もうかなり前のことになるが、四六時中陶芸に夢中だった時期がある。単純に自分の料理を、理想の器に盛り付けてみたいと思ったのがきっかけで、はじめの頃は鉛のように重たい鈍臭いものばかり作っていた。手取りの重さ問題が次第に解決すると、意識は器のデザインの方に向いていき、まずは魯山人そして最終的には乾山を写すようになった。乾山というと代表作に名前が上がるような器は一通り写したと思う。写したといっても、もちろん似ても似つかない、いわゆるそれっぽいものになったのかも怪しいのだが(笑)。

何が言いたかったかというと、食べ物を盛り付ける器を作ろうとする中でたどり着いたのが乾山だったということだ。同様に魯山人も多くの乾山写しを作っていたし、世界中に山程器がある中で、料理に関わっている人が自然と憧れてしまうのが乾山なのだ。

 

1枚の器に幾つもの色を取り入れて華やかであるが、その色彩がそれぞれに落ち着いた色調であるから、かえって料理のシンプルな素材感や色を引き立ててくれるところが魅力だと感じる。華やかではあるけれど、嫌味がないという絶妙な塩梅なのである。   

 

そもそも乾山とは一体どんな人物であったのだろうか。江戸中期・17世紀後半京都の裕福な呉服商雁金屋の尾形家の三男として生まれた。若くしてすでに内省的な境地にあり、25歳の時に名を深省と改めて一人、御室に隠宅を構え晴耕雨読の生活を好んだ。当時、京焼に上絵付けの色絵をもたらした野々村仁清が近くで御室焼を焼いていたことから、そこで薫陶を受けることとなる。そして37歳の時に鳴滝泉谷で仁清より陶法書を伝授されて念願の開窯となった。鳴滝は、都の乾(北西)の方角の山の麓に位置したので、そこで作られるものを「乾山焼き」と命名し、遂に陶工・尾形乾山が誕生した。乾山は、器を色紙に見たてた角皿に兄で絵師の光琳と合作をしたり、有職紋様やオランダのデルフト焼きの意匠を取り入れたりなど、それまでの京焼を仁清からさらに進化させたという意味において、より京焼たらしめた人物であったといえよう。

今回は銹絵染付絵替土器皿に、シンプルに空豆を合わせた。 


「空豆」の名前の由来は空に向かって伸びるからだとか、蚕の繭のような莢に包まれているから「蚕豆」など諸説ある。また、一寸(三センチ)程だから一寸豆と呼ばれることもある。

日本でも馴染みつつあるが、1月6日にいただくガレット・デ・ロワというお菓子がある。アーモンドクリームがパイ生地に包まれた中には、陶器の人形(フェーヴ)が隠されており、切り分けて配膳されたのち、このフェーヴが当たった人はその日の王様として周囲から祝福されるというユニークな行事がフランスにある。今でこそ陶器の人形であるが、このフェーヴとは実は空豆を意味する。そう、ガレット・デ・ロワが登場した時には乾燥した空豆が使われていたのである。というのも、薄皮を剥くとわかるのだが、空豆は胎児の形によく似ているのだ。そのことから、繁栄の象徴、命のシンボルとして結婚や農耕にまつわる祭りでは欠かすことなく空豆が振る舞われてきた。このようにある種の幸運のシンボルのイメージがあることを知って、空豆を目の前にすると、いただく喜びがより大きくなる。

 

空豆の翡翠漬け

―材料(4人分)

・空豆(莢入り) 1パック

・砂糖 25g

・水 50g

・生姜 適宜 


① 鍋に水と砂糖を合わせて火にかけて、かき混ぜて、砂糖が完全に水に溶けた状態にする。これを器に移して冷ましておく。

② 空豆は、莢と薄皮を剥いて豆を出す。鍋に湯を沸かし、分量外の塩を少々加えてから茹でる。豆の側面に割れ目が入り始めたら冷水にとって、しっかりと水を拭き取る。

③ ①のつけ汁に②の空豆をつける。さらに好みの量の生姜も一緒に加える。ラップを豆と汁にピッタリとはりつけるようにして、冷蔵庫で一晩休ませる。
④ 盛り付けるタイミングで、つけ汁につけておいた生姜を細くカットして、空豆の上に乗せる。

「美味しいのは3日だけ」と言われるほど足の速い空豆だが、この翡翠漬けは作ってしまえば4~5日ほどは変わらずにいただくことができる。ちょっとしたおつまみにぜひお試しあれ。  

 

 

(取材&文・SUMAU編集部 撮影・古本麻由未)

料理家 千 麻子

学習院大学で美術史と経営学を専攻し、博物館に勤務。美味しいもの好きが高じてフランス随一の美食の街、リヨンのInstitut Paul Bocuseで料理を学び、ランスのレストランL’assiette champenoise(ミシュラン三つ星)の厨房で研鑽を積む。
Instagram: https://www.instagram.com/asako_sen/

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