長い人生、いつからでも新しいことが始められる。年齢に関係ないチャレンジ精神は、人生100年時代と言われるこれからを生きていく大切な要素になるのかもしれない。

そんな時代の理想とも言えそうなのが、グランマ・モーゼス(モーゼスおばあさん)の愛称で知られるアメリカの画家アンナ・メアリー・ロバートソン・モーゼスだ。1860年生まれの彼女は長く農婦として暮らし、本格的に絵を描き始めたのは70代の頃。なんと80歳で初めての個展をニューヨークで開き、やがてアメリカ人なら誰でも知る国民的画家として親しまれるようになる。

1961年に101歳で亡くなるまでに描いた作品は1600点以上。「グランマ」の呼び名や絵のタッチは温かだが、その膨大な作品数は「おばあさん」の領域をはるかに超えた偉業といえる。

世田谷美術館では、このグランマ・モーゼスの画家としての初期の作品から、100歳で描いたという最後の作品、そして彼女の愛用品まで約130点を展示する展覧会が開催中だ。


庭で絵を描くグランマ・モーゼス / 1946年 写真:Ifor Thomas(ギャラリー・セント・エティエンヌ、ニューヨーク寄託) ©2021, Grandma Moses Properties Co., NY

グランマ・モーゼスは、アメリカ東部の田園地帯で人生の大半を農家の主婦として過ごしていた。糸を使って描く刺繍絵を趣味にしていたが、70代になってリウマチが悪化してそれが難しくなり、針を絵筆に代えて作品を描き始める。主なモチーフは自分が愛した身近な風景であるニューヨーク州からヴァーモンド州にかけての田園とそこに暮らす人々の日常。展覧会の冒頭は、彼女が手がけた鮮やかな刺繍絵やこうした初期の作品を中心に幕をあける。


《海辺のコテージ》 / 1941年 個人蔵(ギャラリー・セント・エティエンヌ、ニューヨーク寄託) ©2021, Grandma Moses Properties Co., NY



《窓ごしに見たフージック谷》 / 1946年 / 個人蔵(ギャラリー・セント・エティエンヌ、ニューヨーク寄託) ©2021, Grandma Moses Properties Co., NY


美術教育を受けなかったグランマ・モーゼスが、その純粋なまなざしと自由なタッチで描いた自然や農村の暮らし。風土への愛情が込められた表現は、初めて見る私たちの郷愁をもやさしく呼び起こす。

そのまま一人静かに絵を描いていたなら、彼女は無名の画家として人生を終えたのかもしれない。しかし絵を始めてしばらくして、偶然に村を訪れた美術コレクターのルイス・カルドアが薬局のウィンドウに飾られた作品を発見。彼女の運命は変わり始める。それは1938年のこと。グランマ・モーゼスは78歳になっていた。


《初めての自動車》 / 1939年以前 個人蔵(ギャラリー・セント・エティエンヌ、ニューヨーク寄託) ©2021, Grandma Moses Properties Co., NY

翌1939年10月にはニューヨーク近代美術館(MOMA)で開催された「現代の無名のアメリカ人画家たち」という展覧会に3点の作品が展示。さらに1940年にはニューヨークの画廊ギャラリー・セント・エチエンヌで初めての個展が開かれるという快挙を成し遂げた。以降、アメリカ各地で作品が展示され、人気を集めることになる。


《キルティング・ビー》 / 1950年 個人蔵(ギャラリー・セント・エティエンヌ、ニューヨーク寄託) ©2021, Grandma Moses Properties Co., NY

彼女の絵には、風景ばかりでなく当時の人々の暮らしぶりやライフスタイル、仕事の様子などが克明に描かれているのも興味深い。たとえばこの作品には、女性たちが中心になって集まり、たっぷりの食事を用意しながら別のテーブルの上で一緒に鮮やかなキルトを縫い上げる「キルティング・ビー」という風習が描かれる。キルトは結婚や誕生など人生の節目に贈られるというが、ここにはアメリカの田舎暮らしにおける助け合いの精神が見てとれる。

村の人々や親戚が思い思いに着飾って集まる結婚式。仲間同士で互いに手伝い楽しみながら行う農場の引越し。あるいは春に向けて楓(かえで)の樹液が木の中を巡り始める2月に、樹液を採ってメープルシロップと砂糖を作るシュガリング・オフ(記事冒頭の作品)。夏の終わりから秋にかけて行うアップル・バター作り・・・。ふだん私たちがあまり知ることがない、かつての北米の生活文化が見事に描かれる。


《村の結婚式》 / 1951年 / ベニントン美術館蔵 ©2021, Grandma Moses Properties Co., NY



《アップル・バター作り》 / 1947年 個人蔵(ギャラリー・セント・エティエンヌ、ニューヨーク寄託) ©2021, Grandma Moses Properties Co., NY

グランマ・モーゼスのこうした作風がアメリカ人の心を捉えたのは、1929年以降の大恐慌や第2次世界大戦を通じて人々が疲弊していたからだともいわれる。社会が大きく変化していく中で、都市に移った人々は温かな共同体に懐かしさを感じ、変わらぬ自然の美しさに心を動かされたのだろうか。

時に過酷でありつつも、人間が敬意をもって接するなら豊かさを与えてくれる

この自然の恵みを、彼女は農婦として肌感覚で知っていた。自然の美しさと、その恩恵を受け、助け合いながら人生を歩んでいく人間という存在。静かに歳を重ね、美しい風景と共に生きてきたグランマ・モーゼスだったからこそ描ける、まるで人生そのもののような作品たち。これこそが、彼女が全米の、そして全世界の人を惹きつけるゆえんかもしれない。


《虹》 / 1961年 個人蔵(ギャラリー・セント・エティエンヌ、ニューヨーク寄託) ©2021, Grandma Moses Properties Co., NY

彼女が100歳で描いた最後の絵画作品《虹》には、そんな人類の希望のような ものが見える。豊潤に茂る緑と満開の花、雨と太陽の恵み、共に働く人々、そして動物たちとの共存・・・その風景が永遠に続いて欲しいと願うグランマ・モーゼスの想いが伝わってくるようだ。

“Life is what we make it, always has been, always will be.” 「人生は自分で作りあげるもの。これまでもずっと、これからもずっと」・・・このグランマ・モーゼスの言葉と作品の数々に、どんな時代であってもしっかり自分を生きることの大切さを教えられた気がする。


生誕160年記念

グランマ・モーゼス展

素敵な100年人生

会期:開催中〜2022年2月27日(日)まで ※日時指定制

会場:世田谷美術館(東京都世田谷区砧公園1-2)

開館時間:10:00〜18:00 ※入場は17:30まで

休館日:月曜日(祝・休日の場合は開館、翌平日休館)、12月29日(水)〜1月3日(月))、1月11日(火)

料金など詳しくは展覧会公式サイト:https://www.grandma-moses.jp/

※開館時間などの最新情報は展覧会公式サイト等で事前にご確認ください。


文・杉浦岳史

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