フランスの北西部、大西洋に突き出た半島を中心にした「ブルターニュ地方」といえば、多くのフランス人にとっても「特別な地」のイメージがある。日本人にとって身近な都市の名で言うなら「サン=マロ」や「レンヌ」「カンペール」「ナント」など。フランスを訪れたことのある人には、そば粉のガレットやシードル、牡蠣などの海産物でも馴染みがあるかもしれない。


荒々しい海が生みだした断崖の連なる海岸、内陸部の深い森、かつてのケルト文化が残した巨石の遺構や、今でも受け継がれる「ブルトン語」や独特の民族衣装・・・。フランスの中の「異郷」ともいえる豊かな自然と文化は、夏のヴァカンスの最適地としての気候もあって、多くの人々を惹きつけてやまない。





ブルターニュ地方ポン=ラベで開催される伝統的な刺繍祭りの様子(筆者撮影)



19世紀後半から20世紀にかけて、このエキゾチックな魅力をもったブルターニュ地方が、画家をはじめとする多くの芸術家たちの注目を集めた。東京・上野の国立西洋美術館で開催中の「憧憬の地 ブルターニュ ーモネ、ゴーガン、黒田清輝らが見た異郷」展は、こうした芸術家たちがこの地に何を求め、何を見いだしたのかを、作品を通じて展望する。ブルターニュに憧れた日本出身の画家たちの足跡も辿ることで、日本人が見たフランス最果ての地の風景にも光をあてる。異国の旅に思いを馳せながら愉しんでみたい展覧会だ。



「旅」の始まりとブルターニュの発見


ウィリアム・ターナー 《ナント》 1829年 水彩 ブルターニュ大公城 ・ナント歴史博物館



ブルターニュが画家たちを惹きつけはじめたのは、今から200年ほど前の19世紀はじめ。美術界は「ロマン主義」の時代を迎え、異国への憧れが作品の題材として描かれるようになる。展覧会の第1章「見出されたブルターニュ:異郷への旅」では、イギリスの風景画家ウィリアム・ターナーの水彩画やフランスの画家・版画家が手がけた豪華挿絵本など、この時代の「ピクチャレスク・ツアー(絵になる風景を地方に探す旅)」を背景に生まれた作品を見る。



(左)アルフォンス・ミュシャ 《岸壁のエリカの花》 1902年 カラー・リトグラフ OGATAコレクション(右)アルフォンス・ミュシャ 《砂丘のあざみ》 1902年 カラー・リトグラフOGATAコレクション



実は「旅行」が一般的なものとなったのは、ヨーロッパで鉄道や船などの交通網が発達した19世紀後半以降のことだった。画家たちはそれまで見たこともないような新しい画題を求めて旅に出かけ、ブルターニュはその一つの目的地になっていく。展示は、こうして生まれたアルフォンス・ミュシャの版画作品やポスター、さらにはウジェーヌ・ブーダンやクロード・モネなど印象派の巨匠たちが描いたブルターニュの雄大な海の風景へと進む。当時これらの作品を見た人々が、ブルターニュという見知らぬ異郷に憧れを抱いただろうことは容易に想像がつく。



クロード・モネ 《ポール=ドモワの洞窟》 1886年 油彩/カンヴァス 茨城県近代美術館



ゴーガンを魅了したポン=タヴェン


ポール・ゴーガン 《ブルターニュの農婦たち》 1894年 油彩/カンヴァス オルセー美術館(パリ)
ⒸRMN-Grand Palais (musée d’Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF



ブルターニュの南西部にある小さな村「ポン=タヴェン(Pont-Aven)」は、この地方の中でも古い建造物や民族衣装に身を包んだ人々、自然の美しさが画家たちのインスピレーションをかきたてた。滞在費やモデル代の安さもあって、多くの画家を魅了し、1860年代にはアメリカ、イギリス、北欧出身の画家たちによるコロニーが形成されていたという。そんななか、1886年にパリから生活苦を逃れて移ってきたのがポール・ゴーガンだった。



ポール・ゴーガン 《海辺に立つブルターニュの少女たち》 1889年 油彩/カンヴァス 国立西洋美術館 松方コレクション



彼は1894年まで繰り返しブルターニュで滞在。この土地特有の風景、人々の信仰心や素朴な生活様式に触れ、画家の仲間たちと交流したり共同制作をする中で「野性的なもの、原始的なもの」への思索を深めていく。彼らはポン=タヴェン派と呼ばれ、単純化したフォルム、色彩を使って現実の世界と内面的なイメージを画面上で統合させる「綜合主義」を展開。パリでナビ派が結成されるきっかけにもなっていった。


第2章「風土にはぐくまれる感性:ゴーガン、ポン=タヴェン派と土地の精神」では、このゴーガンの制作の年代ごとの変遷と、エミール・ベルナール、ポール・セリュジエなどポン=タヴェン派の作品から、実験的な創作の場としてのブルターニュを見ていく。



エミール・ベルナール 《ポン=タヴェンの市場》 1888年 油彩/カンヴァス 岐阜県美術館



ポール・セリュジエ 《ブルターニュのアンヌ女公への礼賛》 1922年 油彩/カンヴァス ヤマザキマザック美術館 ※展示は5月7日(日)まで



「第二の故郷」としてのブルターニュ


モーリス・ドニ 《花飾りの船》 1921年 油彩/カンヴァス 愛知県美術館



ブルターニュに近いノルマンディーのグランヴィルに生まれたモーリス・ドニ。彼はナビ派の画家として知られるが、深い信仰心からブルターニュの人々の精神性に共鳴した。彼はこの地に過ごす家族の姿を、宗教的文脈のうちに描き、ここブルターニュの海を古代ギリシャの海に見立てるなど、現実と幻視が重なる独自の「地上の楽園」のイメージを生みだした。



シャルル・コッテ 《悲嘆、海の犠牲者》 1908-09年 油彩/カンヴァス 国立西洋美術館 松方コレクション



「バンド・ノワール(黒の一団)」と呼ばれたシャルル・コッテやリュシアン・シモンにも注目したい。ナビ派の鮮やかな色調とは対照的に、彼らはブルターニュの伝統的、現代的な風俗や自然を、独自のレアリスム(現実主義)で描く。この地を第二の故郷のように滞在し、長期にわたってその風景と対話したからこそ生まれた表現だったといえるかもしれない。


リュシアン・シモン 《ブルターニュの祭り》1919年頃 油彩/カンヴァス 国立西洋美術館 松方コレクション



日本人芸術家たちが見たブルターニュ


ブルターニュが画家たちにとって主題として定着した19世紀末から20世紀はじめ。それは日本では明治の後期から大正にかけての時代にあたる。芸術の都として名を馳せていたパリをはじめ、フランスには世界から多くの芸術家たちが集まっていたが、日本人画家も例外ではなかった。


その中に黒田清輝がいた。彼はのちに東京美術学校の指導者となり、日本の美術界の中枢でその発展に尽力する人物だが、17歳で最初にフランスに留学したのは法律の勉強をするためだった。パリで画家や画商の影響を受けた彼は2年後、画家に転向。1887年にフランス人画家のラファエル・コランに入門して、本格的に絵画の道へ進むことになる。



黒田清輝 《ブレハの少女》 1891年 油彩/カンヴァス 石橋財団アーティゾン美術館



ほかにも同じコランに師事した久米桂一郎や、山本鼎、藤田嗣治、岡鹿之助などがブルターニュを訪れ、作品を残している。展覧会第4章では、今まであまり注目されてこなかったこうした日本人画家たちによるパリからブルターニュへの旅と足跡に焦点をあてた。


山本鼎 《ブルトンヌ》 1920年 多色木版 36.8 x 28.7㎝ 東京国立近代美術館
※展示は5月7日(日)まで



この展覧会に集まったのは、日本国内30ヶ所以上、そしてパリ・オルセー美術館はじめ海外からの作品を含め、約160点の絵画、素描、版画、ポスター作品。さらに画家旧蔵の絵葉書やトランク、ガイドブックなど「旅」にまつわる資料も集められた。ブルターニュという独自の文化をもった地方を知ることはもちろんのこと、見たことのない異世界を発見するという「旅」の醍醐味を、芸術家の目を通して追体験するような展覧会。きっとあなたも、また新たな旅に出かけたくなるに違いない。




展覧会「憧憬の地 ブルターニュ ーモネ、ゴーガン、黒田清輝らが見た異郷」


会場:国立西洋美術館(東京・上野公園)

会期:2023年6月11日(日)まで

開館時間:9:30〜17:30(毎週金・土曜日は20:00まで)

※入館は閉館の30分前まで

※5月1日(月)、2日(火)、3日(水・祝)、4日(木・祝)は20:00まで開館

休館日:月曜日 ※5月1日(月)を除く

入館料その他の情報は展覧会HPへ

https://bretagne2023.jp/

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