ちを抱いてキャンバスに向かい、カフェに集まってはその想いを共有しあっていた。

代表的なのが、若きモネやルノワールが、その先輩格のマネを慕って集まったパリのモンマルトル地区にあった「カフェ・ゲルボワ」だった。ここでの出会いと議論が、1874年の自主展覧会開催で幕をあけた「印象派」のブームにつながったことはよく知られている。以来、モンマルトルのカフェやキャバレーには、当時のパリで流行の最先端をゆく画壇、文壇の先駆者たちが集まって熱気を生みだしていくようになる。ルノワールの《パリ、トリニテ広場》(1875年頃)は、都市の大改造で生まれた大通りを行き交う人々と、この時代の街の空気を描きたいという彼の想いが伝わる作品といえるだろう。

こうした店のひとつが、エドガー・アラン・ポーの短編小説にインスピレーションを受けたという「黒猫」を名前に冠した〈シャ・ノワール(Chat Noir)〉だった。そこは、演劇や詩の朗読、作品の展示といった芸術的な活動をフィーチャーした初めてのキャバレー。画家のリヴィエールが考案した「影絵芝居」が人気を博し、ポスターを手がけたスタンランは、その後「猫の画家」として知られていく。そしてボナール、ヴァロットンといったナビ派の画家たちは、平面的なシルエットを強調したこの影絵芝居に影響を受けた作品で新しいスタイルを生みだしていった。

この当時のモンマルトルは、パリに編入されたばかりで、まだ郊外のイメージが色濃く残っていた。丘の上には粉挽きのための風車があって、その敷地がガンゲットという居酒屋のような場所になり、やがて屋外ダンスホール〈ムーラン・ド・ラ・ガレット〉になって、文化と混沌が入り混じった独特の雰囲気をつくっていく。
この頃、パリに移り、モンマルトルに住みはじめたゴッホが1886年に描いた風景は、この〈ムーラン・ド・ラ・ガレット〉界隈の明るく牧歌的な様子を伝えている。

ロートレックらが描く、
ダンスホールやキャバレーの人間模様。
そんなモンマルトルも、夜になると活気を求めてパリっ子たちが集まり、そこに芸術家や文化人、そして踊り子たちが混じって賑わいを見せ始める。その様子を現場で描きつづけたのがアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックだった。ほかにも、ジュール・シェレやテオフィル・アレクサンドル・スタンランなどの画家が、カフェ・コンセールやキャバレーへの没入体験から生みだした作品からは、まぎれもない当時の空気感が伝わってくる。スピード感や躍動感、華やかさ、そして歓びや悲哀のふとした一瞬を描く手法なども、カフェやキャバレーという場が生みだしたスタイルと言っていいだろう。



あのピカソの人生を変えたのも、
パリのカフェ文化。
この時代になると、パリはすでにヨーロッパにおける憧れの都。モンマルトルの活気を伝え聞いた芸術家などがここを目指し、スペイン・バルセロナからはラモン・カザス、サンティアゴ・ルシニョルなどの画家がやってきて、このガンゲットに間借りしていたという。

このカザスとルシニョル、そしてもう二人の芸術家は、母国にも同じ空気を生みだそうと、バルセロナに〈クアトラ・ガッツ(Quatre Gatz、四匹の猫)〉をオープンした。そして、この店に通い、カザスたちの展示を見たのが、あのパブロ・ピカソだった。ピカソは、大いに刺激を受け、本場のモンマルトルに憧れ、パリに行く決意を固めることになる。
彼は1900年に初めてパリを訪れ、数ヶ月間滞在する。ドガ、ロートレック、ルノワールなど、その頃すでに人気を集めていた画家たちに影響を受けつつ、ロートレックの描く《エグランティーヌ嬢一座》のような〈フレンチカンカン〉に象徴される全盛期のパリを満喫する。

しかしその喧噪のなかで、ピカソは同時に異国がゆえの寂しさと貧しさを味わうことになった。ロートレックにも似たフレンチカンカンの情景を描いた作品もあるが、パリで彼が感じた悲哀を映したかのような独自の表現も生みだしていく。いわゆるピカソの「青の時代」の始まりだ。
残念ながら、著作権の都合上、ピカソの作品はこちらでは公開できないが、1902年の《酒場の二人の女》や1900年の《通りの光景》をはじめとする展示作品は、ぜひとも会場で見てほしい。その後のピカソ作品とはまったく違った、パリに住みはじめた時期の彼の心情が感じられる表現には、私たちの心を打つ力強さがある。

このラモン・カザスの作品《マドレーヌ》は、この展覧会の象徴的存在だ。
モデルとなった女性は通称マドレーヌ、本名はルイーズ・オルタンス・ボワギヨームで、モンマルトルの〈ムーラン・ド・ラ・ギャレット〉に出入りしていた実在の人物だという。ほかにもロートレックやルシニョルの作品にもモデルとして登場している。「カフェで一人、酒と煙草を嗜む女性」という当時としては少し挑発的な姿、誰かを待っているかのような仕草は、カフェという群衆のなかの孤独も感じさせる。上半身をテーブルに傾けさせ、顔は正面を向きながらも、視線は画面左へと流れ、私たちが見えない何かを見つめさせる。実は、身体の各部が異なる方向を向くこの姿勢は、絵画を魅力的に見せる手法とされ、少し謎めいた雰囲気とともに、観客の視線を惹きつける。彼女が見つめているのは何か・・・この展覧会の作品たちを観たあとなら、いろいろな想像が頭をめぐるに違いない。
展覧会の舞台となる三菱一号館美術館は、パリのカフェが全盛だった1894年に建設された赤煉瓦造りの三菱一号館を、可能な限り忠実に復元したという建物。思い思いに、時空を超えた旅をぜひ展覧会で愉しんでみたい。
“カフェ”に集う芸術家 — 印象派からゴッホ、ロートレック、ピカソまで
会場:三菱一号館美術館(東京・丸の内)
会期:2026年9月23日(水・祝)まで
開館時間:10:00–18:00(ただし、金曜日、第2水曜日、7/25(土)、9/19(土)〜9/23(水・祝)は20時まで開館)※入館は閉館時間の30分前まで
休館日:祝日を除く月曜日 ただしトークフリーデー[6/29、 7/27、 8/31]は開館
詳しくは展覧会ウェブサイトへ
※記載情報は変更される場合があります。
※最新情報は公式サイトをご覧ください。
(文)杉浦岳史/文筆家、アートナビゲーター
広告コピーライターとして活動しながら2009年に渡仏。美術史やアートマネジメントを学ぶパリ芸術高等学院(IESA)を修了。パリで独自の展示企画やコーディネートに携わる。現在は京都を拠点に、15年間のパリ滞在をもとにポッドキャスト配信、アート・工芸の学びと実践の場「Curiozika」の運営に携わる。
Instagram : @paritore_podcast














