「版画」と聞くと、学校の授業などで彫刻刀を使って木の表面を彫り、紙に刷った「木版画」の経験をなつかしく思い出す人もいるだろう。アートの世界でいえば、江戸時代に全盛を誇った「浮世絵」もご存じの通り「木版画」の一種だ。

現在、東京都美術館で開催中の「没後70年 吉田博展」に展示された作品の中心となるのは画家・吉田博が人生の後半生で手がけた「木版画」。しかしその表現力は私たちの想像をはるかに超えている。

朝もやの光にぼんやりと浮かぶ富士山や日本アルプスの稜線と空。急峻な渓谷を流れ落ちる渦巻くような水の動き。見る人を夢心地にさせる満開の桜。しんと静まった海に漂う帆船とまぶしい水面の光。異国の地で見た夕景の幻想的な色・・・。そこに描かれているのは単なる風景ではない。その瞬間に画家が感じた空気、湿度、静けさ、きらめき、あるいは旅情やノスタルジーといった目に見えない思いまで映しているかのようだ。

知らずに見たら、木を彫って摺った版画だとはわからないかもしれない。なぜこうした表現ができたのだろうか。

《溪流》 昭和3(1928)年 木版、紙 54.5×82.8cm

それを探るのに、少しだけ作家の人生の物語にふれておきたい。舞台は今から100年ちょっと前。明治から大正にかけて、日本が西洋の国々に名を知られ、その文化が本格的に注目され始めた時期でもある。

明治9年(1876年)、今の福岡県久留米市に生まれた吉田博は、その充実した年譜が語るように数多くの出会いに恵まれた人だった。小さな頃から野山を駆けまわり、絵を描いていたというが、14歳の時に通っていた福岡の県立尋常中学修猷館で図画の教師・吉田嘉三郎に才能を見いだされ、この吉田家の養子に入る。そして嘉三郎の師匠である京都の洋画家、田村宗立に弟子入りすると、そこで東京から旅行で京都に来ていた画家の三宅克己と出会う。彼の水彩画に感動した博は、東京に移り、日本を代表する画家を数多く輩出した小山正太郎の画塾「不同舎」に進み、友人たちから「絵の鬼」と呼ばれるほど風景写生に明け暮れたという。

ところが養父の吉田嘉三郎が33歳の若さで他界してしまい、博は突然一家の家長として家計を支える立場に。彼はますます絵に没頭し、それを売るために努力することになる。

《穂高山》 大正期 油彩、カンバス 108.5×137.0cm

明治30年頃といえば、画家たちが次々に欧米に留学して貪欲に西洋の技法とスタイルを学び、日本の美術界が革新されていった時期。海外では逆にジャポニスムが定着し、浮世絵を中心に東洋美術のコレクターが増えていた。吉田博は、そんなコレクターの一人でデトロイトに住むアメリカ人のチャールズ・L・フリーアと横浜で出会い、絵を絶賛され、渡米を勧められる。修猷館で英語を学んでいた彼は、片道切符代と少しの滞在費を知り合いからなんとか都合し、友人の画家、中川八郎と横浜から船に乗った。

しかし到着したデトロイトで、頼みのフリーアは1ヶ月の不在だった。しかたなくデトロイト美術館に行くと、運良く自分たちの水彩画を館長に見せる機会ができ、その素晴らしさに急遽展覧会が開かれることになる。評判はまたたく間に広がり、その3ヶ月後にはあのボストン美術館でも展覧会が開催され、作品の売上も相当なものになった。ヨーロッパへ渡る資金もでき、フランス、イギリス、イタリアなどを周遊し、新しい美術の潮流を体感する。24歳の若さで手に入れた、まさに絵に描いたような「アメリカン・ドリーム」だった。

ここから大正初期にかけての水彩画や油彩画が展覧会の冒頭で紹介されているが、美しい自然描写と繊細な表現はすでに高みに達していて、彼は日本、アメリカを中心に活躍をつづけていくことになる。風景画の巧手として、順風満帆の人生であるかのように見えた。


木版画との出会い、大震災、そして再び世界へ。

《日本アルプス十二題 劔山の朝》 大正15(1926)年 木版、紙 37.0×24.8cm

そんな吉田博の運命を変えたのは、東京・京橋の版画店主、渡邊庄三郎との出会い、そして関東大震災だった。

大正の頃、海外では高い人気のあった浮世絵だが、日本国内では注文数が激減し、衰退の危機にあった。極めて高い職人技が求められるこの世界で、このままではやがて技術、文化が失われると感じた渡邊庄三郎は、浮世絵の伝統を継承しながら新しい時代にふさわしい作品を生みだそうと、版元として「新版画」の刊行を始めた。その下絵を描く作家の一人に選ばれたのが吉田博で、彼は大正9年(1920年)に《明治神宮の神苑》で初めて版画制作を手がけ、発表する。新しい可能性を感じた彼は、その後も版画制作をつづけた。

そして大正12年(1923年)、関東大震災が起きる。

渡邊版画店は全焼し、すべての版木と作品の大半が焼失してしまった。吉田自身は無事だったものの、被災した仲間やこの版画店の残った作品を販売しようと、約800点もの作品を持って三度目のアメリカに渡った。ところが、そこで好評だったのはもはや水彩画や油彩画ではなく、木版画だった。「自ら版元となり、思うままに木版画を制作してみよう」世界の評価に手ごたえを感じた彼は、帰国後、自身の監修による版画制作に取り組み、『米国』シリーズを完成させる。49歳の再出発だった。

《米国シリーズ エル・キャピタン》 大正14(1925)年 木版、紙 37.4×25.0cm

それまで水彩、油彩の世界で繊細な表現をしてきた吉田博は、木版画でも徹底的なこだわりを貫いた。基本的な工程は今回の展覧会の中でも映像などを通じて触れているが、浮世絵をはじめとする木版画では通常、下絵を描く「画家(絵師)」、下絵に合わせて版木を彫る「彫師」、版木を使って和紙に印刷をする「摺師」が協働で制作をする。

吉田博はしかし下絵を描くだけではなく、自分を指揮者や建築家にたとえ、自ら彫りや摺りを研究して、すべてをディレクションする方法をとった。そのために自宅のアトリエに技術の高い職人を雇い、工程を監督し、少なからず自分で彫りや摺りを手がけることもあったという。「職人を使うには自分がそれ以上に技術を知っていなければならぬ」・・・。作品の余白に「自摺」と書いてあるのは、彼が監修し、自信を持って世に出せると認定した証(あかし)だ。

ちなみに下は1年で41点もの版画を制作した大正15年(1926年)に作られた《瀬戸内海集 光る海》。彼の芸術を敬愛していたという故ダイアナ元英国皇太子妃が、ケンジントン宮殿の執務室に飾っていた作品だ。

《瀬戸内海集 光る海》 大正15(1926)年 木版、紙 37.2×24.7cm

墨色の主版と色版で版木を分けて彫り、幾たびか重ねて摺って一枚に仕上げる。その工程は浮世絵と変わらないが、表現されている色の数や階調が多く驚くほどに細やかだ。そのために吉田は完成形をイメージし、そこから主版と色版の組み合わせを緻密に逆算。版木は6枚程度、摺りの回数は平均で30数回におよぶという。時には100回近くも摺りを重ねて、理想の表現を創りあげた。それまで浮世絵などで使われたことのない独自の工夫も重ね、線と色面が分かれない繊細なニュアンスを生みだすことに成功している。下の《東京拾二題 亀井戸》も、88度の摺りを重ねたといわれる。その途方もない根気と研究心に驚かされる。

《東京拾二題 亀井戸》 昭和2(1927)年 木版、紙 37.5×24.7cm

また今回の展示で見逃せないのは「別摺」と呼ばれる手法だろう。これは同じ版木を使いながらも摺る時の色を替え、たとえば朝、昼、夕、夜と、時刻の違いでその光の加減や色、大気の状態までも描き分けていく連作。印象派の画家、クロード・モネが《ルーアン大聖堂》などの連作で移ろう光の美しさを描いたのと似ているが、空気感を鋭敏な感性でとらえ、描こうとした吉田博の本領発揮といえそうだ。

《瀬戸内海集 帆船 午前》 大正15(1926)年 木版、紙 50.8×36.1cm

《瀬戸内海集 帆船 夕》 大正15(1926)年 木版、紙 50.5×36.0cm

《瀬戸内海集 帆船 夜》 大正15(1926)年 木版、紙 50.8×36.1cm



日本を愛し、世界を見つめ、旅に身をおいた人生。

《印度と東南アジア フワテプールシクリ》 昭和6(1931)年 木版、紙 37.9×24.9cm

生涯にわたり風景を描きつづけた吉田博。今回の展覧会で出品された数多くの作品に描かれた景色は、山岳から、東京や京都、瀬戸内海などの日本各地、そしてアメリカ、ヨーロッパ、インド、中国、韓国など、彼が旅に費やした膨大な時間を物語っている。そして作品が海外で高い評価を受けたのも、その才能と卓越した表現もさることながら、彼がつねに世界に眼を向け、果敢に挑みつづけたから、ともいえる。

洋画の世界で風景画の第一人者として活躍し、その写実的な表現と日本の伝統的な版画技法を統合して後半生に新しい境地を拓いた吉田博。ここに紹介した作品画像では伝えきれない、実際に彼が摺り出した木版画が放つオーラをぜひ展覧会で感じてほしい。

ちなみに、会場の東京都美術館がある上野公園も、吉田博の画題になった場所だ。これを機会にちょっと忘れがちな東京の風景を辿ってみるのも楽しいかもしれない。

《上野公園》 昭和13(1938)年 木版、紙 37.6×24.8cm

上野東照宮ぼたん苑から見る五重塔

上野公園の寒桜

「没後70年 吉田博展」

会期:2021年3月28日(日)まで

会場:東京都美術館 企画展示室(東京都台東区上野公園8-36)

開室時間:9:30〜17:30(入室は閉室の30分前まで)

休室日:月曜日

観覧料:一般1,600円ほか

問い合わせ:03-5777-8600(ハローダイヤル)

特設WEBサイト:https://yoshida-exhn.jp

(文・杉浦岳史)

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