ひとめ見ただけで忘れられなくなりそうな人物たち。不釣り合いにデフォルメされているのになぜか絵に惹きつけられて見つめてしまう不思議・・・。これを描いたのは、コロンビア出身の美術家、フェルナンド・ボテロ。いま東京・渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムでは、この唯一無二の表現と色彩を放つボテロの作品70点を集めた「ボテロ展 ふくよかな魔法」が開催されている。


「ふくよか」と展覧会では語られているが、描かれた人物や動物たちはその言葉のイメージ以上にふくらみ、果物や花束、楽器や日用品もはちきれんばかりに膨張している。美術の歴史上もたくさんの「豊満な」女性が描かれてきたが、それとも違う。なぜボテロはこういう絵を描くのだろうか。彼によれば、それを決定的に方向づける出来事が1956年、彼が34歳の頃に起きたのだという。


ある晩、ボテロはアトリエでマンドリンを描いていたのだが、その真ん中に開口部を描き入れようとして楽器の大きさと関係ないとても小さな穴にしたら、驚くことにマンドリンに圧倒的なボリュームが生まれた。

フェルナンド・ボテロ《楽器》1998年 油彩/カンヴァス 133 x 172 cm

こちらは1998年の作品《楽器》。描かれているのはマンドリンではなくギターだが、穴が小さく入れられていることで輪郭と細部の不均衡なコントラストが生まれ、確かに楽器がまるで爆発せんばかりにふくらんで見える。それなのに観る私たちはそのかたちに不思議と惹かれてしまう。「これだ!」と彼にもひらめくものがあったのだろう。アーティストになると決めた時から、人の心にふれる造形言語を作れないかと考えていた若き日のボテロにとって、それは運命的な発見になった。


「ボリュームを表現することで、芸術的な美を表現することを目指しているのです」と語るように、ボテロはただ単に面白おかしくしようと「ふくよか」に描いているのではない。このボリュームの強調とかたちの官能性によって、観る人の感覚に訴えかける「魔法」のような絵画表現をあえて生みだしているのだ。

フェルナンド・ボテロ《泣く女》1949年 水彩/紙 56 x 43 cm

展覧会の第1章の冒頭は、1949年のこの作品《泣く女》で始まる。ボテロ17歳の作品だが、彼のボリュームへの関心はすでにここでも見ることができる。


1932年に南米コロンビアのメデジンで生まれた彼は、20歳のとき国内の展覧会で受賞した賞金ではじめて渡欧。スペインやイタリアで3年間学び、ベラスケスなど数多くの古典作品にふれ大きな影響を受けることになった。とくにルネサンスの巨匠ピエロ・デラ・フランチェスカに惹かれて滞在したイタリアでは当時の美術理論家たちの著述に出会い、自分の絵画を方向づけるための理論的基盤を形づくったという。

フェルナンド・ボテロ《オレンジ》2008年 油彩/カンヴァス 148 x 206 cm

観る人を圧倒するような大型の作品が多いのもボテロの特徴。この展覧会は展示室を移るたびに舞台が変わるような変化と発見が楽しさのひとつなのだが、第2章は特にその色彩のインパクトに気分が高まる。ここでは先ほどの《楽器》のほか、ボテロが繰り返し描いてきた静物画を紹介。熟れきって膨れあがったような果実を描いた幅2mを超える《オレンジ》。そして《黄色の花》《青の花》《赤の花》の3連作では、数百本もの花をぎっしりと詰め、やはりここでも私たちはその不思議な存在感と違和感に心がとらえられ、色の鮮やかさ以上の生の昂揚感のようなものを覚える。あなたの心にはどの色がいちばん響くだろうか。

フェルナンド・ボテロ《黄色の花》(3点組)2006年 油彩/カンヴァス 199 x 161 cm

フェルナンド・ボテロ《青の花》(3点組)2006年 油彩/カンヴァス 199 x 161 cm


フェルナンド・ボテロ《赤の花》(3点組)2006年 油彩/カンヴァス 199 x 161 cm

フェルナンド・ボテロ《コロンビアの聖母》1992年 油彩/カンヴァス 230 x 192 cm


第3章は<信仰の世界>と題し、聖母や天使、聖職者などをボテロ独自のスタイルで描いた作品群だ。ボテロが生まれ育ったコロンビアは、1991年までカトリックを国教としていたとても宗教色の強かった国。とくにボテロが育った故郷メデジンでは1930年代から40年代にかけて司教、修道女、司祭、枢機卿といったカトリックの聖職者が突出した地位にあったという。彼はそうした記憶をもとに、聖職者の衣装や宗教の場で見られる色やかたち、独特の詩的な側面を絵画的に探求しつつ、ユーモアと風刺をもって表現する。上の《コロンビアの聖母》の聖母は、なぜ涙を流しているのか、幼いキリストがいるはずのところに少年が描かれているのはなぜ?どうして小さなコロンビアの旗をもっているのか?・・・などなど絵に込められた意味に想像はつきない。


フェルナンド・ボテロ《守護天使》2015年 油彩/カンヴァス 130 x 101 cm


1956年、23歳の時メキシコの芸術に出会ったことは、ボテロにとって一つのターニングポイントになった。自分のルーツや故郷コロンビアの子ども時代の記憶に目を向け、中心的なテーマにするようになったのもこれがきっかけだという。街角の喧噪、人々の文化、さらにメキシコ芸術の大胆な色使いも彼を触発し、作品をより色鮮やかなものに変化させた。

フェルナンド・ボテロ《バルコニーから落ちる女》1994年 パステル/紙 102 x 71 cm

フェルナンド・ボテロ《通り》2000年 油彩/カンヴァス 205 x 128 cm


ここ第4章の展示室で注目したいのは、近年ボテロが手がける大型カンヴァスに水彩で描いたドローイングのシリーズ。そこにもラテンアメリカの世界が主題として生き生きと描かれているのだが、よく見ると青い線で薄く下絵が残されている。輪郭線を丁寧に試行錯誤した様子がわかり、ここからも彼の「かたち」に対するこだわりが感じられる。

フェルナンド・ボテロ《踊る人たち》2019年 水彩/カンヴァス 133 x 100 cm

「サーカス」をテーマにした次の第5章も興味深い。ボテロは2006年にメキシコ南部のシワタネホを訪れ、そこで質素なサーカスに出会った。どこか悲哀をうちに秘めたような人物ばかりでなく、独特の詩的な趣やかたちと色の造形はすでに70歳を越えていた彼を驚かせ、およそ2年間にわたりボテロはそれを描きつづけた。サーカスといえばピカソやマティス、ルノワールといった巨匠たちに多く描かれてきたモチーフ。その磁力はボテロの想像力の扉も開いたのだった。

フェルナンド・ボテロ《象》2007年 油彩/カンヴァス 112 x 84 cm

フェルナンド・ボテロ《空中ブランコ乗り》2007年 油彩/カンヴァス 178 x 100 cm


ここまで見てきてボテロのもう一つの特徴に気づいた方はいるだろうか。それは、多くの作品で登場する人物の顔が無表情であることだ。色彩は鮮やかで構図も大胆なのだが、人物の口は閉ざされ、視線はどこかうつろで焦点があわず、静けさが漂う。これは人物の表情が観る人の心理に影響を与えないように、という意識からだろう。悲しい表情の人物画は、その絵を悲しい絵にしてしまう。実際作品を観る私たちは、顔に注意を払わないぶん、ボテロがなによりも大事にしたかたちのもつ官能性やボリュームに視線を向ける。



ボテロが世界中の注目を集めたのは1963年。ルーヴル美術館が所有するレオナルド・ダ・ヴィンチの《モナ・リザ》がニューヨークに渡り、メトロポリタン美術館に展示されたとき、ボテロの《12歳のモナ・リザ》が、同じくモダンアートの殿堂であるニューヨーク近代美術館(MOMA)のエントランスホールに展示されたのだ。たった一夜にして彼の名はニューヨーク中に知れ渡った。

フェルナンド・ボテロ《モナ・リザの横顔》2020年 油彩/カンヴァス 136 x 100 cm

今回の展覧会では、それ以来彼が描き続けてきた「モナ・リザ」のひとつ、2020年制作の《モナ・リザの横顔》が世界で初めて公開される。


この作品をふくめた最終第6章のテーマは<変容する名画>。ボテロが1952年に初めてヨーロッパを訪れて以来、ベラスケスやピエロ・デラ・フランチェスカ、ヤン・ファン・エイク、アングルなど数々の巨匠に捧げてきたオマージュを特集する。上の《モナ・リザの横顔》もレオナルド・ダ・ヴィンチとともに、イタリア・ウフィツィ美術館に所蔵されるピエロ・デラ・フランチェスカの名作《ウルビーノ公夫妻像》の横顔にモチーフを得ている。

フェルナンド・ボテロ《アルノルフィーニ夫妻(ファン・エイクにならって)》2006年 油彩/カンヴァス 205 x 165 cm

こちらもピンとくる人が多いだろう。15世紀初期フランドル派の画家ヤン・ファン・エイクの《アルノルフィーニ夫妻像》。これら一連のオマージュ作品では、これまで見てきたボテロ独自の様式が、他の芸術家たちの作品をまったく違うものに変容させている。「芸術とは、同じことであっても、異なる方法で表す可能性である」と本人が語るように、同じ題材を描いてもスタイルや手法が変わることで作品は別の魅力を放ちはじめる。ボテロの創作活動は、アートの本質とその愉しさを私たちに見せてくれているようだ。

いま世界各国で空前のヒットとなっているフェルナンド・ボテロの展覧会。日本での開催は1995-96年の巡回展以降、26年ぶりのことになる。今年90歳になるボテロ自らが監修、リストアップし、その作品のほとんどが日本初公開という貴重なラインナップ。写真ではわからない大型作品のインパクトと色彩を感じるためにも、ぜひ訪れてほしい展覧会だ。

フェルナンド・ボテロ


そしてもし訪れたなら、展示室を出てBunkamura ドゥ マゴ パリのテラスに置かれたボテロの彫刻《小さな鳩》を見ることもお忘れなく。彼が人生をかけて描こうとしてきた「ボリューム」を立体で感じてみたい。



ボテロ展 ふくよかな魔法


会場:Bunkamura ザ・ミュージアム(東京都渋谷区道玄坂2-24-1 B1F)

会期:2022年7月3日(日)まで

※状況により会期、入場方法等が変更となる場合があります。

開館時間:10:00〜18:00(入館は17:30まで)、毎週金・土曜日は21:00まで(入館は20:30まで)

※会期中すべての土・日・祝日は 【オンラインによる入館日時予約】 が必要です。


料金など詳しくは展覧会公式サイトへ

https://www.ntv.co.jp/botero2022/



(文・杉浦岳史)

Share

LINK