フェルメールのこの作品《窓辺で手紙を読む女》には、表面に見えない隠された絵がある。どこに何が隠されているか想像できるだろうか。

17世紀オランダの画家ヨハネス・フェルメールは、《真珠の耳飾りの少女》《牛乳を注ぐ女》など、まるで写真や映像のような写実的な情景描写と綿密な空間構成で世界中のアートファンから親しまれている。

冒頭の絵は、彼が市民の日常生活を描く「風俗画」というスタイルに転向した若い頃の傑作だ。

窓から柔らかな光が差し込む室内で、真剣なまなざしで女性が手紙を読んでいる。まさしく彼の真骨頂ともいうべき構図、そして装飾や静物の精緻な表現、物思いに耽るような女性の表情で、絵は私たちに何かを訴えかけてくる。1657~59年頃に描かれたというこの作品は、1742年に現在のドイツの一部を治めていたザクセン選帝侯のコレクションに収蔵。今はドレスデン国立古典絵画館が誇る至宝のひとつとして大切にされている。

それが近年、女性の背後の壁に隠された絵があることがわかった。

判明したのは1979年。サンフランシスコでの展覧会の際に行われたX線撮影で壁に隠れた「キューピッド」が映し出される。研究者たちは当初フェルメールがこのキューピッドを描いたあとに、本人の手で壁を塗り重ねたのだろうと考えた。

2017年に専門家の委員会が招集され、保存計画を作成。作品を覆っていた古いニスの層を丁寧に取り除き、汚れを落とす修復と調査が行われた。2021年にドレスデン国立古典絵画館で、修復を終えた作品を展示。そして今回、所蔵館以外では世界で初めて、その美しくなった姿が日本で公開されることになった。それがこちらだ。


ヨハネス・フェルメール《窓辺で手紙を読む女》(修復後)1657-59年頃 油彩、カンヴァス 83×64.5cm © Gemäldegalerie Alte Meister, Staatliche Kunstsammlungen Dresden, Photo by Wolfgang Kreische


色鮮やかな装飾と人物像、そして壁に浮かび上がったキューピッドが、見違えるような新鮮な印象を私たちに与える。愛の神であるキューピッドが踏みつけるのは嘘や欺瞞を象徴する仮面。誠実な愛が勝利する様子は、手紙がラブレターであることをほのめかしているかのようだ。

しかし、もしフェルメール自らがこのキューピッドを隠したのなら、修復でもこれを残しておくべきだろうに、なぜあえて出現させたのだろうか。

実はこの修復の過程で、キューピッドの上に塗られた最初のニス層の上に汚れの層があり、さらにその上から絵具で上塗りをしているということがわかった。しかも最初の絵の表面には、長年空気にふれたことによると思われるひび割れが確認されたのだ。つまり最初のキューピッドの絵が描かれたあと、汚れの層やひび割れができるほど、具体的には数十年という長い期間にわたって上塗りされていなかったことを物語っていた。

そう、壁の上塗りはフェルメールの死後、別の何者かによって行われたことが明らかになったのだ。幸いなことに隠れていた元の絵の状態は良好で、すべての上塗りを取り除き、フェルメールが描いた当初の姿が甦った。

東京都美術館を皮切りに日本を巡回する「ドレスデン国立古典絵画館所蔵 フェルメールと17世紀オランダ絵画展」では、この修復後の《窓辺で手紙を読む女》が実際に観られるほか、キューピッドが徐々に姿を現していく修復の過程も映像や資料で紹介する。美術の世界の裏側を垣間見る、貴重な機会になるはずだ。


レンブラント・ファン・レイン《若きサスキアの肖像》 1633年 油彩、板 52.5×44cm © Gemäldegalerie Alte Meister, Staatliche Kunstsammlungen Dresden, Photo by Elke Estel/Hans-Peter Klut


展覧会の見どころはフェルメールだけではない。ドイツ東部、ザクセン州の州都ドレスデンのツヴィンガー宮殿の一角にある「ドレスデン国立古典絵画館」のコレクションの中から、フェルメールが生きた17世紀の名画が海を越えて日本にやってくる。

フェルメールやイタリアのカラヴァッジョなどとともに「バロック絵画」を代表する画家レンブラント・ファン・レインの作品《若きサスキアの肖像》もその一つ。サスキアは21歳でレンブラントと結婚、29歳の若さで亡くなった妻で、たびたび彼の作品のモデルとして登場する。描かれた1633年はちょうどレンブラントと出会い、結婚した年。うつむきぎみな視線ではにかむような妻の笑顔が印象的だ。「光の魔術師」と呼ばれた画家ならではの暗闇に浮かび上がるような明暗の手法、やや劇的な描写はバロック絵画の特徴をよく表している。

ほかにもレンブラントと同じレイデン(ライデン)出身で、市民の家庭生活を好んで描いたという画家ハブリエル・メツー、17世紀オランダが生んだ優れた風景画家の一人、ヤーコプ・ファン・ライスダールなど、この時代のオランダ絵画を象徴するような作品が並ぶ。


ハブリエル・メツ―《レースを編む女》1661-64年頃 油彩、板 35×26.5cm © Gemäldegalerie Alte Meister, Staatliche Kunstsammlungen Dresden, Photo by Elke Estel/Hans-Peter Klut



ヤーコプ・ファン・ライスダール《城山の前の滝》1665-70年頃 油彩、カンヴァス 99×85cm © Gemäldegalerie Alte Meister, Staatliche Kunstsammlungen Dresden, Photo by Elke Estel


今でこそ風景画は当たり前のように定着しているが、この時代までのオランダ、ヨーロッパではまだ珍しく、主題として描かれた肖像や物語の「背景」にすぎなかった。それがこの頃から風景をメインにした表現が多く現れるようになる。

17世紀、国際貿易で大きな経済発展を遂げたオランダでは、画家のパトロンは王侯貴族や教会ではなく、商業で裕福になった市民たちだった。彼らは古典的な宗教画や神話画よりは、自分たちにとって身近な風俗画や静物画、風景画を好んだ。特に風景画は、のちのヨーロッパで自然主義や印象派へとつながる土台となるほどに新しい潮流として確立していく。

上のヤーコプ・ファン・ライスダールはこうした風景画、とりわけ森林風景を専門に手がけ、北方の風景に詩情を見いだしたと言われる。陰鬱な雲、流れの速い小川、岩山の上の廃墟のような城・・・。自然の景色を描きながら、どこか作家自身の心、感情も映しだしたような表現は彼の持ち味でもあり、それまでの時代にはあまり見られなかったスタイルだ。

静物画の発展もこの時代の特徴といえる。



ヤン・デ・ヘーム《花瓶と果物》 1670-72年頃 油彩、カンヴァス 100×75.5cm © Gemäldegalerie Alte Meister, Staatliche Kunstsammlungen Dresden, Photo by Elke Estel/Hans-Peter Klut


たとえばヤン・デ・ヘームは、こうした花や果物、食材を色彩豊かに、かつ精密に描き出す静物画の専門家だった。風景画、静物画などそれぞれを得意とする専門画家が生まれたのもこの時代の特徴といえるだろう。

静物画は、市民にとって身近な題材であったと同時に、当時の自然科学・植物学の発展、人生の虚しさやあらゆるもののはかなさを表現した「ヴァニタス」のメッセージ、あるいは北欧の冬の暗い夜を華やかにするためなど、いろいろな意味合いが語られる。またチューリップやニシンなど、オランダならではの題材が描かれているのも興味深い。

こうした背景を少し思い描きながら展覧会を眺めると、それぞれの作品がより深みをもって見えてくるに違いない。



ヨセフ・デ・ブライ《ニシンを称える静物》 1656年 油彩、板 57×48.5cm © Gemäldegalerie Alte Meister, Staatliche Kunstsammlungen Dresden, Photo by Elke Estel/Hans-Peter Klut


描かれた当初の姿に甦ったフェルメールの名画を、所蔵館以外では世界に先駆けて公開する展覧会。ぜひ17世紀当時のオランダの社会やアートシーン、そして名作を守り受け継ぐ人々の努力とあわせて確かめてみたい。



ドレスデン国立古典絵画館所蔵

フェルメールと17世紀オランダ絵画展

会期:2022年2月10日(木)〜2022年4月3日(日)※日時指定予約制

会場:東京都美術館 企画展示室

開室時間:9:30〜17:30 ※入室は閉室の30分前まで

休室日:月曜日、3月22日(火)※2月14日(月)、3月21日(月・祝)は開室

料金など詳しくは展覧会公式サイト:https://www.dresden-vermeer.jp/

※最新情報は展覧会公式サイト等で事前にご確認ください。

文・杉浦岳史

Share

LINK