9歳で箏に出会い、19歳でメジャーデビュー。伝統楽器である箏の魅力を存分に味わえるホールでのコンサートはもちろん、箏奏者では初となるブルーノート東京でのライブ開催、サマーソニック出演など、若き実力者として飛躍し続けるLEOさん。

箏との出会いから音楽へかける思い、そしてこれからのことまで、話をお聞きしました。

自分のアイデンティティを補強してくれる楽器

――箏をはじめたきっかけを教えてください。

父がアメリカ人、母が日本人のミックスということもあり、インターナショナルスクールに通っていました。その学校が少し特殊で、一般的な小学校の音楽の授業でリコーダーを習うのと同じ感覚で箏を習うんです。授業で箏と出会ったのが小学4年生の時。両親が若い頃に離婚していて家庭では日本語で会話をしていたので、英語での授業についていけず、自分の感情や意思表示がうまくできない時期でもありました。そんなタイミングでの出会いで、言葉以外で人とつながることができると感じて、箏にのめり込んでいったんです。特にミックスだから日本人としてのアイデンティティを補強するようなイメージもあったのかもしれません。学校で習ってすぐに母に頼んで練習用の箏を買ってもらいました。そこから毎日7~8時間は練習していたと思います。スポーツやゲームをするぐらいのテンションでしたね。勉強が好きではなかったので、逃げる口実でもありました。長時間ゲームをしていたら親に叱られますが、箏を弾いていると「やめなさい」とは言えないじゃないですか(笑)。

――プロを意識しはじめたのはいつ頃でしょうか。

中学生の時に学校の先生で師匠でもある箏の師範のカーティス・パターソン先生のすすめで出場した「全国小中学生箏曲コンクール」でありがたいことにいい成績を取ることができたんです。そこでちょっと勘違いしちゃって(笑)。夢としてプロになれるといいな、と考え始めたんです。

その想いが強くなって、中学3年生の時に音楽大学に行きたいと親に切り出しました。

もちろん親は心配もあって反対していました。そんな甘い世界じゃないでしょう、と。

でもその後16歳の時に熊本の「全国邦楽コンクール」という大人も出場するコンクールで最優秀賞を獲得できて、レコード会社の方から声がかかり、一気にプロになる道筋が見えたんです。そこから少しずつ親も応援してくれるようになったんですけれども、プロになっていいよというよりは、とりあえず大学で音楽を学ぶことを許してくれて、卒業までに音楽で食べていける目処が立たなければ実家のビジネスを継いでね、という感じでした。そういったタイムリミットがあったからこそ、プロになるためのオリジナリティとかユニークさについて、早くから考えていたのかなと思います。

――順風満帆にも聞こえますが、苦労されたことはありましたか?

これまで隠していたんですけど、実は大学を中退しているんです。英語には敬語の文化はないし、インターナショナルスクールには上下関係はあまりなくて、先生によっては下の名前で呼んでもいいよ、という感じでした。そういう環境から打って変わって、通っていた大学の邦楽科は当時上下関係がとても厳しかったんです。1年生は自分の授業が午後だったとしても誰よりも早く学校に行って、先輩たちが練習する部屋の掃除をして先生が到着したらエレベーターの前で荷物を持って練習が始まったらまず先生にお茶を出して…と。練習の後も最後まで残って、片付けをしていました。音楽に集中したいのに、音楽じゃないところに削がれるような感じがして…大きなストレスが続いて、最終的には中退しました。それが一番の挫折なんじゃないかと思います。でも社会に出た今、振り返ると礼儀作法を教わったのはとても良い経験ですし、学校へ行く選択をして良かったと思っています。

――そういった大変な思いをされながらも、箏を続けられてきたのですね。箏の魅力はどういったところに感じていますか?

箏は奈良時代に中国から日本に伝わり、そこから大幅な変化はしていません。シンプルな楽器だからこそ、すごく素直な音色で、鏡のように演奏者の人柄が投影される気がします。また、他の西洋の楽器に比べると音は小さいですし余韻が短く、小さな世界ではあるんですけど、その中に無限の宇宙が広がっているような感覚があるんです。楽器は昔のまま、その中で先人たちが少しのニュアンスの違いにもこだわって、誰も気づかないようなことの積み重ねで表情を作っていく…そういった日本人特有の詫び寂びに通じる美的感覚がかたちになったような楽器です。とはいえ、近年はエレキ化して弾いたりすることもありますが、そもそもの魅力はそこかなと思います。

伝統を守ること、革新して壊すことの両方が必要

――ご自身が演奏するときに大切にされていることは何でしょうか。

本当に箏らしい古典の音楽ももちろん好きなんですけれども、ブルーノートでのライブや大型フェスのサマーソニックに出演するなど、新しいことに挑戦することにエネルギーを注いでいます。よく師匠が「伝統は革新から生まれていた」と言っていたのですが、今伝統として残っているもの全てが当時の最先端で革新的だったものなんですよね。伝統を守る要素と、革新して壊していく要素、両方が必要だと思うんです。今の20代の僕の役割としては、想像もつかないような新しいコンテキストで箏を演奏して革新を積み重ねていくことではないかという思いを持っています。

ブルーノートでのライブの様子/Photo by Yuka Yamaji

――アーティスト活動を続ける中での喜びはどういうところにありますか?

箏の音楽やクラシックももちろん好きなんですけれども、趣味で聴いているのはエレクトロやプログレッシブ・ロック、ジャズなどの音楽が多いんです。そういうジャンルと箏って交わらないなと思っていたし、交わらせている人も他にあまりいないんですけれども、最近になって自分の経験も重ね、好きなジャンルのミュージシャンの方とコラボできるようになってきました。そういった今までにない新しい箏の音楽をコンサートで披露して、自分の音楽でお客さんからいいリアクションがもらえるのが一番楽しいですね。

音楽のジャンルを越えて海外とのつながりを深めたい

――プライベートのお話も聞かせてください。普段、ご自宅ではどのように過ごされることが多いですか?

もともとインドア派で、料理も好きですし、寝室で猫と戯れながらYouTubeとかアニメを見て…そんな感じですね。ゆっくりしていることが多いです。

――お部屋で過ごすことが多いのですね。インテリアのこだわりがあれば教えてください。

もうすぐ引っ越す予定なんですけれども、自分の職業に合わせた和の雰囲気は取り入れたいですね。もともと箏って正座で弾く楽器なんですが、家で練習するときは正座だと膝が痛くなっちゃうので、あぐら座りで演奏するんです。なので、床に近いところで生活することが多くて、その方が自分としても結構リラックスができます。ソファーや机も重心低めのもので揃えて、自分が一番リラックスできるような空間にしたいなというふうには考えています。

――最後に今後の展望について教えてください。

アルバムを制作中なんですが今までのアルバムと趣向を変えて、和楽器とは全く別ジャンルの僕の好きなアーティストとコラボレーションした楽曲がたくさん入ったアルバムになっています。これをきっかけに本当に自分の音楽の世界をもっと広げて海外でも活動をしていきたいですね。自分としては、箏の奏者というより、たまたま箏が弾けるエレクトロやジャズが好きな音楽家みたいなテンションでいます。そんな感じで、箏とほかのジャンルの境目を作らず、いろんな人とのつながりが増えていけばいいなと思っています。

LEOさん

1998年横浜生まれ。本名・今野玲央。音楽教師であり箏曲家のカーティス・パターソン氏の指導を受け、のちに箏曲家 沢井一恵氏に師事。16歳でくまもと全国邦楽コンクール史上最年少 最優秀賞・文部科学大臣賞受賞。2017年19歳でメジャーデビュー。同年、東京藝術大学に入学。 MBS「情熱大陸」、テレビ朝日「題名のない音楽会」「徹子の部屋」など多くのメディアに出演。セバスティアン・ヴァイグレ、井上道義、秋山和慶、沖澤のどかをはじめとした指揮者や、読売日本交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、京都市交響楽団、神奈川フィルハーモニー管弦楽団と共演しソリストを務める。 2021年、藤倉大委嘱新作の箏協奏曲を鈴木優人指揮・読売日本交響楽団との共演で世界初演。2022年、箏奏者として初めてブルーノート東京でライブを開催。また、同年サマーソニックに異例の出演を果たしたことでも話題を集めた。出光音楽賞、神奈川文化賞未来賞、横浜文化賞 文化・芸術奨励賞受賞。

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