世界中の現代アートファンで「KUSAMA」の名を知らない人は、ほとんどいないだろう。1929年3月22日長野県生まれ、今月誕生日を迎える前衛芸術家・草間彌生は、驚くことにその制作意欲を今も衰えさせることなく、一日のほとんどを創作に費やしているという。

そんな現役の国際的アーティストの作品群を「体感」できる場所が東京にある。新宿区弁天町。神楽坂と早稲田のあいだの界隈で、料理屋や和菓子屋といった古きよき都市の面影、学問や出版の文化、そして近代的な建物などが混在した東京らしい風景の中にすっと立つ白い建築「草間彌生美術館」だ。

草間彌生美術館外観 Photo by Kawasumi-Kobayashi Kenji Photograph Office

2017年10月に開館し、草間作品のコレクションを年約2回の展覧会で紹介している。屋外彫刻など日本の多くの場所で作品を見ることはできるが、ここは今も創作を続ける彼女の新作が見られる、世界的に貴重なアートスポットといっていい。

草間彌生といえば、どこまでも続く水玉や網目模様のイメージを思い出す人も多いだろう。そのインスピレーションの源泉は、彼女が子供の頃に頭の中で繰り返し現れた「幻覚」や「幻聴」にある。幼かった草間は、それを絵に描きとめることで恐怖を克服しようと試み、それが創作の原点になったのだという。

草間彌生美術館1F外観 Photo by Shintaro Ono (Nippon Design Center, Inc.)

大人になった彼女は、1957年に渡米するとニューヨークを中心に活動。絵画や立体作品のほか、60年代後半には当時米国を中心に世界的に展開された「ハプニング」と呼ばれる過激なパフォーマンスや、鏡、電飾を使ったインスタレーションといった多様なスタイルへと展開。「前衛の女王」と称されて時代の寵児となり、芸術家としての地位を確立した。

開催中の展覧会に展示中の作品(2021年3月29日まで) 草間彌生《マンハッタン自殺未遂常習犯の歌》2010 ©YAYOI KUSAMA

幻覚を原点にした表現は、やがてモチーフの強迫的なまでの反復と増殖による自己消滅という芸術哲学となって、草間彌生独自の世界観を創りあげる。

1973年に日本に帰国すると、美術作品を制作、発表する一方で、小説や詩集の創作も手がけ、多数の作品を発表した。1983年には小説『クリストファー男娼窟』で野性時代新人文学賞も受賞している。

1993年にはベネチア・ビエンナーレにおける日本館の展示作家に選出。それを一つのきっかけに、世界で草間彌生再評価の気運が高まった。その圧倒的なイメージとアイコンとしての強さ、そして作品を通じて彼女が伝えつづけてきた「世界平和」と「人間愛」も共感を呼び、世界中にファンを増やしてきたのはよく知られている通りだ。2010年代になると、パリのポンピドゥー・センターやロンドンのテート・モダンといった名だたる美術館で次々と回顧展が開催。イギリスの美術専門誌「THE ART NEWSPAPER」から「2014年最も人気のあるアーティスト」と評されたのも記憶に新しい。

そんな作家みずからの意志によって構想され、2017年に創設されたのがこの「草間彌生美術館」だった。

1Fエントランス

1F ギャラリー インスタレーションビュー ©YAYOI KUSAMA

そこは絵画、オブジェなど「見る」作品はもちろん、中に入り、参加し、観客が一体化するインスタレーション作品も展示され、現代アートの多彩な楽しみ方を教えてくれる美術館。まだ見たことのなかった新作に出逢えるのもうれしい。

3月下旬まで開催されている展覧会は、そのタイトルを「我々の見たこともない幻想の幻とはこの素晴らしさである」とし、草間彌生が見る多様なヴィジョンをテーマに展示が構成される。

草間彌生《フラワー・オブセッション》(部分)2017/2020

《フラワー・オブセッション》は、花が部屋中を覆い尽くしてしまうという彼女の幻覚を現実世界に出現させた日本初公開となる参加型の最新プロジェクト。観客は入口で黄色い花のステッカーまたは造花を手にし、それを部屋の好きな場所に貼り付ける。2020年7月の展覧会開始時に、何もついていないただの部屋だったところから始まったプロジェクトは、今やいっぱいの花で埋め尽くされ、観客を圧倒する。まさしく作家の幻覚を追体験するかのような作品だ。

草間彌生《無限の鏡の間 – 宇宙の彼方から呼びかけてくる人類の幸福への願い》2020

3階におかれたのは、反復する無限のイメージを合わせ鏡の手法で表現させたこちらも新作の没入型インスタレーション《無限の鏡の間 – 宇宙の彼方から呼びかけてくる人類の幸福への願い》。鏡の中で4色のLEDライトが明滅し、それを見ている私たちは果てしなく連続した無数の存在となり、永遠の中に溶け込む。まるで宇宙の星屑の中に包まれ、浮遊するような、あるいは埋もれてしまうような感覚を呼び起こす。

どちらも、草間作品に通底する「強迫観念」を出発点にしているが、ここでは恐怖をもたらすイメージというよりは、現実を忘れてしまう夢心地で神秘的なヴィジョンに変貌し、私たちを包む。

草間彌生《天空にささげたわたしの心のすべてをかたる花たち》2018

5階の屋上ギャラリーに展示されたブロンズ鋳造のオブジェ《天空にささげたわたしの心のすべてをかたる花たち》も、本展覧会にあわせて新たに制作されたものだ。1階ギャラリースペースの壁面に展示された連続する横顔の作品《永遠に続く女の魂》もそうだが、近年、草間彌生はアルミニウムやブロンズなどの金属素材を好んで用いている。これは、作品を永遠に残したいという作家の切なる願いによるものだという。

3F ギャラリーインスタレーションビュー ©YAYOI KUSAMA

美術館を訪れたら、それぞれの作品のタイトルにも注目したい。時に謎かけのような、そして彼女の想いや願いが映しだされた言葉の数々。「わが永遠の魂」と名づけられた絵画のシリーズは、草間彌生が自身の内面からあふれてくるヴィジョンをひたすら描きつづける最新作群だが、ここでも一つ一つの作品に詩的なタイトルがつけられている。《名の知れない黒い影が宇宙を飛び歩いているのをあなたは見たことがあるのか》《私の心をすべて捧げた宇宙の真夜中の闇の姿》など、そこには今の草間が関心を持つ、宇宙や未知の世界への想いが見て取れる。

草間彌生《数ある希望を撒き散らしてきた宇宙への憧れ》2019 ©YAYOI KUSAMA

4月下旬からは新しい展覧会「神秘と象徴の中間:草間彌生のモノクローム」が開催される予定だ。色彩豊かなイメージのある彼女だが、実はモノクロームの作品も数多く制作している。彼女の特徴である反復を強調する強烈なヴィジョン、また希有な色彩感覚を持つがゆえの独特のモノクローム世界が白い建築の中でどう展開されるのか、今から楽しみだ。

人生そのものを表現に懸けてきた草間彌生の足跡、現在もつづけられる創作への想いと魂に包まれるような美術館。現代アートを身体で感じる場所として、これほどふさわしい場所もそうないだろう。

ところで美術館の5階の屋上ギャラリーからは、早稲田方面の眺望を見ることができる。新旧が入り交じるモザイクのような景色、穏やかな時間の中で静かに繰り広げられる新陳代謝・・・アートを楽しんだあとは、この界隈ならではの都市の風景を散策してみるのもおすすめだ。

漱石山房記念館(早稲田)

AKOMEYA TOKYO in la kagu (神楽坂)

草間彌生美術館

東京都新宿区弁天町107

展覧会「我々の見たこともない幻想の幻とはこの素晴らしさである」

会期:2021年3月29日(月)まで

開館日:木・金・土・日・月曜日および国民の祝日

休館日:火・水曜日

開館時間:11:00~17:30

日時指定の事前予約・定員制(各回90分)

毎月1日10:00(日本時間)に美術館webサイトにて翌々月分のチケット発売開始

https://yayoikusamamuseum.jp
※チケットは美術館webサイトのみで販売しています。美術館窓口での取り扱いはありません。

(文・杉浦岳史)

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