超高音域のメロディを華やかな歌声で彩るコロラトゥーラ・ソプラノ歌手、田中彩子さん。ウィーンを拠点に、各国でコンサートに出演し世界を魅了し続けています。前回（https://sumau.com/2025-n/article/529）に引き続き、田中さんが暮らすウィーンから、コラムをご寄稿いただきました。
ウィーンの夏は、まるで街全体がゆっくりと深呼吸を始めるような、特別な季節です。6月に入ると、街の空気がふわりと軽くなり、人々はバカンスに向けて、どこか浮き足立ち始めます。早い人は6月末から休暇に出かけ、9月までは街全体がお休みモード。音楽家たちもオフシーズンに入ります。
こちらには基本的に冷房がありません。連日35度を超えることもありますが、外の風だけで、意外と快適に過ごせます。多くのお店は窓を全開にし、外気を取り込みながら営業しています。風が抜ける爽やかな空間で過ごす時間は、自然とともにある暮らしを思い出させてくれます。
そんな夏のウィーンで、私がとても好きなのが「アルテ・ドナウ（旧ドナウ川）」で過ごす時間です。日中はそれぞれが用事や仕事をしつつも、夕方になると友人たちと川辺に集まり、泳いだり、おしゃべりしたり。ひんやりとした水に飛び込むと、草や土、水の瑞々しい香りに包まれ、自分自身も水と一体になり、自然の一部になっていくような感覚が広がります。日が暮れるまでのんびりと過ごすのも良し、街からすぐの距離なので、さっと出かけてひと泳ぎしてからまた街に戻る、そんな気軽な楽しみ方もできます。
夏の間だけは、ザッハトルテやカフェ・メランジェに代わり、「片手で持てる幸福」がウィーンの夏を支配します。ウィーンのアイスクリーム。実は、意外に長い歴史を持っています。
19世紀後半、オーストリア＝ハンガリー帝国の時代。イタリアからやってきたジェラート職人たちが「Eissalon（アイスサロン）」と呼ばれる専門店を開き、カフェ文化と並ぶ、もうひとつの「甘い伝統」が始まりました。この街では、おしゃれな年配のご婦人も、スーツ姿の男性も老若男女問わず、アイスクリームを片手に街を歩いています。
21時を過ぎてもまだ明るいウィーンの夏。外の空気の中で食べるアイスは、ほんの少し自由で、幸福に満ちている気がします。だから私は夏になるといつも、皆と同じようにウィーンの街角でアイスを食べます。
すぐに溶けてしまう、ひんやりと甘いアイスクリームのその一瞬は、まるでウィーンの短い夏そのものです。
もう一つ、この季節ならではの楽しみといえば、スーパーや市場に並ぶ色鮮やかな野菜やフルーツたち。初夏のホワイトアスパラガス、あんず、平べったい桃。見た目も味もエネルギーにあふれていて、料理をするのがとても楽しくなる時期です。
こうした季節の味覚を、オーストリアの白ワインを炭酸水で割った「Weißwein gespritzt（ヴァイスヴァイン・ゲシュプリッツト）」や、そこにエルダーフラワーシロップとミントを加えた「Hugo（フーゴ）」とともにいただくのも、夏の風物詩のひとつ。アルテ・ドナウの水に飛び込んだときに感じる、瑞々しい草や土の香りが、オーストリアワインからも感じられます。
グラスに立ち上る爽やかな香りとともに、ウィーンの夏は静かに、しかし確かに心をほぐしてくれるのです。
華やかさと静けさが共存するウィーンの夏。自然の中で季節の移ろいに耳を澄まし、時の流れをのんびりと味わいながら暮らす日々には、小さな“ときめき”がたくさん詰まっています。
田中 彩子
18 歳で単身ウィーンに留学。 22 歳でスイスベルン州立歌劇場にて同劇場日本人初、且つ
最年少でのソリスト·デビューを飾る。
その後ウィーンをはじめロンドン、パリ、ブエノス・アイレス等世界で活躍の場を広げてい
る。
ソプラノの中でもさらに高い音域のコロラトゥーラは透き通るような歌声が特徴 で「天使
の声」と称され、その歌声を操る数少ない一人。
2019 年 Newsweek 誌 「世界が尊敬する日本人 100」 に選出。アルゼンチン最優秀初演賞
受賞。イギリス BBC ミュージック・マガジンにて 5 つ星を受賞。
ブエノスアイレスのムジカ・クラシカマガジンの表紙を飾る。
《彼女の声は素晴らしいアジリティと本物の叙情的な美しさを持っている》
– イギリス ミュージックウェブ・インターナショナル
《田中は華麗なる鋭敏さと透明さを誇る声だ》
– アメリカン・レコードガイド
広島 AICJ 中学・高等学校理事長。
ウィーン在住。
オフィシャル HP：https://www.ayakotanakaofficial.com/
コンサート情報
MORIMOTO presents
田中彩子 ソプラノ・リサイタル 2025「Fantasy of Coloratura～ｺﾛﾗﾄｩｰﾗ・ﾌｧﾝﾀｼﾞｰ」
