フランスの暮らしとデザインを紹介する連載の15回目は、日本酒メーカーの輸入販売営業を経て、現在は日本のウイスキーの欧州担当を務める飯田薫るさんと、アーティストの夫、オヴィッド・ウマンさん、13歳の息子さんの住まいをご紹介します。

飯田薫る/1990年に渡仏。日本では会計コンサルタント会社に勤務。フランスでは日系通信社勤務後、日本酒メーカーの輸入販売営業に15年携わり、現在は日本のウイスキーの欧州担当として活動。
オヴィッド・ウマン/ルーマニア・ファガラシュ生まれ。幼少期から芸術に親しみ、1980年に初個展、1981年にプラハ国際短編映画祭で金賞を受賞。1983年に亡命し、1984年に渡米。神学・哲学・ヘブライ語を学んだ後、アメリカで現代美術家として活動し、哲学的思考と東欧的背景を融合した概念的作品を制作。映像・パフォーマンス・インスタレーションなど多様な表現で国内外の展覧会に参加した。2005年にフランスへ移住し、翌年に兵庫・安泰寺で小堂を建てるプロジェクトを実施。現在はフランス・バニョレを拠点に、建築や内装デザイン、アート制作を続けている。
1階のアトリエ。アーティストであるオヴィッドさんの仕事場で、かつてはプラスチックのネームプレートの工場だった場所を改装。

 パリの東に隣接するバニョレ市。飯田薫るさん、オヴィッド・ウマンさん一家が暮らすのは、100年以上前に建てられた元工場。プラスチックのネームプレート加工工場だった敷地は850㎡あり、中庭を挟んでコの字型に建物が並ぶ。通りに面した建物は元大家さんの住居と工場時代の事務所、右翼が工場、その奥は元従業員用住居だった家が並ぶ。左翼の一部も大家さんの元住居で、その奥は倉庫として利用している。

キッチンにあるカウンターのデザインは、イギリスの建築家・デザイナーで、ミニマリズム建築で世界的に知られるジョン・ポーソンの作品からアイディアを得た。
鍋などに水を入れるために設置した蛇口。「一度も使ったことがありません(笑)」(飯田さん)

 この家はもともと、オヴィッドさんが2005年にアメリカからフランスに移住した際、アトリエとして使っていた場所。2006年に兵庫の安泰寺にお堂を立てるため、1年日本に滞在し、2007年にフランスに戻ってから、1年をかけて改装。工場だった場所にアトリエと住居を作り上げた。2010年、飯田さんは彼と住むためにここに引っ越してきたという。

 「アーティストで建築や内装デザインも手がける夫は、自分で何でもできるのです。この家にはいろいろなところにアイディアが隠れていて、イギリス人の建築家、ジョン・ポーソンに影響を受けたピュアなデザインが特徴です」と飯田さん。

引き出しには取手がなく、押して引き出すタイプ。上段には日本で購入した包丁などを収納。

 家の設計でこだわったのは、凸部や取手のないデザイン。引き出しは押して引き出すタイプで、コンセントも壁の中に収納されている。

左・キッチン上部に設置したシャンパン色のライトが印象的。長さが2.8mあるオーダーメードで、空間を優雅に照らす。右・上階の寝室からキッチンが一望できる。

 住居の1階はキッチンとオヴィッドさんのアトリエ。2階の寝室は後から付け足したスペースで、下の階へ光が入るよう、床の一部に車の撮影時に使った床用強化ガラスをつけた。10人がかりで設置したというガラスは480kgあり、30人が乗っても大丈夫な強度があり、子供は上階にいながら、親が下で何をしているか見ることができるため、家の構造を楽しんでいるという。

 「この家で気に入っている点は、どこにいても家族が一緒に過ごせること。昔、家族がずっと台所で過ごしていた、そんな温かいイメージです」

左・寝室のソファ。通称クレオパトラと呼ばれ、イギリス人デザイナーのジェフリー・ハーコートが、オランダの家具ブランド「アルティフォート」から発表した作品。中・イングマル・レッリングがデザインしたシエスタ・チェア。ノルウェーの「ウェストノファ・ファニチャー」社製。蚤の市で見つけたサイドテーブルは1930年代のアール・デコ様式。右・寝室のトイレ。十字架のオブジェを飾る。

 2階の寝室は天窓があり、ある日の嵐でプラスチックシートの仮窓が枠ごと飛んでいってしまい、部屋に雨が降り込んで大変なことになったというエピソードも。その後設置した2m×2mの特注ガラスの窓は開け閉めができず、風が通らないという不便さもあるが、それも含めて愛着のある住まいだ。

左・オヴィッドさんが昔作ったテーブル。天板はスライド式で、中に物が収納できる。右・壁を1週間研磨したバスルーム。

 内装のコンセプトはピュアでミニマルでありながら、心が入っている空間。床も自分たちで貼った。イタリア式の浴室の壁は3人で1週間磨いたというこだわりぶり。クォーツポリ(研磨仕上げのクォーツストーン)という素材で熱・傷・汚れに強く、樹脂を含むため水を吸わず、カビやシミがつきにくい。色ムラが少ない均質な面が特徴で、研磨仕上げにより光沢が出て清掃しやすい。トラバーチンという淡いベージュ系の、柔らかく自然なサンドカラーに仕上げた。

左・寝室に上がる階段下のスペースを活用し、冷蔵庫と食品のストックなどを収納。右・壁にオブジェを飾るディスプレイコーナーを設けた。

 階段の下のスペースには冷蔵庫と食料品のストックを収納。ライトは全て上から光が注ぐように設計。目に優しい照明を考慮したという。

左・100年以上前に造られた階段。右・13歳の息子の部屋は元母屋の2階にある。

 通りに面した元母屋は古い建物で、2階に息子さんの部屋がある。「工場時代に事務所として使われた場所。ここは古いままで、改装した住居部分とは雰囲気が異なります」

緑豊かな庭には野菜やハーブが育つ。「大家さんの生前、許可を得て木を刈り取り、庭に菜園を作りました。トマトは野生。キュウリも大きく育っています」

 飯田さんは1990年からフランスに在住。日系通信社勤務の際に、メゾン・エ・オブジェ(パリ郊外で年2回行われる世界最大級のインテリア&デザインの国際見本市)の仕事で、展示会場にクライアントのブース設置をする際、設計やデザインを担当したオヴィッドさんと知り合い、交際がスタートした。

 2012年、飯田さんは44歳で出産。「同僚が出産をし病院に行った時に赤ちゃんって可愛いなと思いました。そうしたら自然に妊娠をしたのです。不思議なものです」出産の前日まで仕事をしていたが、2週間早く生まれたのに4kgもあり、0歳児の服が入らなかったので、2〜3ヶ月の子供服を慌てて買ったという。

 

工場時代の従業員の住宅。一部は賃貸しているが、まだ工事が必要なスペースも多い。

 2010年に飯田さんが移り住んできた際、家の一部を購入し、2019年に残りを手に入れた。「大家さんが亡くなった後にこの場所にビルが立つと聞き、『それだったら買おう』と決めました」

 広大な工場跡の半分をアトリエ、半分を住居にしたため「あまりにも広くて掃除が大変」と飯田さんはもらす。一度家政婦さんに掃除を頼んだことがあったが、キッチンのシルバーの部分を傷つけられたため、他人には掃除を頼まないことにしたそうだ。

 

オヴィッドさんの倉庫。額は色々な場所で買ったという。「彼は古いものを集めるのが好き。この倉庫はまるでアリババの洞窟みたいです」

「家具はオヴィッドが選びます。私が選ぶものは却下されてしまうので(笑)。この家で気に入らないところは、美観を優先して不便なところもあること。キッチンのカウンターにある蛇口が動かなかったり、一度も使ったことがない蛇口があったり。また、カウンターの下に足が入らないので、食事の際、足の収まりが悪く、食べにくいのです」と笑いながら語る飯田さん。

 「いつか、アトリエにコンクリートを流して大きなリビングにしたいですね。あとは下に足が入って座りやすいテーブルを作りたいです」

敷地奥のスペースはコンポストとして利用。「生ゴミに入っていたカボチャの種が芽吹いて大きく育ち、実がなりました」

 オヴィッドさんのアーティストとしての感性と建築家としての技術が融合したこの住まいは、古い工場を現代の生活空間へと見事に生まれ変わらせた、まさに芸術作品といえる空間だ。歴史を持つ建物に新たな息吹を吹き込み、これからも家族の物語を紡いでいくであろう。

撮影/齋藤順子(Yolliko Saito)

(文)木戸 美由紀/Miyuki Kido文筆家

女性誌編集職を経て、2002年からパリに在住。フランスを拠点に日本のメディアへの寄稿、撮影コーディネイターとして活動中。株式会社みゆき堂代表。マガジンハウスの月刊誌「アンド プレミアム」に「木戸美由紀のパリところどころ案内」を連載中。

Instagram:@kidoppifr

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