この絵をどこかで観たことのある人も多いのではないだろうか。現実の風景や何かを描いているようでいながら意味がつかないオブジェたち。どこか不思議でちょっと不気味な感覚を呼び起こすイメージ・・・。
ふだん世の中にあふれる「意味を持ったもの」を見慣れた私たちは、ふと立ち止まってしまう。画家はなぜこれを描いたのだろう?何を表現しているのだろう。人物や建物は何かの比喩なのだろうか?などなど、つい意味を探していくうちにいつの間にか引きこまれる。まるで自分の想像力が試されているようだ。
20世紀の前半にこれを描いた画家「デ・キリコ」の大回顧展が、現在上野の東京都美術館で開催され話題を集めている。世界各地から集められた100点以上の作品で繰り広げられるデ・キリコ芸術の全体像。いまこの時代に彼の作品が注目を集めるのはなぜなのか。私たちはそこからどんなことを感じ、読み解くことができるだろうか。そしてデ・キリコが図らずも「先駆者」「スター」になった歴史に残るある芸術運動。さらにその崇拝者たちの突然の離反など、作品の裏側に隠されたデ・キリコのストーリーを少し探ってみたい。

「デ・キリコ」ー 本名はジョルジョ・デ・キリコ。彼は1888年に、イタリア人の両親のもとギリシャのヴォロスという地で生まれた。アテネ工科大学、そして美術アカデミーに学んだが、1905年に父を亡くしてしまい、母が率いる家族はドイツのミュンヘンに移住。世界的に知られる思想家フリードリヒ・ニーチェの哲学や、象徴主義の画家として知られるアルノルト・ベックリンなどの影響を受けた。
そんな彼の人生を変えるような出来事が、1910年に滞在していたイタリア・フィレンツェで起きたという。彼はそのときの様子をこう語っている。「よく晴れた秋の午後、私はフィレンツェのサンタ・クローチェ広場のベンチに座っていた。そのとき何もかも初めて見るような不思議な感覚を覚えた」。これが「啓示」となって、突然彼はその感覚をもとにした新しいタイプの絵を描きはじめる。

この「イタリア広場」のシリーズはその体験と深く関わっている。柱廊のある建物、不自然な遠近法、長くのびた影が、不安や空虚さを感じさせると言われるが、あなたは何を感じるだろうか・・・? 彼はこのあと描いていくこのスタイルの作品を「形而上絵画(けいじじょうかいが)」と名づけた。
「形而上」とはずいぶん難しい言葉だが、英語やフランス語の「メタフィジカル」を訳したもの。「メタ」は「超越した」、「フィジカル」は「物質的な、形のある」といった意味だから、わかりやすくいえば「形を超えた」精神的な思考のなかの世界を指すことになる。彼がイタリアの広場で経験したような超自然的な感覚や、形に表れていない何か、を表現する言葉だといえる。
デ・キリコの「形而上絵画」は、まさに目に見える形を超えた日常の奥に潜む非日常、神秘、謎といったものを表す。このスタイルと表現は、当時新しい絵画のあり方をめぐって試行錯誤していたヨーロッパの若き画家たちに大きな衝撃を与えた。
彼は1911年に、世界中から画家たちが集まっていた芸術の都・パリへ移り、展覧会に自分の絵を出品。パリの画壇でピカソや詩人のアポリネールに注目され、その後、第一次世界大戦をはさんで前衛画家たちに支持されることになる。

この《形而上的なミューズたち》に代表される「マヌカン」(マネキン)のモチーフはこの頃から描かれたもので、デ・キリコを代表する題材のひとつになった。美術史の中でつねに重要なモチーフだった人物像をマヌカンの形で取り入れ、予言者や占い師、哲学者、あるいは自画像などさまざまな役割を持たせることで、「形而上絵画」はさらに表現の幅と謎めいたニュアンスを持つことになる。
こうしたデ・キリコの作品を絶賛したのが芸術運動「シュルレアリスム」の芸術家たち、特にそのリーダー的存在だった思想家のアンドレ・ブルトンだった。1924年にアンドレ・ブルトンは『シュルレアリスト革命』第1号においてデ・キリコの素晴らしさについて寄稿し、デ・キリコの姿も映ったシュルレアリストグループメンバーの写真を掲載。シュルレアリストたちの先駆者と位置づけられたデ・キリコへの評価は大きく高まった。
しかしこのときデ・キリコ本人は、すでに次の段階へと進んでいた。彼を変えたのは第一次世界大戦後に移住した1920年ローマのボルゲーゼ美術館での出来事。ヴェネツィア・ルネサンス派の画家ティツィアーノの作品の前で得た新たな「啓示」だった。彼は伝統的な西洋絵画へと回帰し、ほかにもラファエロやルーベンスなど巨匠たちの傑作から表現や主題、技法を研究し、1940年代にかけてその成果を作品に活かしていくことになる。第一次世界大戦後に起きた「伝統回帰」の潮流も彼を後押しした。

ところがこの変化をシュルレアリストたちは快く思わなかった。デ・キリコにしてみれば新たな境地への進化だったのが、前衛の旗手と思って絶賛した信奉者にとっては歯車を逆回転するかのような古い伝統への後退に見えたのだろう。両者は険悪な関係になり、論争に発展していく。アンドレ・ブルトンに至っては「奇跡的な詐欺」とまで語り、手のひらを返したようにデ・キリコを批判した。
確かに、同じ「マヌカン」のモチーフでも、新たなスタイルで描いたものは、だいぶ表現が異なる。

この《ヘクトルとアンドロマケ》でも「形而上絵画」の形を超えた意味や観念の世界は残しつつ、マヌカンや馬の肉体美や衣服のひだはまさに古典的な表現。さらには技法でもテンペラ画という、絵具に卵黄を混ぜる油絵以前に主流だった手法を使うなど、デ・キリコの新たな挑戦が見てとれる。
また1920年代はこうしたマヌカンの主題に加え、「室内にある風景」「谷間の家具」といった新たな主題にも取り組んだ。海や神殿、山々など、本来は外にある壮大なものが天井の低い部屋の中にあって、屋内の家具が外に。そのちぐはぐさが不穏なイメージや新たな意味の地平へと見る私たちを招く。デ・キリコがそのスタイルは変えながらも、現実に見えている風景の固定概念を変え、だまし絵のように意味をずらしていくことに一貫した興味を持っていたことがわかる。

さらにデ・キリコは、バレエの舞台美術やテラコッタ(陶器)による彫刻など、旺盛に表現の幅を拡大。一方で、過去に描いた「形而上絵画」の再制作や「新形而上絵画」と呼ばれる新たなシリーズも発表した。こうした過去作品の再制作や引用は、ときに自己の作品の「贋作」だとして非難されたが、彼が90歳でローマで亡くなるまで自由な創作をやめることはなかった。「新形而上絵画」でも、若い頃に描いた広場やマヌカン、彼が挿絵の仕事で描いていたという太陽と月といった要素を自らリバイバルさせて再構成。アンディ・ウォーホルは、複製や反復という概念を創作に取り入れた彼を、ポップアートの先駆けとして高く評価した。


展覧会で次から次へと現れる「超現実」なデ・キリコの作品たち。それを貫いているのは、あふれるばかりの豊かな想像力だ。世の中にある光景を当たり前と思わず、固定概念も遠近法も超えて自由に表現する。彼は、弟や最愛の妻など自分の芸術の理解者がつねに近くにいたこともあり、時には批判されようとも、世間の評価に左右されることなく自らの画業を全うした。
社会の規範や価値観、世間の評価は、いつの間にか自由であるはずの私たちの思いや想像も制約してしまっている。けれど人間はそもそも想像力を持つ唯一の動物。デ・キリコは、そんな私たちの無限のイメージ、創造する豊かさと自由を教えてくれているようにも見える。展覧会に出かけたなら、「意味がわからない」と一蹴するのではなく、想像力をフルに働かせてこの作品たちがもつ「形を超えた」意味についてさまざまに思いを巡らせてみたい。

東京都美術館 「デ・キリコ展」
会場:東京都美術館(東京・上野公園)
会期:2024年8月29日(木)まで
開室時間:9:30〜17:30、金曜日は20:00まで(入室は閉室の30分前まで)
休室日:月曜日、7月9日(火)〜16日(火)
※ただし、7月8日(月)、8月12日(月・休)は開室
詳しくは展覧会公式サイトへ
※記載情報は変更される場合があります。
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