イタリア・ヴェネツィア。海に浮かぶこの都は、かつて地中海に君臨する都市国家として名を馳せ、世界でも稀に見る栄華を極めた。今でも蒼く美しく広がる海と色とりどりの歴史的な建築、「カナル・グランデ(大運河)」をはじめとする大小の運河が縦横無尽に巡る唯一無二の風景は、多くの人々を惹きつけてやまない。

ヴェネツィアの象徴であるドゥカーレ宮殿とサンマルコ広場の鐘楼
カナル・グランデ(大運河)
ヴェネツィアの手織りベルベット工房「ルイジ・ベヴィラックア」

その歴史的地区の大運河に面した建物に、ヴェネツィアでたったひとつだけ残る手織りベルベット生地の工房「LUIGI BEVILACQUA ルイジ・ベヴィラックア」がある。「ベルベット」は「ビロード」とも呼ばれ、滑らかに起毛した柔らかで上質な手触りと美しい光沢がある織物。現代では世界で取り引きされるベルベットは機械織りがほとんどだが、伝統的な絹の手織りベルベットは大変な時間と手間をかけ、熟練された職人の手と木製の織り機で丁寧に作られる。その高貴なまでの質感と貴重さに、ヴァチカンをはじめイタリア各地の教会装飾、世界のセレブリティたち、そしてモードのトップブランドがここに注文を寄せてきた。

ルイジ・ベヴィラックアの工房では18世紀の木製織り機がいまも現役だ。

ここでヴェネツィアにおける工芸の歴史を少し振り返っておこう。この街に最初の繁栄をもたらしたのは貿易だった。絹糸や香辛料など、アジア、中東からの商品を海をつないでヨーロッパへと運び、反対にヨーロッパの金属製品や毛織物などを仕入れて東方へと運んだ。それが大航海時代にスペインやポルトガル、その後のオランダやイギリスによる海上貿易の発展で、ヴェネツィアはその存亡の危機を迎える。ヴェネツィア共和国としての独立は保っていたものの、地中海の覇者は凋落したかにみえた。

しかしヴェネツィアは、ガラスやレース、絹織物など精巧かつ洗練された工芸品を新たな産業とすることで復活を遂げる。そしてルネサンスの時代を迎えるとベッリーニ、ティツィアーノ、ティントレットなどヴェネツィア派の芸術家たちが活躍。文化大国としての栄華を手に入れたのだった。

ヴェネツィアの栄華を物語るティントレットの絵画が並んだスクオーラ・グランデ・ディ・サン・ロッコ教会

こうしたなか「ベヴィラックア家」も1499年に織物業を創業した。質も美しさも兼ねそなえたヴェネツィアの織物はヨーロッパを中心に羨望を集め、街が栄光の時代を謳歌した最盛期の17世紀には、数多くの手織りベルベット工房が島にあったという。ところがナポレオン・ボナパルトが率いるフランス軍の侵略で1797年にヴェネツィア共和国は終わりを迎え、このときに島にあるすべての工芸ギルド(職人組合)が閉鎖されてしまった。

それを復活させたのが「ルイジ・ベヴィラックア」だったのだ。ベルベットの工房を経営していたこの一族の末裔は18世紀に使われていた織り機を集め、それを使った絹織物の生産を1875年に本格的に再始動する。それ以来、伝統の技術を守り、現代まで脈々と受け継いできた。

大型の木製の織り機が薄暗がりの中にずらりと並び、そこに糸が縦横に張りめぐらされている光景は、どこか荘厳でさえある。静寂な工房で、職人が巧みな手さばきで織り機を操り、織り目を締める音がリズミカルに響く。

ベルベットの生地は、すべてが細い糸の集合体だ。生地を作る糸が巻かれたボビン(糸巻き)は、デザインによっては800個以上も必要になる。これを模様に合わせて配列し、織り機に設置するだけでも1ヶ月ほどかかるという。

下にある糸巻き(ボビン)から糸が集まり生地を紡いでいく
ベルベット織りの最初の工程は数週間をかけてこのボビンを機械にセッティングすること

工房には中世から受け継がれた3500ものデザインパターンが残っている。冒頭のベルベットや工房のロゴにある獅子のモチーフもそのひとつだ。19世紀にはフランスで発明されたジャガード織りのシステムが伝わり、紙に穴をあけたパンチカードによる製法が始まった。職人が織り機を動かすと、機械がそのカードの穴に応じて経糸(たていと)の配列を制御。そこに職人が横糸を通すとデザイン通りに模様が織られていくという仕組みだ。

織り機と連動してカードの穴を読み取る機械

こちらがそのカード。この一つの穴の列が一本の細い糸に相当し、たとえば1.5mの模様を作るには約3000枚というとてつもない数のカードが必要になるという。

工房に伝わる貴重なデザインパターンが刻まれたカードがぎっしりと並ぶ

生地が織られる段階で、表面の糸はループ状になっている。それを専用のカッターでカットすることで、ベルベットのふわっとした滑らかな感触が現れる。(ちなみに織り機で作る生地の幅は60cm。横糸を通し、職人が均一に生地に力をかけるには60cmが限界ということで、これより幅の広い手織りベルベット生地は存在しない。)

職人は、この織り機を操作し、一本一本横糸を渡し、生地を織り、カッターでカットするという作業をひたすら連続して行わなければならない。

たとえばこの生地の黄色い部分はすべて同じ糸で織られているが、色が明るい部分はループ状のまま、それをカッターでひらいてあげることでボリュームと深みのある黄色のベルベットらしい風合いの部分が作られる。

生地の端から端まで均一の力で美しく切れるようになるまでに、4年から5年の歳月をかけて習得。そこからさらに時間をかけて技術を高めていくのだという。一日に織ることができるのは熟練の職人でもわずか30cmほどというから、それがいかに根気のいる仕事であるかがわかる。

冒頭に書いたように、いまこれだけの手間をかけて手織りのベルベットを制作できる工房はヴェネツィアでここだけ。ヨーロッパでも他にはないという。この「ルイジ・ベヴィラックア」でも手織りのノウハウと伝統のデザインを活かした機械織りのベルベットを製造していて、工房の奥は手織り、機械織りを交えた美しいショールームになっている。

機械織りで美しいベルベットが作られる今でも、手織りの需要はなくならないと工房の女性は語ってくれた。確かに手織りの起毛した糸の柔らかな風合いの違いは一目瞭然だ。ヴェネツィアを代表するデッラ・サルーテ聖堂、第二次世界大戦で破壊されたドイツ・ドレスデン宮殿の修復など由緒ある建築の内部装飾はもちろん、最近はディオールやドルチェ&ガッバーナなどモードの世界とのコラボレーションも手がけているという。

いまも変わらず船が交通の手段のヴェネツィア。工房のベルベットもすべて専用の波戸場から出荷される。

工芸やものづくりがさらに機械にとって代わられ、世界的にその担い手が減っているいま。人が手をかけて紡ぐものの豊かさ、培ってきた技術や文化、そして美意識を伝えるこの工房のような存在の価値は計り知れない。守ろうとする想いとそれを担う人々がいなければ、あっけなく絶えてしまうかもしれないのはヴェネツィアの街も工芸の世界も似ているかもしれない。美しすぎる海の上の都市で、ふとそんな考えにとらわれた。

Luigi Bevilacqua ルイジ・ベヴィラックア

ウェブサイト https://www.luigi-bevilacqua.com/en/(英語)

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