現実と夢のあいだのような、まるでアート作品の中に入り込むような感覚といえばいいだろうか。訪れたのは、京都市京セラ美術館で開催中の「蜷川実花展 with EiM 彼岸の光、此岸の影」。展示室に入ったとたんに、今までいた現実の自分の世界を忘れて、時といのちの流れを感じる京都の街並みからインスピレーションを受けたというパラレルワールドへと引きこまれる。1月11日のオープン以来、そのフォトジェニックな世界がすでにSNS上でも話題になり、多くの観客を集めている。

蜷川実花(写真家・映画監督)

アーティストの蜷川実花は、これまでも様々な作品に「虚構と現実」「こちら側とあちら側」「光と影」といった対比する世界をコンセプトに表現してきたという。主に写真家、映像作家として知られてきた彼女だが、ここ数年はアート作品の制作に一層力を入れ、大規模な展覧会を企画・開催してきた。とりわけ彼女を中心に、データサイエンティストの宮田裕章など各分野のスペシャリストによるクリエイティブチームEiM(エイム)として挑むプロジェクトは2022年から日本各地で展覧会を企画。今回も米津玄師、King GnuなどのMVに携わった照明監督の上野甲子朗などが加わり、日常の中にある光と影にフォーカスした“光彩色”と“影彩色”で空間を彩る。

宮田裕章(データサイエンティスト・慶応大学教授)

展覧会を見る前に知っておきたいのは、ここで目にする作品のイメージはすべて現実の写真と映像がもとになっているということ。世の中にはもう区別できないほどたくさんのCGが使用されているが、ここにあるのは、むしろ私たちの日常の延長線上にある何気ない場所で撮影されたものばかりだ。

蜷川実花の写真や映像といえば、代表的な「花」のモチーフなど、私たちが見ているのと同じ現実を被写体にしながらまったく違った幻想的な世界を生みだす作品のイメージが思い出される。今回の展示でも、鑑賞者は現実に存在するエレメントから生みだされた異界で、目くるめく体験をすることになる。

Breathing of Lives(展覧会風景)

序盤に出会う「Breathing of Lives」は、私たちを現実から異界へと誘う作品。無数に配置された水槽に映像を映しだし、そのゆらめく水面が幻想的な光景を創りだす。京都の風景を取り入れた映像には、どこか見たことのある場所やそこにいる人々の姿を浮かび上がらせながらも、まったく違った感覚で私たちを包み、幻想へ連れ出す。京都・東山には、かつて亡くなった人を見送る、現世とあの世の境目といわれた「六道(ろくどう)の辻」という場所があるが、作品はあたかもそれの現代的な装置として機能しているかのようだ。

Flowers of the Beyond(展覧会風景)

一面に広がる深紅の彼岸花で構成されるインスタレーション「Flowers of the Beyond」は、まさに異界へのプロローグ。彼岸花は日本で古くから「彼岸」という言葉と結びついて生と死の間を漂う象徴的な存在とされてきた花だ。今回の展覧会ではこの彼岸花が全体を包むストーリーテラーとして位置づけられているという。

Liberation and Obsession(展覧会風景)

「Liberation and Obsession」と名づけられたのは、アーティスト蜷川実花の内面からにじみ出る感情の痕跡からなるインスタレーション。展覧会に合わせて開催された講演会で彼女は、写真や映像の作品と向き合っていると、ときどき無性に小さい自分の世界のものを作りたくなる瞬間が出てくるのだと語っていた。彼女自身の手で作られた数々の小さなオブジェには、確かに執着や情熱、葛藤がむき出しになったような強さがある。同じ異界でもここは、蜷川実花という人間の内面という世界を見るようで興味深い。

Silence Between Glimmers(展覧会風景)

6枚のガラスパネルに花畑や蝶、桜、海中などの光景を映し、それと対をなす6枚のオーロラフィルターが多様な光の表情を映しだして空間全体をゆらぎで包み込む「Silence Between Glimmers」。この作品は見る私たちの心の中にある記憶や感情と呼応して、自分と向き合うような感覚へと誘う。光とゆらめきの中にゆっくりと身を置きたいシーンだ。

Whispers of Light, Dream of Color(展覧会風景)

その次は1500本以上にもおよぶクリスタルガーランド(線状に連なる飾り)が織りなす圧倒的な光と色彩の空間体験。一見すると宝石のような粒が浮遊しているかのようだが、よく見れば蝶や星、ハート、目玉など、さまざまなモチーフが散りばめられている。

これもまた蜷川実花本人がモチーフも買い付けて、1年がかりで制作したものだという。まるで子供の頃に小さな宝箱の中に大切にしまっておいたようなキラキラしたものたち。誰かが大切にした無数の記憶のようなものを通じて、私たち鑑賞者も、自分の感情や記憶を呼び起こす。アーティストはこれを「浮遊する霊魂」とも語ったが、そう考えると、眩しい光に向かっていく無数のいのち、死者が残していった痕跡のようにも見えてくる。

深淵に宿る、彼岸の夢(展覧会風景)

光の粒子に包まれた中を通り過ぎた私たちは、異界の旅の終着点へと近づいていく。「深淵に宿る、彼岸の夢」と名づけられた空間で、まず私たちは黄泉の国(よみのくに)の奥底か天上の世界のような花が咲きみだれる空間に出会う。まさに蜷川ワールドを再現したかのような空間は、彼女をはじめEiMのスタッフが展覧会オープンの直前まで徹底的にディテールを調整して完成にこぎ着けたのだという。

深淵に宿る、彼岸の夢(展覧会風景)

そのとなりは「奈落」と呼ばれる、4面をLEDディスプレイ、上下が鏡で構成された空間。天と地が抜けるような異空間の中で、鑑賞者は落ちていくのか、昇っていくのかわからなくなるような感覚におちいる。それはどこか死を感じさせる体験と言えそうだが、その深淵の先で私たちは何を見るのか。やがて展覧会が終わり、鑑賞者は地上の現実に引き戻されていく。

ところで、この展覧会は全体を通して個人利用に限った写真撮影が可能だ。蜷川実花も自身のSNSで随時発信を行っているが、観客がSNSでアップする画像や映像には、彼ら制作側とはまったく違った新鮮な視点があって刺激やフィードバックがあると語る。とはいえ鑑賞中は写真撮影だけに集中してしまうことなく、作品を五感で感じ、静かに自分の感情と向き合うことを忘れないようにしたい。なぜなら、この展覧会はイメージの一つ一つや光の効果、蜷川自身による手の込んだオブジェ、隙のない花の配置といった細部にこそ思いが込められているからだ。

冬から春にかけても、都市と自然が美しく多様な景色を見せる京都。その現実の風景とそこからインスピレーションを受けて生まれた百花繚乱の異界の光景をぜひ対比して見てみたい展覧会だ。

京都市京セラ美術館外観

展覧会「蜷川実花展 with EiM 彼岸の光、此岸の影」

会場:京都市京セラ美術館 新館 東山キューブ

(京都市左京区岡崎円勝寺町124)

会期:2025年3月30日(日)まで

開館時間:10:00〜18:00(最終入場は17:30まで)

休館日:月曜日(祝・休日の場合は開館)

詳しくは美術館ウェブサイトへ

https://kyotocity-kyocera.museum/

※記載情報は変更される場合があります。

※最新情報は展覧会公式サイトをご覧ください。

(文・写真)杉浦岳史

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